昭和52(1977)年の「エキサイト・シリーズ」(2月19日〜3月11日)終了後、ジャイアント馬場選手はニュージーランドへの遠征を行っています。これまで謎に包まれていたその貴重な試合結果を、このたび山口氏が発見してくださいました。
当時、ニュージーランドのプロレス興行を主宰していたのは、「オールスター・プロレスリング」のプロモーターであり、自身もレスラーとして来日経験のあるスティーブ・リッカード氏です。
昭和52(1977)年3月27日(曜日)
ニュージーランド/ウェリントン地方ポリルア/会場名不明
1)シングルマッチ
クリフ・コンドレン(結果不明)デル・アダムス
2)タッグマッチ
エド・ウィスコスキー&レッド・ウルフ(結果不明)シバ・アフィ・タオガガ&サモアン・ジョー
※S・A・タオガガは昭和60年に新日本プロレスに来たシバ・アフィのこと。
3)タッグマッチ
マーク・ルーイン&ドン・ムラコ(結果不明)キング・カーティス&グレート東郷
※G東郷はおそらくハロルド坂田(トシ東郷)。
4)シングルマッチ
ジャイアント馬場(勝ち)ロバート・ブルース
※G馬場はPWF認定ヘビー級王者。
昭和52(1977)年3月28日(曜日)
ニュージーランド/ウェリントン地方ウェリントン/ウェリントン・ショウ・ビルディングス
1)シングルマッチ
アル・ホブマン(勝ち)シバ・アフィ・タオガガ
2)シングルマッチ
ブルーノ・ベッカー(勝ち)サモアン・ジョー
3)6人タッグマッチ
マーク・ルーイン&ドン・ムラコ&スティーブ・リッカード
(勝ち)エド・ウィスコスキー&ロバート・ブルース&グレート東郷
4)シングルマッチ
ジャイアント馬場(勝ち)キング・カーティス
※G馬場はPWF認定ヘビー級王者。
昭和52(1977)年3月29日(曜日)
ニュージーランド/カンタベリー地方アシュバートン/会場名不明
□興行は中止されたものと思われる。
昭和52(1977)年3月30日(曜日)
ニュージーランド/カンタベリー地方クライストチャーチ/カンタベリー・コート
1)カード不明
2)タッグマッチ
マーク・ルーイン&ドン・ムラコ(結果不明)エド・ウィスコスキー&ロバート・ブルース
3)ランバージャックマッチ
スティーブ・リッカード(結果不明)グレート東郷
4)シングルマッチ
ジャイアント馬場(勝ち)キング・カーティス
※G馬場はPWF認定ヘビー級王者。
昭和52(1977)年3月31日(曜日)
ニュージーランド/オークランド地方オークランド/YMCA・スタジアム
1)シングルマッチ
サモアン・ジョー(結果不明)グレイ・ホブマン
※G・ホブマンはアル・ホブマンのこと。
2)タッグマッチ
マーク・ルーイン&ドン・ムラコ(結果不明)エド・ウィスコスキー&ロバート・ブルース
3)ランバージャック・ノーDQマッチ
スティーブ・リッカード(結果不明)グレート東郷
4)4000ドル争奪賞金マッチ
ジャイアント馬場(勝ち)キング・カーティス
※G馬場はPWF認定ヘビー級王者。
□この日のプログラムは”Giant Baba” “New Zealand”で検索するとすぐに見つかります。
馬場選手は現地で4試合に出場し、シングルマッチでロバート・ブルースから1勝、キング・カーティス(・イヤウケア)を相手に3勝を挙げました。この遠征で馬場選手が保持していたPWF認定ヘビー級王座の防衛戦が行われたかどうかは、記録が残っておらず不明です。しかし、藤波辰巳がWWWF認定ジュニアヘビー級王座を海外で防衛した際、その一部の記録が日本に伝わっていなかった前例を考えると、馬場選手も現地で防衛戦を行っていた可能性は十分に考えられます。
なお、当時の同団体におけるフラッグシップタイトル(最高峰の王座)は「オールスター・プロレスリング認定英連邦ヘビー級王座」でした。この王座は、前年11月にドン・ムラコがロバート・ブルースから奪取。1977年に入るとムラコからイヤウケアへと移動し、さらに同年5月にはリック・マーテルへと引き継がれています。イヤウケアが王座を戴冠した正確な日付が不明なため、馬場選手との対戦時に彼が王者だったかは断定できません。
この「英連邦ヘビー級王座」を巡る歴史を遡ると、3年前の昭和49(1974)年5月13日には、当時の王者であるアブドーラ・ザ・ブッチャーが、PWF認定ユナイテッドステーツヘビー級王者であったザ・デストロイヤーと八王子でダブルタイトルマッチを行った記録も残されています。
ちなみに、この年の「新春ジャイアント・シリーズ」にはキング・イヤウケアとマーク・ルーインが来日していますが、彼らは前年からニュージーランドを主戦場にしていた可能性が大きく、馬場選手がスティーブ・リッカード氏との交渉によって彼らを招聘したのだとすれば、今回のニュージーランド遠征はその「見返り(ブッキングの交換)」だったのかもしれません。
そして、この遠征の直後に開催された「第5回チャンピオン・カーニバル」(4月8日〜5月19日)には、3月27日のオークランド興行に参加したレッド・ウルフが初参戦を果たします。馬場選手はこのニュージーランド遠征の際に、すでに来日が決まっていたと思われる彼の実力を、会場で視察し査定したのかもしれません。
しかし、いざリーグ戦が開幕すると、彼の戦績は13敗1両者リングアウトで、得点は0。参加15人中最下位という厳しい結果に終わりました。現地でウルフの試合を目にしたかもしれない馬場選手は、もしかしたら「彼の招聘を決めたのは失敗だったかもしれない」と、プロモーターとして内心ひそかに悔やんでいたのではないでしょうか。