ドリー・ファンク・ジュニア 対 ミル・マスカラス

 昭和54年12月5日に仙台で実現したドリー・ファンク・ジュニア対ミル・マスカラス。日本における初対戦は時間切れ引き分けとなり、これが両者にとって最後のシングルマッチとなりました。
 ふたりが初めて対戦したのは、その10年前の昭和44年11月21日、ロサンゼルスでのことです。マスカラスがファンク・ジュニアの持つNWA認定世界ヘビー級王座に挑戦した試合でした。当時マスカラスはアメリカスヘビー級王者として、ロサンゼルスエリアのトップに君臨していました。両者の対戦はフルタイムを戦い抜いて引き分けとなり、ファンク・ジュニアが王座防衛に成功しています。
 それ以来、ロサンゼルス地区のみならず、テキサス東部地区(ダラス地区)や西部地区(アマリロ地区)でも両者はたびたび対戦し、それらの試合はすべてNWA認定世界ヘビー級選手権試合でした。トータルで両者の12回の対戦成績は、ファンク・ジュニアの5勝(2勝は反則勝ち)、6引き分け、1結果不明となっています。

[昭和44(1969)年]

NWA・ハリウッド・レスリング

 昭和44(1969)年11月21日(金曜日)
 米国/カリフォルニア州ロサンゼルス/オリンピック・オーデトリアム
☐NWA認定世界ヘビー級選手権試合(3本勝負)
  ドリー・ファンク・ジュニア(1-1)ミル・マスカラス
   ➂ジュニア(時間切れ)マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。M・マスカラスはNWA認定アメリカスヘビー級王者。

[昭和45(1970)年]

ビッグ・タイム・レスリング

 昭和45(1970)年3月4日(水曜日)
 米国/テキサス州サンアントニオ/サンアントニオ・ミュンシパル・オーデトリアム
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合
  ドリー・ファンク・ジュニア(時間切れ)ミル・マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。

 昭和45(1970)年5月29日(金曜日)
 米国/テキサス州ハーリンゲン/ロン・C・ヒル・ボールパーク(ハーリンゲン・フィールド)
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合(3本勝負)
  ドリー・ファンク・ジュニア(2-1)ミル・マスカラス
   ③ジュニア(反則勝ち)マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。

[昭和46(1971)年]

NWA・ハリウッド・レスリング

 昭和46(1971)年4月22日(木曜日)
 米国/カリフォルニア州ベーカーズフィールド/ストレリッチ・スタジアム
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合
  ドリー・ファンク・ジュニア(両者カウントアウト)ミル・マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。

[昭和47(1972)年]

ビッグ・タイム・レスリング

 昭和47(1972)年1月19日(水曜日)
 米国/テキサス州サンアントニオ/サンアントニオ・ミュンシパル・オーデトリアム
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合
  ドリー・ファンク・ジュニア(時間切れ)ミル・マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。

 昭和47(1972)年1月20日(木曜日)
 米国/テキサス州キングズビル/JK・ノースウェイ・エクスポジション・センター
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合
  ドリー・ファンク・ジュニア(結果不明)ミル・マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。

 昭和47(1972)年4月13日(木曜日)
 米国/テキサス州コーパスクリスティ/コーパスクリスティ・メモリアル・コロシアム
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合(3本勝負)
  ドリー・ファンク・ジュニア(1-1)ミル・マスカラス
   ③ジュニア(両者反則)マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。

 昭和47(1972)年6月22日(木曜日)
 米国/テキサス州コーパスクリスティ/コーパスクリスティ・メモリアル・コロシアム
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合(3本勝負)
  ドリー・ファンク・ジュニア(2-1)ミル・マスカラス
   ③ジュニア(レフェリー・ストップ)マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。

NWA・ウェスタン・ステーツ・スポーツ

 昭和47(1972)年10月16日(月曜日)
 米国/テキサス州エルパソ/エルパソ・カウンティ・コロシアム
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合
  ドリー・ファンク・ジュニア(カウントアウト)ミル・マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。

ビッグ・タイム・レスリング

 昭和47(1972)年10月18日(水曜日)
 米国/テキサス州サンアントニオ/サンアントニオ・ミュンシパル・オーデトリアム
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合
  ドリー・ファンク・ジュニア(勝ち)ミル・マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。

NWA・ウェスタン・ステーツ・スポーツ

 昭和47(1972)年10月25日(水曜日)
 米国/テキサス州ルボック/フェア・パーク・コロシアム
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合
  ドリー・ファンク・ジュニア(反則勝ち)ミル・マスカラス
   ※第10代王者D・F・ジュニアが王座防衛に成功する。

[昭和54(1979)年]

’79世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和54(1979)年12月5日(水曜日)、宮城県仙台市/宮城県スポーツセンター
□スペシャルシングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ミル・マスカラス(時間切れ)ドリー・ファンク・ジュニア
   ※M・マスカラスはIWA認定世界ヘビー級&ALLL認定世界ヘビー級王者。

 昭和54年12月5日、仙台の地で時間切れ引き分けに終わったドリー・ファンク・ジュニアとミル・マスカラスの一戦。日本国内ではこれが最初で最後のシングルマッチとなりましたが、ふたりのライバルストーリーは、それよりも10年も前にアメリカの地で深く刻まれていました。
 テキサスの伝統的なレスリングを背景に、NWA世界王者として重厚な正統派プロレスを貫いたファンク・ジュニア。一方で、メキシコからロサンゼルスに渡り、華麗な空中殺法で「千の顔を持つ男」としてファンのハートを掴んだマスカラス。この「静」と「動」という、まったく異なるスタイルを持つふたりが交わったとき、マットの上にはいつも極上のプロレス芸術が描き出されていたのです。
 広大なアメリカ各地のテリトリーから、遠く日本の仙台へと至る長い旅路。昭和のプロレスファンを魅了し続けたふたりの名勝負の数々は、団体や国境の枠を超えて輝き続ける、まさに色褪せることのない伝説の記録です。

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