昭和プロレスの歴史において、国際プロレスの看板を背負って激闘を繰り広げたラッシャー木村とマイティ井上。両雄の歩みは、それぞれ異なる軌跡をたどりながらリング上で交錯していきました。
ラッシャー木村は昭和40年3月26日、リキ・スポーツ・パレスにおける高崎山猿吉(北沢幹之)戦でデビューを果たします。日本プロレスから東京プロレスを経て国際プロレスへと入団しました。一方のマイティ井上は、国際プロレスに入団後、昭和42年7月21日に名古屋市金山体育館で仙台強(大剛鉄之助)を相手にデビュー戦を行いました。2人がシングルマッチで初めて拳を交えたのは、井上のデビューから10か月が経過した頃のことです。それ以来、昭和44年8月までたびたび対戦を重ね、木村が11連勝を飾っています。
その後、昭和49年10月に井上へ大きなチャンスが訪れます。スーパースター・ビリー・グラハムが保持するIWA認定世界ヘビー級王座への挑戦です。井上は10月7日、越谷市立体育館における3度目の挑戦で見事にグラハムから王座を奪取しました。しかし、翌年4月10日の足立体育館において、マッドドッグ・バションに敗れて王座を失ってしまいます。そのバションに立ちはだかったのが木村でした。昭和50年4月19日、北海道立札幌中島スポーツセンターにおいて、木村がバションを破りIWA世界ヘビー級王座を奪還します。その後、井上は木村が保持するこの至高の王座に3度にわたって挑戦しましたが、ついに牙城を崩すことはできませんでした。
両者の最後のシングル対決となったのは、昭和56年1月7日に館山市民センターで行われたルー・テーズ杯争奪予選リーグ戦でした。2人は通算で15回対戦し、木村が14勝1分けという圧倒的な戦績で大きく勝ち越しています。今回は、国際プロレスの黄金期を支えたラッシャー木村とマイティ井上による、緊迫した名勝負の全記録を振り返ります。
[昭和43(1968)年]
日英チャンピオン・シリーズ
昭和43(1968)年5月12日(日曜日)、東京都八王子市/多摩スポーツセンター・室内プール
□シングルマッチ(30分1本勝負)
木村政雄(12分15秒、逆エビ固め)井上円蔵
ダイナマイト・シリーズ
昭和43(1968)年9月24日(火曜日)、東京都足立区/足立体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村政雄(11分22秒、体固め)井上円蔵
昭和43(1968)年9月29日(日曜日)、新潟県村上市/国民年金村上市民会館体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村政雄(14分20秒、逆エビ固め)井上円蔵
昭和43(1968)年10月5日(土曜日)、神奈川県横浜市/スカイ体育館(スカイホール)
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村政雄(9分26秒、逆エビ固め)井上円蔵
昭和43(1968)年10月13日(日曜日)、宮城県柴田町/柴田町立船岡中学校体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
木村政雄(12分52秒、逆片エビ固め)井上円蔵
[昭和44(1969)年]
ビッグ・ウインター・シリーズ
昭和44(1969)年2月6日(木曜日)、福岡県北九州市/北九州市立小倉体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
ラッシャー木村(13分30秒、逆エビ固め)井上円蔵
国際ゴールデン・シリーズ
昭和44(1969)年3月8日(土曜日)、東京都新宿区/新宿区立体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
ラッシャー木村(14分20秒、アバラ折り)井上円蔵
ワールド選抜シリーズ
昭和44(1969)年4月24日(木曜日)、岩手県千厩町/千厩町体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
ラッシャー木村(9分45秒、アバラ折り)井上円蔵
ビッグ・サマー・シリーズ
昭和44(1969)年7月14日(月曜日)、滋賀県長浜市/長浜湾突堤広場
□シングルマッチ(30分1本勝負)
ラッシャー木村(15分8秒、エビ固め)井上円蔵
昭和44(1969)年7月21日(月曜日)、広島県福山市/福山市体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
ラッシャー木村(13分2秒、アバラ折り)井上円蔵
昭和44(1969)年8月10日(日曜日)、宮城県石巻市/中華楼ドライブイン広場(石巻パイパス沿)
□シングルマッチ(30分1本勝負)
ラッシャー木村(14分31秒、エビ固め)井上円蔵
[昭和50(1975)年]
ビッグ・サマー・シリーズ
昭和50(1975)年6月29日(日曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□IWA認定世界ヘビー級選手権試合(61分3本勝負)、レフェリー:前溝隆男
ラッシャー木村(2-1)マイティ井上
①井上(12分10秒、後方回転エビ固め)木村
②木村(4分44秒、逆エビ固め)井上
③木村(1分15秒、体固め)井上(6分45秒説あり)
※第11代王者R木村が3度目の防衛に成功する。
[昭和52(1977)年]
スーパー・ファイト・シリーズ
昭和52(1977)年9月7日(水曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□IWA認定世界ヘビー級選手権試合(61分3本勝負)
ラッシャー木村(2-1)マイティ井上
①木村(23分54秒、片エビ固め)井上
②井上(1分34秒、回転エビ固め)木村
③木村(2分25秒、リングアウト)井上
※第14代王者R木村が10度目の防衛に成功する。
[昭和53(1978)年]
スーパー・ファイト・シリーズ
昭和53(1978)年5月1日(月曜日)、静岡県富士市/富士市立体育館本館
□IWA認定世界ヘビー級選手権試合(61分3本勝負)、レフェリー:遠藤光男
ラッシャー木村(1-1)マイティ井上
①井上(13分1秒、前方回転エビ固め)木村
②木村(3分33秒、裸絞め)井上
③木村(2分17秒、無効試合)井上
※第14代王者R木村が15度目の防衛に成功する。
[昭和56(1981)年]
新春パイオニア・シリーズ
昭和56(1981)年1月7日(水曜日)、千葉県館山市/館山市民センター
□ルー・テーズ杯争奪予選リーグ戦/Cブロック/ノンタイトル(20分1本勝負)
ラッシャー木村(13分42秒、エビ固め)マイティ井上
レフェリー:ルー・テーズ
※R木村はIWA認定世界ヘビー級王者。
国際プロレスの解散、そしてそれぞれの道を歩んだラッシャー木村とマイティ井上。数々の激闘を繰り広げた2人のライバル関係は、団体崩壊という時代の荒波によって新たな局面を迎えることになります。
昭和56年9月30日に国際プロレスが解散すると、井上は全日本プロレスへと移籍します。一方の木村は新日本プロレスのリングに上がり、独自の存在感を示していきました。その後、木村は昭和59年にユニバーサル・レスリング・フェデレーション(UWF)の旗揚げに参加。そして同年11月より、全日本プロレスへと移籍を果たします。
国際プロレスの崩壊から3年、昭和59年11月に木村と井上は、再び同じ全日本プロレスというリングに立つことになったのです。同じリングに戻った両者は、平成9年までタッグマッチや6人タッグマッチにおいて、何十度となく対戦を重ねていきました。しかし、ファンがかつての激闘の再現を期待する中で、ついにシングルマッチでの再戦が実現することはありませんでした。シングル対決という形での決着はつかなかったものの、激動の昭和から平成のマット界を共に駆け抜けた2人の絆と足跡は、今もなおプロレスファンの心に深く刻まれています。