昭和プロレス秘話:わずか1試合の記録に隠された「トニー・アオド」の正体

 昭和31(1956)年7月23日から9月2日までの42日間にわたり、力道山は「プロレスリング国際大試合」を開催しました。全31戦に及ぶこのシリーズの正式名称は「プロレス世界選手権挑戦者決定戦」です。言うまでもなく、この世界選手権というのはNWA認定世界ヘビー級選手権のことですが、力道山が追い続けていたルー・テーズはこの年の3月15日に、カナダのオンタリオ州トロントにあるメープル・リーフ・ガーデンで、大英帝国ヘビー級王者のビリー・ワトソンにリングアウトで敗れて王座を手放してしまいました。

 このシリーズには、力道山と世界王座への挑戦権を争うトム・ライス(タム・ライスとの表記もあります)の他に、前シリーズから残留しているラッキー・シモノビッチとアイアン・マイク(マイク・マズルキー)、さらにレッド・ミラー、ラリー・ジャクソン、そしてトニー・アオドが参加しています。

謎のレスラー「トニー・アオド」を追う

 このトニー・アオドという選手がいったい誰なのかを調査してみました。まずこの選手が何月何日の大会に出場しているかを調べてみると、わずか1試合しか発見できませんでした。8月27日の横浜大会です。この日、「アオド」は田中米太郎にフォール負けをしています。245ポンド(約111kg)であるから、当時のレスラーの中ではかなり大きい部類に入ります。

日刊スポーツ東京版、昭和31年8月28日付第3面、国立国会図書館東京本館所蔵)

 この新聞に書かれている「ラリー・ジャックソン」というのはラリー・ジャクソンのことで、「デッド・ミラー」というのはレッド・ミラーのことであろうと推測されます。

 さて、この年には「国際試合」と名付けられたシリーズがもう一つありました。4月24日から6月7日まで行われた「マナスル登山基金募集、プロレスリング国際大試合」です。このシリーズに参加した主力外国人選手はベン・シャープ、マイク・シャープ、ラッキー・シモノビッチ、マイク・マズルキーですが、この他にラリー・ジャクソン、レッド・ミラー、キング・ジャック、トニー・アルフォードの4選手が参戦しています。ここから、「トニー・アオド」というのはトニー・アルフォードのことではないかという仮説が浮かび上がります。

 アルフォードはレスラーやレフェリーとしてリングに上がっているのですが、その会場というのは現在判明している限りでは下記のように、すべてが神奈川県か東京都で行われた大会です。「アオド」が上がったのも神奈川県横浜市であり、そしてファーストネームが同じ「トニー」という共通点があります。

  昭和31年5月24日(木曜日):神奈川県川崎市/川崎市体育館
  昭和32年1月25日(金曜日):神奈川県相模原市/横浜技術廠相模工廠
  昭和32年2月1日(金曜日):神奈川県横浜市/フライヤー・ジム
  昭和32年12月21日(土曜日):東京都中央区/日本プロレス・センター
  昭和33年2月8日(土曜日):東京都中央区/日本プロレス・センター
  昭和33年2月15日(土曜日):東京都中央区/日本プロレス・センター
  昭和33年2月22日(土曜日):東京都中央区/日本プロレス・センター
  昭和33年9月5日(金曜日):東京都台東区/蔵前国技館
  昭和38年1月19日(土曜日):神奈川県平塚市/平塚市立見附台体育館
  昭和38年3月24日(日曜日):東京都台東区/蔵前国技館
  昭和38年8月10日(土曜日):東京都大田区/田園コロシアム
  昭和38年9月13日(金曜日):東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス

ついに判明した真実とレフェリーとしての足跡

 しかし、これだけの共通点があっても確定できないのは当然です。そこで昭和31年8月27日の試合結果を他の情報源で調べ始めた結果、数カ月が経過した頃に次の貴重な資料が発見できました。

(RIKI第10号p36、渡海正一氏提供)

 この資料により、横浜大会」で田中米太郎と対戦した「トニー・アオド」はアルホードこと、トニー・アルフォードだったという事実が証明されたのです。そしてこのアルフォードはレスラーとしてだけではなくレフェリーとしても活躍し、少なくとも2つの重要なタイトルマッチを裁いています。その注目の2試合の結果は以下の通りです。

 昭和32(1957)年2月1日(金曜日)、神奈川県横浜市/フライヤー・ジム
□JWA認定オールアジアヘビー級選手権試合(61分3本勝負)
  力道山(2-0)アドリアン・バイラージョン
   ①力道山(21分50秒、反則勝ち)バイラージョン
   ②力道山(1分55秒、体固め)バイラージョン(1分50秒説あり)
    レフェリー:トニー・アルフォード
   ※初代王者力道山が2度目の防衛に成功する。

 昭和38(1963)年8月10日(土曜日)、東京都大田区/田園コロシアム
□JWA認定オールアジアタッグ選手権試合(61分3本勝負)
  サニー・マイヤース&ドン・ジャーディン(2-1)力道山&豊登
   ①マイヤース(19分24秒、体固め)豊登
   ②豊登(10分48秒、体固め)マイヤース
   ③マイヤース組(7分14秒、反則勝ち)力道山
    レフェリー:トニー・アルフォード
   ※第8代王者チームの力道山&豊登がルールにより2度目の防衛に成功する。

 レスラーとしては「トニー・アオド」の名でわずか1試合の黒星を残した謎の存在でしたが、その正体であるアルフォードは、レフェリーとして昭和の日本プロレス界における歴史的なタイトルマッチを厳格に裁き、2つの大きな防衛劇をリング上から見守っていたのです。

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