アントニオ猪木(猪木完至)は昭和35(1960)年9月30日に大木金太郎戦で、上田馬之助(上田裕司)は昭和36(1961)年6月7日に平井光明(のちのミツ・ヒライ)戦で、それぞれデビューを果たしました。両者の初対戦は、上田のデビューから約10か月後となる昭和37(1962)年4月15日のことです。その後、昭和39(1964)年に猪木が渡米するまでの間に、二人はシングルマッチで14回対戦し、猪木が全勝するという記録が残っています。
昭和37(1962)年 -日本プロレス-
=プロレス国際試合=
昭和37(1962)年4月15日(日曜日)、栃木県足利市/月見ヶ丘高等学校体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
猪木完至(9分52秒、体固め)上田裕司
=プロレス国際選抜戦=
昭和37(1962)年6月3日(日曜日)、千葉県野田市/野田市営球場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
猪木完至(9分32秒、体固め)上田裕司
昭和38(1963)年 -日本プロレス-
=オリンピック協賛、秋季ワールド戦=
昭和38(1963)年10月4日(金曜日)、長野県長野市/長野市民会館広場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
アントニオ猪木(6分38秒、体固め)上田馬之助
昭和38(1963)年10月20日(日曜日)、佐賀県佐賀市/佐賀県体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
アントニオ猪木(8分25秒、逆片エビ固め)上田馬之助
※「逆エビ固め」と記載されている資料もある。
昭和38(1963)年10月31日(木曜日)、福岡県福岡市/筥崎宮(はこざきぐう)外苑
□シングルマッチ(20分1本勝負)
アントニオ猪木(6分45秒、逆片エビ固め)上田馬之助
昭和38(1963)年11月6日(水曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
アントニオ猪木(9分0秒、体固め)上田馬之助
昭和38(1963)年11月8日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(20分1本勝負)
アントニオ猪木(8分34秒、体固め)上田馬之助
=プロレス・デストロイヤー・シリーズ=
昭和38(1963)年11月27日(水曜日)、栃木県足利市/月見ヶ丘高等学校体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
アントニオ猪木(10分46秒、体固め)上田馬之助
昭和38(1963)年11月30日(土曜日)、福島県福島市/福島県営体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
アントニオ猪木(10分29秒、体固め)上田馬之助
昭和38(1963)年12月7日(土曜日)、静岡県浜松市/厚生年金浜松市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
アントニオ猪木(4分30秒、逆片エビ固め)上田馬之助
昭和39(1964)年 -日本プロレス-
=プロレス国際戦・新春シリーズ=
昭和39(1964)年1月24日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(30分1本勝負)
アントニオ猪木(7分23秒、体固め)上田馬之助
=プロレス国際戦・春の陣=
昭和39(1964)年2月19日(水曜日)、愛知県豊橋市/豊橋市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
アントニオ猪木(8分50秒、体固め)上田馬之助
昭和39(1964)年2月22日(土曜日)、岐阜県岐阜市/岐阜市民センター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
アントニオ猪木(10分3秒、体固め)上田馬之助
昭和39(1964)年3月1日(日曜日)、静岡県伊東市/伊東スタジアム
□シングルマッチ(30分1本勝負)
アントニオ猪木(8分40秒、体固め)上田馬之助
昭和53(1978)年 -新日本プロレス-
その後、猪木は豊登とともに東京プロレスを旗揚げしたものの失敗に終わり、昭和42(1967)年5月に日本プロレスへ復帰します。しかし、すでにメインイベントを務める看板選手となっていた猪木と上田のシングルマッチは、日本プロレス時代にはもはや行われませんでした。
昭和46(1971)年12月に日本プロレスを除名されると、猪木は翌年、新日本プロレスを旗揚げします。一方、昭和48(1973)年3月に日本プロレスが解散してから、上田は日本テレビと契約を結びました。そしてジャイアント馬場が主宰する全日本プロレスのリングに上がったものの、その後はフリーランスとなり、米国のマット界に活路を見出します。
昭和51(1976)年に帰国してからは、国際プロレスのマットでヒール(悪役)として戦っていましたが、翌年1月より新日本プロレスへ参戦。これにより、ふたたび猪木と対戦することになります。この時代、二人の対戦は9試合行われ、猪木の8勝(うち3勝は反則勝ち)1無効試合という戦績が残っています。
=新春黄金シリーズ=
昭和53(1978)年2月8日(水曜日)、東京都千代田区/日本武道館
□釘板マッチ/ノンタイトル(時間無制限1本勝負)、レフェリー:ミスター高橋
アントニオ猪木(11分2秒、テクニカルノックアウト)上田馬之助
※上田馬之助のセコンドのタイガー・ジェット・シンがタオルを投入する。A猪木はNWF認定ヘビー級王者。
=第1回MSGシリーズ=
昭和53(1978)年5月19日(金曜日)、宮城県仙台市/宮城県スポーツセンター
□MSG決勝リーグ戦/ノンタイトル(45分1本勝負)
アントニオ猪木(11分55秒、反則勝ち)上田馬之助
※A猪木はNWF認定ヘビー級王者。
=ゴールデン・ファイト・シリーズ=
昭和53(1978)年9月6日(水曜日)、青森県弘前市/弘前市民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(11分25秒、無効試合)上田馬之助
※A猪木はNWF認定ヘビー級王者。
昭和53(1978)年9月11日(月曜日)、鹿児島県鹿児島市/鹿児島県総合体育センター体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(11分20秒、体固め)上田馬之助
※A猪木はNWF認定ヘビー級王者。
昭和53(1978)年9月13日(水曜日)、熊本県熊本市/熊本市体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
アントニオ猪木(11分2秒、逆さ押さえ込み)上田馬之助
※A猪木はNWF認定ヘビー級王者。
昭和53(1978)年9月20日(水曜日)、三重県松阪市/松阪市総合体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(9分34秒、体固め)上田馬之助
※A猪木はNWF認定ヘビー級王者。
昭和53(1978)年9月25日(月曜日)、茨城県境町/境町民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(9分38秒、アバラ折り)上田馬之助
※A猪木はNWF認定ヘビー級王者。
昭和54(1979)年 -新日本プロレス-
=ビッグ・ファイト・シリーズ=
昭和54(1979)年2月27日(火曜日)、東京都大田区/大田区体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(11分6秒、反則勝ち)上田馬之助
※A猪木はNWF認定ヘビー級&WWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
昭和54(1979)年3月6日(火曜日)、茨城県古河市/古河市立体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(9分9秒、反則勝ち)上田馬之助
※A猪木はNWF認定ヘビー級&WWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
昭和56(1981)年10月からは、上田が全日本プロレスに活躍の場を移したため、猪木との対戦はなくなりました。その後、上田がふたたび新日本プロレスのリングに登場したのは昭和60(1985)年1月のことですが、猪木とのシングルマッチがもはや実現することはありませんでした。