新日本プロレスの創生期から激動の平成まで、前座戦線を沸かせ、やがてそれぞれの道を極めていった2人の至高のプロレスラーがいます。「関節技の鬼」と呼ばれた藤原喜明と、「稲妻戦士」として一世を風靡した木村健吾です。
2人の運命が最も熱く交錯したのは、昭和50(1975)年12月7日、愛知県刈谷市体育館で行われた「第2回カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦」の決勝戦でした。13分過ぎ、藤原が渾身のドリル・ア・ホール・パイルドライバーを炸裂させると、木村はマットに大の字となります。すかさず覆いかぶさる藤原。この記念すべき一戦のスペシャルレフェリーを務めていたのは、アントニオ猪木でした。猪木が叩く3カウントがマットに響き渡り、藤原がついに優勝を果たしたのです。
「プロレスの神様」カール・ゴッチから直々に優勝トロフィーを授与された藤原は、賞金100万円とともに西ドイツ遠征の権利を手にしました。翌年8月中旬から10月終盤にかけ、のちにキラー・カーンとなる小沢正志とともに西ドイツ(ドイツ連邦共和国)へ遠征し、シューティング・スタイルの基礎をさらに強固なものにしていきます。この刈谷での決勝戦は、若き日の2人が意地とプライドをぶつけ合った、キャリアの中で「最も有名な名勝負」として今も語り継がれています。
藤原は昭和47(1972)年11月2日に新日本プロレスに入門し、わずか10日後の11月12日、和歌山県白浜町での藤波辰巳戦で電撃デビューを飾りました。一方、4歳年下の木村は同年1月に日本プロレスに入門。8月2日に鹿児島県喜界町で佐藤昭夫を相手にデビュー戦を行っています。つまり、藤原は新日本プロレスにおいては生え抜きの「先輩」ですが、プロレスラーとしてのキャリアで見れば、木村のほうが「先輩」という、興味深いねじれの関係にありました。その後、日本プロレスの崩壊危機に伴い、昭和48(1973)年3月に坂口征二らとともに木村が新日本プロレスへと移籍してきたのです。
こうして新日本のリングで巡り合った2人が初めて拳を交えたのは、木村の移籍初シリーズとなった「ビッグ・ファイト・シリーズ」第12戦の岡山大会でした。この時は、新日本での先輩である藤原が老獪な首固めで木村を丸め込み、意地を見せて勝利しています。ここから、2人による果てしなきライバルストーリーが幕を開けたのです。
[昭和48(1973)年]
ビッグ・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和48(1973)年4月17日(火曜日)、岡山県岡山市/岡山武道館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(11分38秒、首固め)木村聖裔(せいえい)
ゴールデン・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和48(1973)年5月4日(金曜日)、神奈川県川崎市/川崎市体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(9分30秒、首固め)木村聖裔
昭和48(1973)年6月13日(水曜日)、愛知県刈谷市/刈谷市体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(11分37秒、逆片エビ固め)木村聖裔
サマー・ビッグ・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和48(1973)年7月16日(月曜日)、福島県福島市/福島県営福島体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(7分16秒、首固め)木村聖裔
昭和48(1973)年8月16日(木曜日)、東京都足立区/足立体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(8分56秒、首固め)木村聖裔
闘魂シリーズ(新日本プロレス)
昭和48(1973)年9月5日(水曜日)、東京都板橋区/東京都板橋区立体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
木村聖裔(9分38秒、回転エビ固め)藤原喜明
昭和48(1973)年10月3日(水曜日)、愛媛県今治市/旭町モータープール
□シングルマッチ(15分1本勝負)
木村聖裔(11分16秒、回転エビ固め)藤原喜明
闘魂シリーズ第2弾(新日本プロレス)
昭和48(1973)年11月8日(木曜日)、静岡県沼津市/沼津市民体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村聖裔(10分33秒、回転エビ固め)藤原喜明
昭和48(1973)年11月16日(金曜日)、北海道札幌市/北海道立札幌中島スポーツセンター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(12分0秒、背骨折り)木村聖裔
昭和48(1973)年11月25日(日曜日)、宮城県迫町/迫町役場庁舎建設予定地
□シングルマッチ(15分1本勝負)
木村聖裔(12分55秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
ワールド・タイトル・チャレンジ・シリーズ(新日本プロレス)
昭和48(1973)年12月2日(日曜日)、福岡県福岡市/九電記念体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(10分58秒、背骨折り)木村聖裔
[昭和49(1974)年]
新春黄金シリーズ(新日本プロレス)
昭和49(1974)年1月9日(水曜日)、徳島県徳島市/徳島市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村聖裔(11分26秒、回転エビ固め)藤原喜明
昭和49(1974)年1月18日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ(15分1本勝負)
木村聖裔(11分1秒、回転エビ固め)藤原喜明
創立2周年記念ビッグ・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和49(1974)年2月23日(土曜日)、茨城県水海道市/水海道市民会館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(11分32秒、変形背骨折り)木村聖裔
第1回ワールド・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和49(1974)年4月18日(木曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
木村聖裔(13分39秒、体固め)藤原喜明
昭和49(1974)年5月2日(木曜日)、福岡県北九州市/北九州市立総合体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(11分2秒、回転エビ固め)木村聖裔
ゴールデン・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和49(1974)年5月25日(土曜日)、東京都東久留米市/東久留米駅前広場
□シングルマッチ(15分1本勝負)
木村聖裔(13分5秒、逆エビ固め)藤原喜明
昭和49(1974)年6月9日(日曜日)、北海道北見市/北見市民トレーニングセンター
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(13分34秒、逆エビ固め)木村聖裔
昭和49(1974)年6月25日(火曜日)、東京都東村山市/東村山駅前広場
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村聖裔
闘魂シリーズ第1弾(新日本プロレス)
昭和49(1974)年9月6日(金曜日)、山形県酒田市/酒田市営体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村聖裔
昭和49(1974)年9月10日(火曜日)、愛知県名古屋市/愛知県体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村聖裔(13分53秒、回転エビ固め)藤原喜明
昭和49(1974)年9月29日(日曜日)、島根県出雲市/出雲市体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
木村聖裔(10分22秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和49(1974)年10月9日(水曜日)、埼玉県大宮市/大宮スケートセンター
□シングルマッチ(15分1本勝負)
木村聖裔(10分12秒、回転エビ固め)藤原喜明
闘魂シリーズ第2弾(新日本プロレス)
昭和49(1974)年11月8日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦(20分1本勝負)
木村聖裔(10分18秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和49(1974)年11月23日(土曜日、祝日)、熊本県水俣市/水俣市立体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村聖裔
昭和49(1974)年11月29日(金曜日)、福岡県久留米市/福岡県立久留米総合スポーツセンター体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村聖裔
昭和49(1974)年12月3日(火曜日)、広島県広島市/広島県立体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村聖裔
[昭和50(1975)年]
新春黄金シリーズ(新日本プロレス)
昭和50(1975)年1月7日(火曜日)、長野県長野市/長野市民体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村聖裔
昭和50(1975)年1月10日(金曜日)、長野県諏訪市/諏訪湖スポーツセンター体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村聖裔
昭和50(1975)年1月21日(火曜日)、愛媛県西条市/西条市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村聖裔(12分35秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和50(1975)年2月3日(月曜日)、大阪府寝屋川市/寝屋川市立市民体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(10分8秒、背骨折り)木村聖裔
ビッグ・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和50(1975)年3月9日(日曜日)、福岡県直方市/直方市体育館
□第2回ワールドリーグ戦出場資格争奪戦(20分1本勝負)
藤原喜明(13分8秒、背骨折り)木村聖裔
昭和50(1975)年3月20日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村聖裔(11分43秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
第2回ワールド・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和50(1975)年5月2日(金曜日)、長崎県長崎市/長崎国際体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村聖裔
昭和50(1975)年5月5日(月曜日、祝日)、福岡県福岡市/福岡スポーツセンター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村聖裔(12分16秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和50(1975)年5月12日(月曜日)、静岡県伊東市/伊東青果市場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(12分29秒、背骨折り)木村聖裔
ゴールデン・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和50(1975)年6月15日(日曜日)、宮城県石巻市/フルーツジャンボ駐車場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村たかし(14分31秒、逆エビ固め)藤原喜明
昭和50(1975)年6月19日(木曜日)、福島県相馬市/二の丸球場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(13分12秒、逆エビ固め)木村たかし
昭和50(1975)年6月26日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(13分46秒、体固め)木村たかし
サマー・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和50(1975)年7月18日(金曜日)、佐賀県唐津市/唐津市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村たかし(12分23秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
闘魂シリーズ(新日本プロレス)
昭和50(1975)年8月22日(金曜日)、群馬県高崎市/高崎市中央体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(13分55秒、体固め)木村たかし
昭和50(1975)年9月4日(木曜日)、新潟県上越市/上越市厚生北会館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村たかし(14分28秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和50(1975)年9月9日(火曜日)、徳島県徳島市/徳島市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(16分14秒、体固め)木村たかし
昭和50(1975)年9月16日(火曜日)、愛知県豊田市/豊田市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村たかし(13分44秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
闘魂シリーズ第2弾(新日本プロレス)
昭和50(1975)年10月28日(火曜日)、山形県山形市/山形県体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村たかし
□同延長戦(15分1本勝負)
藤原喜明(4分31秒、体固め)木村たかし
昭和50(1975)年11月14日(金曜日)、香川県高松市/高松市民文化センター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(11分37秒、体固め)木村たかし
昭和50(1975)年12月1日(月曜日)、広島県福山市/福山市体育館
□カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦(20分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村たかし
昭和50(1975)年12月7日(日曜日)、愛知県刈谷市/刈谷市体育館
□第2回カール・ゴッチ杯争奪リーグ決勝戦(30分1本勝負)、レフェリー:アントニオ猪木
藤原喜明(14分5秒、体固め)木村たかし(パイルドライバー)
※優勝した藤原喜明はカール・ゴッチから大トロフィーを受け取り、さらに賞金百万円と西ドイツ遠征の権利を獲得する。
[昭和51(1976)年]
新春黄金シリーズ(新日本プロレス)
昭和51(1976)年1月13日(火曜日)、熊本県熊本市/熊本市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村たかし(12分3秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和51(1976)年1月21日(水曜日)、千葉県船橋市/船橋ヘルスセンター・ローラースケート場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(13分0秒、体固め)木村たかし
昭和51(1976)年1月25日(日曜日)、東京都足立区/足立体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(13分22秒、回転エビ固め)木村たかし
ビッグ・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和51(1976)年2月29日(日曜日)、兵庫県姫路市/姫路市厚生会館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村たかし(16分46秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和51(1976)年3月12日(金曜日)、群馬県高崎市/高崎市中央体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村たかし(14分32秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
第3回ワールド・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和51(1976)年4月4日(日曜日)、新潟県十日町市/十日町市市民体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(17分8秒、体固め)木村たかし
昭和51(1976)年4月29日(木曜日、祝日)、佐賀県佐賀市/佐賀スポーツセンター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村たかし(13分12秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和51(1976)年5月5日(水曜日、祝日)、福岡県福岡市/福岡スポーツセンター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(14分26秒、体固め)木村たかし
ゴールデン・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和51(1976)年5月28日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村たかし
昭和51(1976)年7月18日(日曜日)、香川県土庄町/土庄東港
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(17分4秒、体固め)木村たかし
昭和51(1976)年7月22日(木曜日)、岡山県岡山市/岡山武道館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村たかし
昭和51(1976)年7月25日(日曜日)、熊本県八代市/八代魚市場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(16分14秒、体固め)木村たかし
昭和51(1976)年8月4日(水曜日)、宮城県仙台市/宮城県スポーツセンター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(17分24秒、体固め)木村たかし
闘魂シリーズ第2弾(新日本プロレス)
昭和51(1976)年11月10日(水曜日)、岐阜県大垣市/大垣市スポーツセンター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(13分33秒、体固め)木村たかし
昭和51(1976)年12月9日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(16分56秒、体固め)木村聖裔
[昭和52(1977)年]
新春黄金シリーズ(新日本プロレス)
昭和52(1977)年1月12日(水曜日)、滋賀県大津市/滋賀県立体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(13分55秒、体固め)木村聖裔
昭和52(1977)年1月24日(月曜日)、広島県広島市/広島県立体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村聖裔(12分10秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和52(1977)年2月2日(水曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村聖裔(15分23秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和52(1977)年2月10日(木曜日)、東京都千代田区/日本武道館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
藤原喜明(14分55秒、回転エビ固め)木村聖裔
第4回ワールド・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和52(1977)年3月26日(土曜日)、秋田県鹿角市/大湯体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
藤原喜明(13分53秒、体固め)木村聖(たかし)
昭和52(1977)年3月29日(火曜日)、静岡県沼津市/沼津市民体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
木村聖(12分31秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
ゴールデン・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和52(1977)年4月25日(月曜日)、和歌山県御坊市/御坊市立体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(12分26秒、体固め)木村聖
アジア・チャンピオン・シリーズ(新日本プロレス)
昭和52(1977)年7月7日(木曜日)、神奈川県箱根町/箱根小涌園グリーンパレス
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(12分7秒、逆さ押さえ込み)木村聖
昭和52(1977)年7月16日(土曜日)、北海道旭川市/旭川市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村聖(12分14秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和52(1977)年7月25日(月曜日)、宮城県岩沼市/ショッパーズ岩沼駐車場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村聖(14分31秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
闘魂シリーズ(新日本プロレス)
昭和52(1977)年8月26日(金曜日)、群馬県桐生市/桐生市民体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(12分44秒、体固め)木村健吾
昭和52(1977)年9月1日(木曜日)、岐阜県多治見市/ユニー多治見駅前店駐車場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(12分29秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和52(1977)年9月13日(火曜日)、熊本県玉名市・玉名温泉センター前広場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(12分11秒、体固め)木村健吾
昭和52(1977)年10月5日(水曜日)、千葉県松戸市/松戸運動公園体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(16分38秒、体固め)木村健吾
’77闘魂シリーズ第2弾(新日本プロレス)
昭和52(1977)年11月6日(日曜日)、北海道標津町/標津町総合体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(14分37秒、回転エビ固め)藤原喜明
昭和52(1977)年11月21日(月曜日)、福岡県飯塚市/飯塚市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(13分9秒、体固め)木村健吾
昭和52(1977)年11月25日(金曜日)、長崎県長崎市/長崎国際体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村健吾
昭和52(1977)年12月6日(火曜日)、三重県四日市市/中央緑地体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(17分41秒、回転エビ固め)藤原喜明
[昭和53(1978)年]
新春黄金シリーズ(新日本プロレス)
昭和53(1978)年1月13日(金曜日)、岡山県岡山市/岡山武道館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(16分28秒、体固め)木村健吾
昭和53(1978)年1月18日(水曜日)、熊本県本渡市/本渡市民センター体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(14分1秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和53(1978)年1月23日(月曜日)、大分県大分市/大分県営体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(11分28秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和53(1978)年1月29日(日曜日)、愛知県豊橋市/豊橋市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(11分56秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
昭和53(1978)年2月4日(土曜日)、北海道函館市/函館市民体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(11分23秒、体固め)木村健吾
昭和53(1978)年2月8日(水曜日)、東京都千代田区/日本武道館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(時間切れ)木村健吾
ビッグ・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和53(1978)年3月10日(金曜日)、福島県郡山市/郡山総合体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
藤原喜明(14分46秒、回転エビ固め)木村健吾
[昭和55(1980)年]
サマー・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和55(1980)年6月30日(月曜日)、北海道網走市/網走市総合体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(11分36秒、首固め)藤原喜明
ブラディ・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和55(1980)年9月6日(土曜日)、群馬県館林市/館林市民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(20分1本勝負)
木村健吾(15分18秒、片エビ固め)藤原喜明
※木村健吾はNWAインターナショナル認定世界ジュニアヘビー級王者。
闘魂シリーズ(新日本プロレス)
昭和55(1980)年10月31日(金曜日)、鹿児島県出水市/出水市総合体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(20分1本勝負)
木村健吾(11分43秒、回転エビ固め)藤原喜明
※木村健吾はNWAインターナショナル認定世界ジュニアヘビー級王者。
第1回MSGタッグ・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和55(1980)年12月1日(月曜日)、愛知県名古屋市/愛知県体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(12分50秒、回転エビ固め)藤原喜明
[昭和56(1981)年]
WWFビッグ・ファイト・シリーズ第1弾(新日本プロレス)
昭和56(1981)年3月6日(金曜日)、茨城県勝田市/勝田市民総合体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(11分13秒、回転エビ固め)藤原喜明
第4回MSGシリーズ(新日本プロレス)
昭和56(1981)年5月10日(日曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(10分28秒、回転エビ固め)藤原喜明
昭和56(1981)年5月29日(金曜日)、香川県高松市/高松市民文化センター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(13分52秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
第2回MSGタッグ・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和56(1981)年11月20日(金曜日)、埼玉県志木市/志木市民体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(15分52秒、エビ固め)藤原喜明
[昭和57(1982)年]
第5回MSGシリーズ(新日本プロレス)
昭和57(1982)年3月30日(火曜日)、静岡県清水市/鈴与記念体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(13分41秒、回転エビ固め)藤原喜明
UAEインターナショナル・レスリング・グランプリ・トーナメント[アラブ首長国連邦遠征](新日本プロレス)
昭和57(1982)年4月10日(土曜日)
アラブ首長国連邦/ドバイ首長国ドバイ/アル・マクトゥーム・スタジアム
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(7分53秒、体固め)藤原喜明
難民義援金募集チャリティ特別試合(新日本プロレス)
昭和57(1982)年4月21日(水曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(8分55秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
第3回MSGタッグ・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和57(1982)年11月20日(土曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(16分25秒、エビ固め)藤原喜明
昭和57(1982)年11月27日(土曜日)、静岡県沼津市/沼津市民体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(16分8秒、エビ固め)藤原喜明
[昭和58(1983)年]
新春黄金シリーズ(新日本プロレス)
昭和58(1983)年1月3日(月曜日)、千葉県木更津市/木更津倉形スポーツ会館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(16分49秒、エビ固め)藤原喜明
IWGP決勝リーグ(新日本プロレス)
昭和58(1983)年5月7日(土曜日)、佐賀県佐賀市/佐賀スポーツセンター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
木村健吾(15分41秒、前方回転エビ固め)藤原喜明
[昭和61(1986)年]
ビッグファイター・シリーズ(新日本プロレス)
昭和61(1986)年5月1日(木曜日)、東京都墨田区/両国国技館
□5対5シングル勝ち抜き戦(各20分1本勝負)
前田日明&藤原喜明&木戸修&山崎一夫&高田伸彦
(5-4)藤波辰巳&木村健吾&越中詩郎&坂口征二&山田恵一
①高田伸彦(14分27秒、アキレス腱固め)山田恵一
②坂口征二(4分40秒、カナダ式背骨折り)高田伸彦
③坂口征二(5分22秒、逆十字固め)山崎一夫
④木戸修(3分33秒、首固め)坂口征二
⑤木戸修(8分13秒、反則勝ち)越中詩郎
⑥木村健吾(4分41秒、逆片エビ固め)木戸修
⑦藤原喜明(6分56秒、脇固め)木村健吾
⑧藤波辰巳(8分56秒、逆さ押さえ込み)藤原喜明
⑨前田日明(6分30秒、レフェリー・ストップ)藤波辰巳
IWGPチャンピオン・シリーズ(新日本プロレス)
昭和61(1986)年5月16日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□IWGPヘビー級王座決定リーグ戦(30分1本勝負)
木村健吾(12分46秒、反則勝ち)藤原喜明
[昭和62(1987)年]
サマー・ナイト・フィーバー・イン国技館(新日本プロレス)
昭和62(1987)年8月20日(木曜日)、東京都墨田区/両国国技館
□シングルマッチ(45分1本勝負)
藤原喜明(12分54秒、リングアウト)木村健吾
[平成6(1994)年]
’94サマー・ストラグル(新日本プロレス)
平成6(1994)年7月19日(火曜日)、岐阜県岐阜市/岐阜産業会館
□シングルマッチ/平成維震軍サバイバル85第67戦(30分1本勝負)
木村健悟(6分37秒、首固め)藤原喜明
昭和50(1975)年のカール・ゴッチ杯以降も、2人は切磋琢磨を続けました。藤原は昭和53(1978)年11月にもアントニオ猪木に同行する形で再びヨーロッパ遠征へと旅立ち、海外の強豪との経験を積んでいきます。
対する木村も、昭和53(1978)年6月から約1年間にわたる海外武者修行を敢行しました。「パク・チュー」というリングネームを名乗り、ロサンゼルス、サンフランシスコ、そしてメキシコの主要団体「CMLL」を転戦します。ロサンゼルスではプロフェッサー・イトウ(上田馬之助)とのコンビで、ブラック・ゴードマン、ヘクター・ゲレロ組からNWA認定アメリカスタッグ王座を奪取。さらにメキシコではエル・ファラオンを破り、見事にNWA認定世界ライトヘビー級王座を獲得しました。現地でのリターンマッチやリンゴ・メンドーサらの挑戦を退けて2度の防衛に成功(のちにアルフォンソ・ダンテスに敗れて王座陥落)するなど、メキシコのファンを熱狂させる素晴らしい実績を残したのです。
この木村の海外遠征前までの対戦成績は、藤原の41勝34敗13分け。ほぼ互角ながらも新日本プロレスの先輩である藤原がやや優勢という状況でした。しかし、海外で厚みのあるファイトスタイルを身に付けたプロレスラーの先輩・木村は、帰国後にさらなる大仕事をやってのけます。あの若き日のブレット・ハートを王座決定戦で破り、NWAインターナショナル認定世界ジュニアヘビー級王座を獲得したのです。この快挙で完全に自信を深めた木村は、帰国後の藤原との対戦で17勝2敗という驚異的な勝率を記録し、ライバル関係を大きく逆転させてみせました。
昭和59(1984)年、藤原が新格闘技路線を標榜する「UWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)」へと移籍したことで、2人の対戦は一時的に途絶えることになります。しかし運命の糸は切れていませんでした。昭和61(1986)年、藤原らのUWF勢が新日本プロレスのリングに電撃参戦を果たしたのです。
同年5月1日、両国国技館で行われた「UWF対新日本プロレス 5対5シングル勝ち抜き戦」という緊迫した大舞台の第7試合で、2人は劇的な再会を果たします。この時は、藤原が伝家の宝刀である「脇固め」を鮮やかに極め、木村から執念のギブアップを奪い取りました。その直後の5月16日、後楽園ホールでの「IWGPヘビー級王座決定リーグ戦」では木村が反則勝ちを収め、翌昭和62(1987)年8月20日の両国国技館大会では藤原がリングアウト勝ちを収めるなど、ヘビー級の肉体となった2人は以前にも増して激しい意地の張り合いを展開したのです。
平成元(1989)年、藤原は「第2次UWF」へと参加するため、再び新日本プロレスを離脱。同団体が解散したあとの平成3(1991)年3月には、自らの名前を冠した「プロフェッショナルレスリング藤原組」を旗揚げしました。それぞれの主戦場が完全に別れたことで、「両者の対戦は二度とない」と誰もが確信していました。
しかし、プロレスの神様は心憎い演出を用意していました。藤原組の紆余曲折を経て、藤原が再び新日本のリングに呼び戻されたのです。そして平成6(1994)年7月19日、岐阜産業会館で行われた「’94サマー・ストラグル」において、木村が率いる平成維震軍との抗争の中で、2人にとって最後となるシングルマッチが実現しました。試合は木村が6分37秒、電撃的な首固めで藤原から3カウントを奪って勝利。くしくも、21年前に初めて闘ったあの岡山大会と同じ「首固め」という結末で、2人の長い果てしなき闘いの日々は静かに幕を閉じたのでした。
新日本の先輩・藤原と、レスラーの先輩・木村。泥臭い前座の攻防から、世界のベルトを巡る旅、そして激動の対抗戦戦列まで、2人が刻んだ足跡は、まさに新日本プロレスの激闘の歴史そのものであると言えるでしょう。