ジャンボ鶴田 対 ニック・ボックウィンクル

 昭和のプロレス黄金期において、「完全無欠のエース」ジャンボ鶴田と、「至高の芸術品」と称されたAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルによる一連のシングルマッチは、日米のファンを熱狂させた伝説の名勝負数え唄でした。両者が初めてシングルマッチで拳を交えたのは、昭和53年12月のこと。’78世界最強タッグ決定リーグ戦のさなかに行なわれたノンタイトル戦は、30分という限られた時間のなかで互いの意地がぶつかり合い、時間切れ引き分けに終わりました。

 これを機に、鶴田による過酷な世界最高峰への挑戦ロードが幕を開けます。翌年2月のハワイを皮切りに、ミネアポリス、東京、千歳と舞台を移しながらボックウィンクルの保持する王座に猛追。戦績のうえでは3勝1分けと圧倒しながらも、当時の「王座移動はピンフォールまたはギブアップのみ」という冷徹なAWAルールにより、反則勝ちではベルトを奪うことができないというもどかしい壁に阻まれ続けました。しかし、初挑戦から5年の歳月が流れた昭和59年2月23日、蔵前国技館のリングでついに歴史が動きます。鶴田は伝家の宝刀である岩石落とし固めでボックウィンクルを完璧に沈め、日本人初となる悲願のAWA世界ヘビー級王座戴冠を果たしたのです。

 肉体と技術、そしてプライドが極限まで交錯した両雄の激闘。その対決の全足跡をここに振り返ります。

[昭和53(1978)年]

’78世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和53(1978)年12月13日(水曜日)、秋田県秋田市/秋田県立体育館
□スペシャルシングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ニック・ボックウインクル(時間切れ)ジャンボ鶴田
   ※N・ボックウインクルはAWA認定世界ヘビー級王者で、J鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。

[昭和54(1979)年]

ミッド=パシフィック・プロモーション

 昭和54(1979)年2月14日(水曜日)
 米国/ハワイ州ホノルル/ニール・ブレイズデル・センター
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分3本勝負)、レフェリー:ウォーリー堤
  ジャンボ鶴田(2-1)ニック・ボックウィンクル
   ①ボックウィンクル(31分28秒、足4の字固め)鶴田
   ②鶴田(17分32秒、アバラ折り)ボックウィンクル
   ③鶴田(4分55秒、反則勝ち)ボックウィンクル
   ※第25代王者N・ボックウィンクルがルールにより王座防衛に成功する。J鶴田はNWA認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。

[昭和55(1980)年]

アメリカン・レスリング・アソーシエーション(AWA)

 昭和55(1980)年6月22日(日曜日)
 米国/ミネソタ州ミネアポリス/ミネアポリス・オーデトリアム
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)、レフェリー:ジョー・スナイダー
  ジャンボ鶴田(20分5秒、反則勝ち)ニック・ボックウィンクル
   ※第25代王者N・ボックウィンクルがルールにより王座防衛に成功する。J鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。

[昭和57(1982)年]

新春ジャイアント・シリーズ(全日本プロレス)

 昭和57(1982)年2月4日(木曜日)、東京都渋谷区/東京都体育館
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ニック・ボックウィンクル(18分44秒、両者リングアウト)ジャンボ鶴田
   ※第27代王者N・ボックウィンクルが王座防衛に成功する。J鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。

[昭和58(1983)年]

グランド・チャンピオン・カーニバルⅢ(テリー・ファンクさよならシリーズ、全日本プロレス)

 昭和58(1983)年7月13日(水曜日)、北海道千歳市/千歳市スポーツセンター
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ジャンボ鶴田(29分24秒、反則勝ち)ニック・ボックウィンクル
   ※第32代王者N・ボックウィンクルがルールにより王座防衛に成功する。

[昭和59(1984)年]

エキサイト・シリーズ(全日本プロレス)

 昭和59(1984)年2月23日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□AWA認定世界&PWF認定インターナショナルヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
  ジャンボ鶴田(32分0秒、岩石落とし固め)ニック・ボックウィンクル
    レフェリー:テリー・ファンク、サブレフェリー:ジョー樋口
   ※第32代AWA王者N・ボックウィンクルが王座防衛に失敗。第14代インターナショナル王者J鶴田が3度目の防衛に成功するとともに、第33代AWA王者となる。

 昭和59(1984)年2月26日(日曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□AWA認定世界&PWF認定インターナショナルヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
  ジャンボ鶴田(28分9秒、両者リングアウト)ニック・ボックウィンクル
    レフェリー:テリー・ファンク、サブレフェリー:ジョー樋口
   ※J鶴田がAWA王座(第33代)の初防衛と、インターナショナル王座(第14代)の4度目の防衛に成功する。

グランド・チャンピオン・カーニバルⅠ(PWF認定世界タッグ王座決定リーグ戦、全日本プロレス)

 昭和59(1984)年3月24日(土曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ニック・ボックウィンクル(22分50秒、反則勝ち)ジャンボ鶴田
   ※第33代王者J鶴田がルールにより5度目の防衛に成功する。鶴田の保持するPWF認定インターナショナルヘビー級王座は賭けられていない。

アメリカン・レスリング・アソーシエーション(AWA)

 昭和59(1984)年4月28日(土曜日)
 米国/カリフォルニア州デイリーシティ/サンフランシスコ・カウ・パレス
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
  ジャンボ鶴田(18分12秒、両者リングアウト)ニック・ボックウィンクル
   ※第33代王者J鶴田が8度目の防衛に成功する。鶴田の保持するPWF認定インターナショナルヘビー級王座は賭けられていない。

 昭和59(1984)年4月29日(日曜日)
 米国/イリノイ州ローズモント/ローズモント・ホライズン
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
  ニック・ボックウィンクル(10分52秒、反則勝ち)ジャンボ鶴田
   ※第33代王者J鶴田がルールにより9度目の防衛に成功する。鶴田の保持するPWF認定インターナショナルヘビー級王座は賭けられていない。

 昭和59(1984)年5月4日(金曜日)
 米国/コロラド州デンバー/デンバー・オーデトリアム・アリーナ
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
  ニック・ボックウィンクル(15分1秒、反則勝ち)ジャンボ鶴田
   ※第33代王者J鶴田がルールにより11度目の防衛に成功する。鶴田の保持するPWF認定インターナショナルヘビー級王座は賭けられていない。

 昭和59(1984)年5月6日(日曜日)
 米国/ウィスコンシン州アッシュウォーベノン/ブラウン・カウンティ・ベテランズ・メモリアル・アリーナ
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
  ニック・ボックウィンクル(21分37秒、反則勝ち)ジャンボ鶴田
   ※第33代王者J鶴田がルールにより13度目の防衛に成功する。鶴田の保持するPWF認定インターナショナルヘビー級王座は賭けられていない。

インターナショナル・レスリング

 昭和59(1984)年5月7日(月曜日)
 カナダ/ケベック州モントリオール/ポール・サウベ・アリーナ
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
  ジャンボ鶴田(17分2秒、反則勝ち)ニック・ボックウィンクル
   ※第33代王者J鶴田が14度目の防衛に成功する。鶴田の保持するPWF認定インターナショナルヘビー級王座は賭けられていない。

[昭和62(1987)年]

創立15周年記念’87サマー・アクション・シリーズ2(全日本プロレス)

 昭和62(1987)年9月12日(土曜日)、岡山県倉敷市/倉敷市倉敷体育館
□PWF認定インターナショナルヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
  ジャンボ鶴田(9分47秒、片エビ固め)ニック・ボックウィンクル
   ※第16代王者J鶴田が4度目の防衛に成功する。

 日本人初の快挙を成し遂げ、王者となった鶴田には、前王者からの執拗なリターンマッチの嵐が待ち受けていました。大阪、東京、さらにはデイリーシティ、ローズモント、デンバー、アッシュウォーベノン、モントリオールへと続く壮絶な日米防衛ロードを展開。鶴田は1勝4敗2分け(1勝は反則勝ち、4敗は反則負け)という、ルールを巧みに利用した目まぐるしい攻防の末に王座を死守しましたが、同年5月13日にセントポールでリック・マーテルに敗れて惜しくも王座から陥落することとなります。

 それから3年後の昭和62年9月、無冠となったボックウィンクルが最後に来日した際、今度は鶴田が保持するインターナショナルヘビー級王座にボックウィンクルが挑戦する立場で激突。鶴田が見事にこれを退けて防衛を飾り、これが両者にとって生涯最後のシングルマッチとなりました。
初戦のノンタイトル戦を除けば、そのすべてが世界最高峰のベルトを賭けたタイトルマッチ。通算14回に及ぶ、世界のプロレス史に刻まれた一騎打ちは、鶴田の6勝4敗4分けという記録を残して幕を閉じました。

 反則やリングアウトをも巻き込んだ巧妙な駆け引き、そしてそれを力でねじ伏せんとした若き鶴田の執念。この14戦の記録は、今なお色褪せることのない昭和プロレス至高の遺産です。

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