アントニオ猪木 対 マンモス鈴木

 ジャイアント馬場、大木金太郎、そしてアントニオ猪木とともに、日本プロレスの「若手四天王」と目されていたマンモス鈴木。その恵まれた巨体と凄みのある風貌は、師である力道山をはじめ、海外のプロモーターからも「次世代の巨星」として大きな期待を寄せられていました。
 そんなマンモス鈴木が米国武者修行から帰国した際、その凱旋試合の相手として立ちはだかったのが、のちのライバルである2歳年下のアントニオ猪木(当時は猪木完至)でした。この福山での一戦を機に、二人のプロレス人生は明暗を大きく分けていくことになります。
 本ページでは、のちに「燃える闘魂」としてマット界の頂点へ駆け上がるアントニオ猪木と、怪力無双の巨体で若手時代を牽引したマンモス鈴木による、昭和30年代の瑞々しくも凄絶なシングルマッチの全記録を網羅しました。

[昭和36(1961)年]

第3回ワールド大リーグ戦

 昭和36(1961)年5月23日(火曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
  マンモス鈴木(9分0秒、体固め)猪木完至

 昭和36(1961)年6月1日(木曜日)、茨城県下館市/下館市役所前広場
□シングルマッチ(15分1本勝負)
  マンモス鈴木(8分18秒、背骨折り)猪木完至(体固め説あり)

 昭和36(1961)年6月7日(水曜日)、愛知県名古屋市/名古屋市金山体育館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
  マンモス鈴木(7分53秒、体固め)猪木完至

プロレス選抜戦

 昭和36(1961)年6月24日(土曜日)、鳥取県米子市/米子市立啓成小学校跡
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  マンモス鈴木(9分26秒、体固め)猪木完至

 昭和36年6月29日の大阪大会における「ワールドリーグ戦選抜者国際試合・第16戦」を終えたマンモス鈴木は、わずか2日後の7月1日、さらなる飛躍を期してハワイへと旅立ちました。ホノルルを経て上陸したロサンゼルス地区(WWA)や、米国東部のキャピタル・レスリングを渡り歩く過酷な海外武者修行を敢行。この長きにわたる遠征のため、若きライバルであるアントニオ猪木とのシングルマッチもしばらくの間は途絶えることとなります。一回りも二回りも大きくなって帰国した大器は、昭和37年6月7日、熱戦が続く「プロレス国際選抜戦」シリーズ途中から待望の戦線復帰を果たし、ふたたび日本のリングで猪木と相まみえることとなったのです。

[昭和37(1962)年]

プロレス国際選抜戦

 昭和37(1962)年6月11日(月曜日)、徳島県徳島市/徳島市民会館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  マンモス鈴木(13分25秒、逆片エビ固め)猪木完至(3分25秒説あり)

 昭和37(1962)年6月16日(土曜日)、広島県福山市/福山市中央公園
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  マンモス鈴木(時間切れ)猪木完至
□同延長戦(10分1本勝負)
  マンモス鈴木(時間切れ)猪木完至

 マンモス鈴木の凱旋祝いとなるはずだったこの試合、意地とプライドがぶつかり合った結果、まさかの「時間切れ引き分け」に終わります。これに激怒したのが、リングサイドで見守っていた力道山。棒を手にしてリングへ乱入し、その場で「10分延長」を厳命。鬼気迫る表情の師匠の前で、二人はさらに凄絶なドツキ合いを展開することとなりました。

プロレス国際試合秋の陣

 昭和37(1962)年9月20日(木曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  マンモス鈴木(11分14秒、体固め)猪木完至(11分16秒説あり)
   ※勝者と敗者が逆になっている資料もある。

 昭和37(1962)年10月9日(火曜日)、東京都台東区/東京都台東区立台東体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  マンモス鈴木(8分19秒、体固め)猪木完至

プロレス国際試合沖縄シリーズ

 昭和37(1962)年11月5日(月曜日)、米領沖縄那覇市/那覇バスターミナル裏広場(旭日橋広場)
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  マンモス鈴木(14分13秒、体固め)猪木完至

[昭和38(1963)年]

プロレス国際試合新春シリーズ

 昭和38(1963)年1月23日(水曜日)、埼玉県越谷市/越谷市立体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  マンモス鈴木(12分47秒、体固め)アントニオ猪木

 昭和38(1963)年1月29日(火曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  マンモス鈴木(13分50秒、体固め)アントニオ猪木(13分9秒説あり)

プロレス国際試合

 昭和38(1963)年3月1日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  マンモス鈴木(8分14秒、両者リングアウト)アントニオ猪木

東京オリンピック協賛、第5回ワールド大リーグ戦

 昭和38(1963)年3月29日(金曜日)、滋賀県大津市/皇子山体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  マンモス鈴木(15分28秒、両者カウントアウト)アントニオ猪木

 昭和38(1963)年3月30日(土曜日)、兵庫県神戸市/神戸市立王子体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  アントニオ猪木(14分58秒、反則勝ち)マンモス鈴木

 昭和38(1963)年4月6日(土曜日)、山口県防府市/防府市公会堂広場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  マンモス鈴木(10分17秒、体固め)アントニオ猪木

 昭和38(1963)年4月11日(木曜日)、長崎県長崎市/長崎国際体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  マンモス鈴木(時間切れ)アントニオ猪木

 昭和38(1963)年4月12日(金曜日)、熊本県熊本市/熊本市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  マンモス鈴木(時間切れ)アントニオ猪木

 昭和38(1963)年4月27日(土曜日)、京都府京都市/京都市立勧業館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  ゴリラ鈴木(14分10秒、両者カウントアウト)アントニオ猪木

 昭和38(1963)年4月29日(月曜日、祝日)、富山県富山市/富山市体育館(富山市スポーツセンター)
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  ゴリラ鈴木(12分58秒、逆片エビ固め)アントニオ猪木

 昭和38(1963)年5月3日(金曜日、祝日)、青森県青森市/青森県立体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  ゴリラ鈴木(時間切れ)アントニオ猪木

オリンピック協賛、プロレス国際戦・夏の陣

 昭和38(1963)年7月31日(水曜日)、神奈川県藤沢市/藤沢市秩父宮記念体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  アントニオ猪木(14分16秒、逆片エビ固め)ゴリラ鈴木

 日本プロレスの若手時代、若手四天王のメンバーとして激しい出世競争を繰り広げた2人。この昭和38年7月31日の藤沢大会における一戦が、結果として両者にとって最後のシングルマッチとなりました。
 マンモス鈴木はこの年の後半に内臓疾患を理由に一度は引退を余儀なくされます。しかしその後、アントニオ猪木と豊登が旗揚げした「東京プロレス」のリングで奇跡の復活を果たしました。同団体の崩壊後は「国際プロレス」へと移籍し、現役を退いた後は名レフェリーとして同団体を支え、猪木とはまた違う形でプロレス界に貢献していくことになります。昭和30年代のマット界を激しく揺るがしたこの若き2人の死闘録は、日本のプロレスが最も熱く、純粋だった時代の記憶として、今もなお色褪せることなく歴史に刻まれています。

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