昭和のプロレス界において、圧倒的な体躯と強さで「世界8番目の不思議」と称されたアンドレ・ザ・ジャイアント。その大巨人の前に立ち塞がり、アメリカから日本にかけて長きにわたる宿命のライバル関係を築いた一人の大物覆面レスラーがいました。それこそが、強靱な肉体と確かなレスリング技術、精度を誇る知性派のヒールとして鳴らしたマスクト・スーパースターです。
スーパースターの正体であるビル・イーディは、かつて「ザ・モンゴルズ」のボロ・モンゴルとして地味な悪役レスラーを演じており、日本にもその姿で初来日を果たしていました。しかし、昭和51(1976)年にミッドアトランティック地区で黒いマスクを被り、「マスクト・スーパースター」へと大変身を遂げると、その才能が一気に開花します。流暢なマイクパフォーマンスと冷徹なファイトスタイルで一躍トップヒールへと登り詰めた彼は、同年の11月から、規格外の怪物アンドレとの果てしない抗争の幕を開けることとなったのです。
2人の戦いは単なる一過性のブームに留まらず、年を追うごとに激化していきました。昭和53(1978)年には同地区で年間5回ものシングルマッチが組まれ、観客を熱狂の渦に巻き込みます。さらにスーパースターは、同年の12月4日にジョージア地区で人気者のミスター・レスリング2号(ジョニー・ウォーカー)を破り、由緒あるNWA認定ジョージアヘビー級王座を奪取しました。王者として名実ともにトップの座に就いた彼は、翌年2月にジョージア州コロンバスでアンドレとの一騎打ちに臨みます。結果はアンドレの反則勝ちとなり、この試合に王座が懸かっていたかは定かではありませんが、2人のプライドが激突した至高の一戦であったことは間違いありません。その後、スーパースターはワフー・マクダニエルやトミー・リッチといった強豪たちと激しい王座転落劇を演じ、通算4度にわたって同王座に君臨することになりますが、王者としてアンドレと対峙したのは、皮肉にもこのコロンバスでの一戦のみでした。昭和55(1980)年7月には、再び古巣のミッドアトランティック地区へと舞台を戻し、両者の怨念に満ちた抗争が再燃することとなります。
[昭和51(1976)年]
ミッド=アトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
昭和51(1976)年11月26日(金曜日)
米国/バージニア州リッチモンド/リッチモンド・コロシアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(反則勝ち)マスクト・スーパースター
昭和51(1976)年11月28日(日曜日)
米国/ノースカロライナ州ウィンストンセーラム/ローレンス・ジョウェル・ベテランズ・メモリアル・コロシアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(結果不明)マスクト・スーパースター
[昭和53(1978)年]
ミッド=アトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
昭和53(1978)年4月22日(土曜日)
米国/バージニア州ハンプトン/ハンプトン・コロシアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(反則勝ち)マスクト・スーパースター
昭和53(1978)年4月23日(日曜日)
米国/バージニア州ロアノーク/ロアノーク・シビック・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)マスクト・スーパースター
昭和53(1978)年4月25日(火曜日)
米国/サウスカロライナ州コロンビア/タウンシップ・オーデトリアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(結果不明)マスクト・スーパースター
昭和53(1978)年4月28日(金曜日)
米国/サウスカロライナ州チャールストン/チャールストン・カウンティ・ホール
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(反則勝ち)マスクト・スーパースター
昭和53(1978)年7月5日(水曜日)
米国/ノースカロライナ州ロッキーマウント/ロッキマウント・ミュニシパル・スタジアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(反則勝ち)マスクト・スーパースター
[昭和54(1979)年]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
昭和54(1979)年2月7日(水曜日)
米国/ジョージア州コロンバス/コロンバス・ミュニシパル・オーデトリアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(反則勝ち)マスクト・スーパースター
※M・スーパースターはNWA認定ジョージアヘビー級王者。
昭和54(1979)年7月27日(金曜日)
米国/ジョージア州アトランタ/オムニ・コロシアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)マスクト・スーパースター
[昭和55(1980)年]
ミッド=アトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
昭和55(1980)年7月2日(水曜日)
米国/ノースカロライナ州ロッキーマウント/ロッキマウント・ミュニシパル・スタジアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(結果不明)マスクト・スーパースター
昭和55(1980)年7月4日(金曜日)
米国/ノースカロライナ州ウィンストンセーラム/ローレンス・ジョウェル・ベテランズ・メモリアル・コロシアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(結果不明)マスクト・スーパースター
昭和55(1980)年7月4日(金曜日)
米国/ノースカロライナ州シェルビー/シェルビー・レクリエーション・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(結果不明)マスクト・スーパースター
昭和55(1980)年7月8日(火曜日)
米国/サウスカロライナ州コロンビア/タウンシップ・オーデトリアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(結果不明)マスクト・スーパースター
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
昭和55(1980)年9月28日(日曜日)
米国/オハイオ州コロンバス/オハイオ・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)マスクト・スーパースター
[昭和57(1982)年]
第5回MSGシリーズ(新日本プロレス)
昭和57(1982)年3月22日(月曜日、祝日)、宮崎県延岡市/延岡市民体育館
□MSG公式リーグ戦(30分1本勝負)
アンドレ・ザ・ジャイアント(4分30秒、リングアウト)マスクト・スーパースター
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
昭和57(1982)年8月13日(金曜日)
米国/オハイオ州デイトン/ハラ・アリーナ
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)マスクト・スーパースター
第3回MSGタッグ・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和57(1982)年11月30日(火曜日)、愛知県名古屋市/愛知県体育館
□シングルマッチ(60分1本勝負)
アンドレ・ザ・ジャイアント(3分41秒、体固め)マスクト・スーパースター
[昭和59(1984)年]
ワールド・レスリング・フェデレーション(WWF)
昭和59(1984)年1月22日(日曜日)
米国/ペンシルベニア州カーボンデール/カーボンデール・ハイスクール・ジムナジアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)マスクト・スーパースター
昭和59(1984)年2月5日(日曜日)
米国/ニューヨーク州トロイ/RPI・フィールド・ハウス
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)マスクト・スーパースター
昭和59(1984)年2月6日(月曜日)
米国/ニューヨーク州ロチェスター/ロチェスター・コミュニティ・ウォー・メモリアル
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)マスクト・スーパースター
昭和59(1984)年2月13日(月曜日)
米国/ペンシルベニア州スクラントン/カソリック・ユース・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)マスクト・スーパースター
昭和59(1984)年2月15日(水曜日)
米国/ペンシルベニア州ハンバーグ/ハンバーグ・フィールドハウス
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(6分45秒、反則勝ち)マスクト・スーパースター
昭和59(1984)年2月20日(月曜日)
米国/ニューヨーク州ニューヨークシティ/マディソン・スクウェア・ガーデン
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(7分46秒、フォール勝ち)マスクト・スーパースター
昭和59(1984)年3月17日(土曜日)
米国/マサチューセッツ州ボストン/ボストン・ガーデン
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(11分15秒、勝ち)マスクト・スーパースター
昭和59(1984)年3月19日(月曜日)
米国/オハイオ州デイトン/ハラ・アリーナ・カンファレンス・アンド・エキシビション・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)マスクト・スーパースター
昭和59(1984)年3月22日(木曜日)
米国/オハイオ州ウォーレン/WD・パッカード・ミュージック・ホール
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(14分40秒、フォール勝ち)マスクト・スーパースター
’84IWGP(新日本プロレス)
昭和59(1984)年5月27日(日曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□IWGP公式リーグ戦(60分1本勝負)
アンドレ・ザ・ジャイアント(5分31秒、体固め)マスクト・スーパースター
[昭和61(1986)年]
IWGPチャンピオン・シリーズ(新日本プロレス)
昭和61(1986)年5月18日(日曜日)、千葉県東金市/東金市立東金中学校体育館
□IWGPヘビー級王座決定リーグ戦(30分1本勝負)
アンドレ・ザ・ジャイアント(5分6秒、体固め)マスクト・スーパースター
アメリカ全土を揺るがした2人のライバルストーリーは、やがて海を越えてここ日本、そして世界の総本山へと飛び火していくことになります。
日本のファンが初めて2人の緊迫したシングルマッチを目撃したのは、昭和57(1982)年の春に新日本プロレスで開催された「第5回MSGシリーズ」でした。3月22日、宮崎県延岡市で行なわれた公式リーグ戦では、スーパースターの老獪なインサイドワークをパワーでねじ伏せたアンドレがリングアウト勝ちを収めます。さらに同年暮れの「第3回MSGタッグ・リーグ戦」でも一騎打ちが実現し、ここではアンドレが貫禄のフォール勝ちを収め、大巨人の壁の厚さを日本のファンに見せつけました。
しかし、両者の因縁はこれで終わりません。昭和59(1984)年に入ると、舞台はビンス・マクマホン・ジュニア率いるWWF(現WWE)マットへと移り、文字通りの全米大抗争へと発展します。1月22日から3月22日までのわずか2か月間で、実に9回ものシングルマッチが組まれるという異例のドル箱カードとなったのです。その中には、世界のプロレスの聖地であるニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデン(MSG)での大一番も含まれていました。そして、3月22日のオハイオ州ウォーレンでの激闘を最後に、2人の米国における長い対戦史は幕を閉じることとなります。
その後も日本では、同年の「’84IWGP」公式戦で1度激突しました。
そして、両者にとって最後のシングルマッチが行なわれる前年、すなわち昭和60(1985)年8月のこと、2人の関係に劇的な展開が訪れます。新日本プロレスのリングにおいて、アンドレ・ザ・ジャイアントが突如マスクを被り「ジャイアント・マシン」へと変身を遂げたのです。これに呼応するかのように、マスクト・スーパースターもまた別のマスクを被って「スーパー・マシン」となり、両者は謎の覆面コンビ「マシンズ」を結成。かつての宿敵同士が固い握手を交わし、日本陣営に対して共闘を開始するという、ファンを驚愕させる一大ムーブメントを巻き起こしました。
このマシンズの熱狂は、やがて本国アメリカのWWFマットへと逆輸入の形で波及していくことになります。翌年8月、両者はベビーフェイスのタッグチームとして全米の興行を大いに盛り上げました。それだけに留まらず、ブラックジャック・マリガンがビッグ・マシンに、ジョージ・スティールがアニマル・マシンに、クラッシャー・リソワスキーがクラッシャー・マシンに、さらには時代の寵児であったハルク・ホーガンがハルク・マシンに、ロディ・パイパーがパイパー・マシンにと、トップスターたちが次々とマシン軍団に変身を遂げます。この奇想天外で魅力的なキャラクターたちの競演は、WWFが全米進出を果たし、近代プロレスの黄金期を築き上げていく上での強力な推進力となりました。
このような共闘を経て、昭和61(1986)年の「IWGPチャンピオン・シリーズ」において、運命に導かれるように最後の一騎打ちが行なわれました。激動の昭和プロレス史の中で、素顔の時代からマスクマンとしての全盛期に至るまで、アンドレ・ザ・ジャイアントという不世出の怪物とこれほど真っ向から渡り合い、世界中で好勝負を紡ぎ続けた覆面レスラーは他にいません。スーパースターが魅せた意地と、それを受け止めたアンドレのスケールの大きさは、今もなおファンの心に深く刻まれています。