ストロング小林 対 ダスティ・ローデス

 昭和のプロレス黄金期において、和製パワーファイターの雄として国際プロレスを牽引したストロング小林と、「アメリカン・ドリーム」の称号で世界的な大スターへと駆け上がったダスティ・ローデス。この2人の怪物が織りなした激闘の軌跡は、日本の国際プロレス、新日本プロレス、そして米国フロリダのマットを舞台に、約9年間にわたって繰り広げられました。

 力と力が真っ向からぶつかり合う重厚なファイトスタイルで観客を魅了した小林と、天性のマイクパフォーマンスと予測不能なバイオニック・エルボーでリングを支配したローデス。お互いの意地とプライドが激突した、知られざる死闘の全貌をここに振り返ります。

 両雄が初めて拳を交えたのは、昭和46(1971)年11月から12月にかけて開催された国際プロレスの「ビッグ・ウインター・シリーズ」のリングでした。初来日となったローデスは、シングルマッチでアニマル浜口やサンダー杉山といった並み居る強豪を次々と撃破し、その圧倒的な実力を日本のファンに見せつけます。勢いに乗るローデスは12月9日、姫路市厚生会館にて、ノンタイトルマッチながら当時のIWA認定世界ヘビー級王者であった小林と初対決を迎えました。試合は30分18秒に及ぶ息詰まるロングマッチとなり、最後は小林が体固めで勝利を収めたものの、ローデスの底知れぬ実力が証明された一戦となりました。そのわずか2日後、12月12日のシリーズ最終戦(飯能大会)において、ローデスは小林の保持するIWA王座に満を持して挑戦します。しかし、絶対王者として君臨していた小林の壁は厚く、結果は2-0のストレート負け。第4代王者である小林が、7度目の防衛に成功する結果となりました。

 次にローデスが国際プロレスのマットに招かれたのは、昭和48(1973)年6月から7月に開催された「ビッグ・サマー・シリーズ」です。この時ローデスは、相棒のディック・マードックとともに伝説のタッグチーム「テキサス・アウトローズ」を復活させての参戦となり、日本のマット界に大きな嵐を巻き起こしました。シリーズ第2戦となった6月19日、笠間市民体育館にて、ローデスは再び小林の持つIWA世界王座に挑戦。意地がぶつかり合う3本勝負となりましたが、2-1で惜しくも敗れ、またしても至宝奪取はなりませんでした。この時、小林は実に22度目の防衛という金字塔を打ち立てています。

 しかし、ローデスもただでは起き上がりません。そのわずか2日後の6月21日、上越市厚生市民館で行われたノンタイトルマッチでは、執念のピンフォールを奪い小林から快勝を収めます。さらにその2日後の6月23日、米沢市営体育館において、因縁に決着をつけるべく両者による時間無制限1本勝負の「金網デスマッチ」が敢行されました。文字通りの血みどろの死闘となりましたが、最後は小林が22分20秒、ノックアウト勝ちを収めて執念を見せつけます。その後も7月14日に山口県萩市で4度目のシングルマッチが行われましたが、こちらは11分36秒、激しい場外戦の末に両者リングアウトで引き分けに終わっています。なお、このシリーズで小林は3度も世界王座の防衛戦を行う強行軍でしたが、2回目と3回目の防衛戦はマードック、そしてラッシャー木村に挑戦権を奪われる形となり、ローデスが再び王座に挑戦する機会はこのシリーズ中には訪れませんでした。

 運命が大きく動いたのは昭和49(1974)年2月。小林が電撃的に国際プロレスを離脱し、新日本プロレスのマットでアントニオ猪木との世紀の対決を果たします。惜しくも敗れた小林は、心機一転、己を磨き直すために海外遠征へと旅立ちました。米国フロリダの地へ渡った小林は、素顔を隠し、不気味な覆面レスラー「コリアン・アサシン」へと変身します。

 偶然にも、そのテリトリーで当時「アメリカン・ドリーム」として破竹の勢いでスター街道を突き進んでいたのが、かつての好敵手ダスティ・ローデスでした。ローデスはフロリダ地区のフラッグシップタイトルであるNWA認定南部ヘビー級王座をジョー・ルダックから奪取。その後、パク・ソンに王座を奪われるトラブルに見舞われるも、判定が覆り王座は空位に。再戦で再びパクを破って王者に返り咲くなど、名実ともにフロリダのトップとして君臨していました。

 この地で、王者ローデスに「コリアン・アサシン」こと小林が挑む興行が、7月2日、8日、9日のわずか1週間の間に3回も組まれることになります。7月2日のタンパでのライトアウトマッチ、7月8日のオーランドでの南部ヘビー級選手権、そして7月9日のタンパでのテキサスデスマッチ。かつて日本でしのぎを削った2人でしたが、アメリカの過酷な環境で急速に急成長を遂げ、現地の熱狂的な大歓声を背負うローデスの前に、小林はまさかの3連敗を喫してしまいます。さらに同月23日にはタンパでマスクト・バウンティ・ハンターに変身したローデスと小林のマスク剥ぎマッチが行われ、ここでも小林が敗北してしまいます。

 その後、ローデスが主戦場を全日本プロレスへと移したため、新日本プロレスを主戦場とする小林との対戦の系譜は一度途絶えることとなりました。ファンが首を長くして待つ中、昭和54(1979)年10月、ついにローデスが新日本プロレスのリングに登場します。しかし、この時はタッグマッチや6人タッグマッチで3回激突したものの、ファンが熱望したシングルマッチが組まれることはありませんでした。

 そして翌昭和55(1980)年5月、ローデスが新日本の「第3回MSGシリーズ」に参戦したことで、ついに運命の再戦の火蓋が切って落とされます。5月19日、宮城県中新田町民総合体育館で行われた公式リーグ戦。これが、両者にとって生涯最後の一騎打ちとなりました。小林もかつての雪辱を果たすべく、日本のファンの前で意地の善戦を見せましたが、フロリダでのリベンジを果たすことは叶わず、6分11秒、片エビ固めに沈みました。

 この年の暮れに開催された「第1回MSGタッグリーグ戦」にもローデスは参加したものの、小林との対戦は実現しませんでした。さらに、昭和56(1981)年5月の「第4回MSGシリーズ」にローデスが来日した際、小林はメキシコおよび米国東部地区(WWF)への遠征中であり、すれ違いが続きます。

 そして同年10月9日に開幕した「闘魂シリーズ」の最中に、小林はかねてより痛めていた腰椎椎間板ヘルニアを悪化させてしまい、無念の長期欠場に入ることとなります。そのままリングへ戻ることなく現役を引退したため、両雄が再び相まみえる機会は永遠に失われてしまいました。

[昭和46(1971)年]

ビッグ・ウインター・シリーズ(国際プロレス)

 昭和46(1971)年12月9日(木曜日)、兵庫県姫路市/姫路市厚生会館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
  ストロング小林(30分18秒、体固め)ダスティ・ローデス
   ※S小林はIWA認定世界ヘビー級王者。

 昭和46(1971)年12月12日(日曜日)、埼玉県飯能市/飯能市民体育館
□IWA認定世界ヘビー級選手権試合(61分3本勝負)、レフェリー:阿部脩
  ストロング小林(2-0)ダスティ・ローデス
   ①小林(12分50秒、逆エビ固め)ローデス
   ②小林(4分48秒、リングアウト)ローデス
   ※第4代王者S小林が7度目の防衛に成功する。

[昭和48(1973)年]

ビッグ・サマー・シリーズ(国際プロレス)

 昭和48(1973)年6月19日(火曜日)、茨城県笠間市/笠間市民体育館
□IWA認定世界ヘビー級選手権試合(61分3本勝負)、レフェリー:阿部脩
  ストロング小林(2-1)ダスティ・ローデス
   ①小林(10分7秒、反則勝ち)ローデス
   ②ローデス(0分57秒、体固め)小林
   ③小林(4分20秒、体固め)ローデス
   ※第4代王者S小林が22度目の防衛に成功する。

 昭和48(1973)年6月21日(木曜日)、新潟県上越市/上越市厚生市民館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ダスティ・ローデス(12分55秒、体固め)ストロング小林
   ※S小林はIWA認定世界ヘビー級王者。

 昭和48(1973)年6月23日(土曜日)、山形県米沢市/米沢市営体育館
□金網デスマッチ/ノンタイトル(時間無制限1本勝負)
  ストロング小林(22分20秒、ノックアウト)ダスティ・ローデス
   ※S小林はIWA認定世界ヘビー級王者。

 昭和48(1973)年7月14日(土曜日)、山口県萩市/萩鉄工センター協業組合グラウンド
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ストロング小林(11分36秒、両者リングアウト)ダスティ・ローデス
   ※S小林はIWA認定世界ヘビー級王者。

[昭和49(1974)年]

チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ(CWF)

 昭和49(1974)年7月2日(火曜日)
 米国/フロリダ州タンパ/フォート・ホーマー・ヘスタリー・アーモリー
□ライトアウトマッチ
  ダスティ・ローデス(勝ち)コリアン・アサシン
   ※D・ローデスはNWA認定[フロリダ地区]南部ヘビー級王者。K・アサシンの正体はストロング小林。

 昭和49(1974)年7月8日(月曜日)
 米国/フロリダ州オーランド/オーランド・スポーツ・スタジアム
□NWA認定[フロリダ地区]南部ヘビー級選手権試合
  ダスティ・ローデス(勝ち)コリアン・アサシン
   ※D・ローデスが王座防衛に成功する。

 昭和49(1974)年7月9日(火曜日)
 米国/フロリダ州タンパ/フォート・ホーマー・ヘスタリー・アーモリー
□テキサスデスマッチ
  ダスティ・ローデス(勝ち)コリアン・アサシン
   ※D・ローデスはNWA認定[フロリダ地区]南部ヘビー級王者。

 昭和49(1974)年7月23日(火曜日)
 米国/フロリダ州タンパ/フォート・ホーマー・ヘスタリー・アーモリー
□シングルマッチ/マスクvsマスク
  マスクト・バウンティ・ハンター(勝ち)コリアン・アサシン
   ※M・B・ハンターの正体はダスティ・ローデス。

[昭和55(1980)年]

第3回MSGシリーズ(新日本プロレス)

 昭和55(1980)年5月19日(月曜日)、宮城県中新田町/中新田町町民総合体育館
□MSGシリーズリーグ戦(45分1本勝負)
  ダスティ・ローデス(6分11秒、片エビ固め)ストロング小林

 国際プロレスでの若き日の至宝を巡る攻防、米国フロリダでの覆面越しの一騎打ち、そして新日本プロレスでのベテランとしての最終決戦。ストロング小林とダスティ・ローデスの戦いは、まさに昭和プロレスのダイナミズムを体現したものでした。

 団体の移籍や国境の壁に翻弄されながらも、リングに上がれば常に超一流のプロレスリングを展開した2人。彼らが刻んだ激闘の歴史は、今もなお、昭和プロレス激闘史の輝かしい1ページとして、色褪せることなく語り継がれています。

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