海外のプロレス掲示板を閲覧していた際、非常に興味深い書き込みを見つけました。昭和31(1956)年4月2日に、横浜の米軍基地でプロレスの興行が開催されていたというのです。
この年の動向を振り返ると、1月9日には日本プロレスリングセンターにおいて、芳の里対ユセフ・トルコによる「日本ライトヘビー級選手権予選トーナメント」の決勝戦が行われています。これは前年の12月26日に開催予定だったものの、トルコの負傷によって延期されていた試合でした。また、3月31日には東京都墨田区で戦争犠牲者遺族の慰問興行が行なわれています。これらに引き続いて、シャープ兄弟が再来日する「マナスル登山基金募集、プロレスリング国際大試合」が4月24日から始まった、というのがこれまでの認識でした。しかし、実はその慰問試合のわずか2日後に、もう一つの興行が存在していたのです。
この興行に関する情報は、当時の日本の新聞からは見つけることができませんでした。そこで、日本や韓国、ハワイ、グアムなどの米軍基地内で購読されていた英字紙「パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス(Pacific Stars and Stripes)」を調査したところ、2本の貴重な記事を発見することができました。
一つ目は、3月24日付の紙面です。そこには、横浜技術廠相模工廠(Yokohama Engineering Depot)の体育館で開催される興行について、リングサイド席の切符が残りわずかである旨が報じられています。

記事によると、チケット販売の責任者はジョン・デラニーという人物で、タイニー・アルフォードの談話として「8米国人レスラーが力道山門下のレスラーと対戦する」と紹介されています。ただし、アルフォード自身は負傷しているため、身代わりに厚木基地のミスター・モトが羅生門と対戦すると語っています。
この「タイニー・アルフォード」は、おそらくトニー・アルフォードのことだと思われます。現在収集している公式記録において、アルフォードの名が登場するのはこの年の5月24日に開催された川崎大会(マナスル登山基金募集、プロレスリング国際大試合第21戦)が最初です。しかし、当時は公式記録に残らない小規模な興行が行われており、アルフォードもそこに参加していたと考えれば辻褄が合います。

興行翌々日の4月4日付の新聞には、試合結果が掲載されていました。1200人の観衆を集めて行われた興行は、シングルマッチ2試合、タッグマッチ1試合の合計3試合という、小規模な構成でした。当初は8人のアメリカ人レスラーが参戦予定でしたが、実際に来場したのは半数の4人にとどまっています。日本側からは、芳の里、駿河海、阿部修、羅生門の4人が出場しました。
昭和31(1956)年4月2日(月曜日)、神奈川県相模原市/横浜技術廠相模工廠体育館
観衆:1200人
1)シングルマッチ(1本勝負)
レッド・ミラー(逆腕固め)羅生門
2)シングルマッチ(3本勝負)
芳の里(2-1)ダッチ・ガラック
①ガラック(勝ち)芳の里
②芳の里(勝ち)ガラック
③芳の里(勝ち)ガラック
3)タッグマッチ(3本勝負)
駿河海&阿部修(1-1)キング・ジャック&P・Y・チャン
①阿部の勝ち
②ジャックの勝ち
③駿河海組(時間切れ)ジャック組
今回の発見により、いくつかの新しい史実が浮かび上がってきました。
キング・ジャックは前年のアジア選手権シリーズに参戦していますが、P・Y・チャン(のちのトージョー・ヤマモト)がこの時期に日本プロレスの関連興行に出場していたというのは、これまでにない初確認の情報です。なお、アルフォードが予告していたミスター・モトは不参加でした。
また、レッド・ミラーについても、従来の記録では4月24日からの「マナスル登山基金募集、プロレスリング国際大試合」が初参加とされていましたが、それよりも一足早く日本プロレスのリングに上がっていたことが判明しました。過去の考察『リングを駆けた米軍潜水兵!「レッド・ミラー」もう一つの戦い』では彼の本名をハリー・ミラーと紹介しましたが、今回の記事では「Red (Little David) Miller」と記載されています。もしかすると、デービッド・ミラーが本名なのかもしれません。
さらに、ダッチ・ガラック(Dutch Gerlack)という名も見られます。芳の里と対戦して敗れているこの選手は、おそらく昭和29(1954)年から日本プロレスに参戦していた「グラーク」のことでしょう。これまではジミー・グラック(Jimmy Gluck)だと思われていましたが、実際にはジミー・ガラック(Jimmy Gerlack)が正しい表記のようです。昭和29年3月9日の試合結果(毎日新聞東京版・昭和29年3月10日付)には「ジミー・ガラク」と記載されており、これが当時の新聞記事の中で最も実際の発音に近かったことが裏付けられました。

歴史研究家のHisaharu Tanabe氏によると、「Dutchというニックネームはドイツ系やオランダ系の人に付けられることが多く、Gerlackもドイツ系の姓である」とのことです。英字新聞の1行から、当時の知られざる興行の全貌と、レスラーたちの足跡が鮮やかに蘇る結果となりました。