日本のプロレス史を振り返るとき、多くの人は昭和28年(1953年)12月に結成された日本プロレス協会や、力道山と木村政彦の熱戦を思い浮かべることでしょう。しかし、その華々しい時代の幕が開く直前、日本プロレス界の礎を築くためにいち早く「プロレス興行」に打って出た先駆者たちがいました。その代表格が、山口利夫であり、そして「鬼の木村」こと木村政彦です。
昭和28(1953)年7月18日と19日、大阪府立体育会館において、力道山らに先駆けて昼夜4興行という強行軍のプロレス興行を成功させたのが山口利夫でした。この興行は「北九州水害義捐、東西重量級プロレスリング及び柔道対ボクシング試合」と銘打たれ、単なる娯楽にとどまらず、当時甚大な被害をもたらした北九州水害の復興支援という大義名分を掲げた歴史的な催しでした。

そして、この大阪興行の熱気を受け継ぐように、わずか2日後の7月21日からは、木村政彦が率いる日本競技連盟の主催による北海道ツアーがスタートします。その記念すべき初戦となった札幌市中島球場での試合には、なんと 17000人もの観衆が押し寄せた と記録されており、当時の人々がいかにこの興行に熱狂したかがうかがえます。8月4日までの期間に敢行された全4興行のスケジュールは以下の通りです。
日本競技連盟主催「柔道対レスリング、柔道対ボクシング、国際対抗試合
昭和28年7月21日(火曜日)、北海道札幌市/札幌市中島球場
昭和28年7月29日(水曜日)、北海道小樽市/小樽市営桜ヶ丘球場
昭和28年7月30日(木曜日)、北海道旭川市/旭川市営近文公園陸上競技場
昭和28年8月4日(火曜日)、北海道函館市/函館千代ヶ台球場

この北海道ツアーにおける最大の注目は、多彩な国際色豊かな布陣で行われた対決でした。全興行を通じて、メインエベントには地中海沿岸ヘビー級王者と紹介されたトルコ人のキング・サッファーが立ち塞がり、木村政彦と激突しました。さらにセミファイナルでは、同じくトルコ人らしいウェルター級王者のキラー・マキシムに、市川登が挑むという2大決戦が組まれていました。当時の公式な試合結果には「レスリングルール」と明記されていることから、看板こそ「柔道対レスリング」ではあったものの、実質的には現代でいう本格的なプロレスの試合が行われていたと推記されます。
また、これらの興行を大いに盛り上げる前座試合として、当時はやっていた柔道家とボクサーによる「柔拳(じゅうけん)マッチ」も組み込まれていました。ボクシング側からはクレバー・マック(イタリア)、ワイルド・フランク(フランス)、ストレート・ジョニー(トルコ)、そして後に日本のテレビ界で名タレントとしてお茶の間の人気者となるロイ・ジェイムズ(アメリカ)らが参戦。これを迎え撃つ柔道側も、石井吉雄、飯田瑞穂、小山清、松岡秀雄、本郷浩、藤川雄一といった骨のある猛者たちが顔を揃え、華やかな興行に彩りを添えました。
このように、前座に柔拳が組まれるなど、純粋なプロレスだけの興行形態が完成する一歩手前の「過渡期」ではありましたが、山口利夫による大阪での試みや、木村政彦らによる海外の強豪を呼び寄せたスタジアム巡業は、間違いなくその後の大プロレスブームの先駆的なモデルケースとなったのです。
昭和28年7月21日(火曜日)、北海道札幌市/札幌市営中島球場
試合開始:午後6時、観衆:17000人
1)柔道対ボクシング(3回戦採点制)
石井吉雄(三段)(18-12)クレバー・マック(イタリア)
2)柔道対ボクシング(3回戦採点制)
飯田瑞穂(18-16)ワイルド・フランク(フランス)
3)柔道対ボクシング(3回戦採点制)
小山清(五段)(19-16)ロイ・ジェイムズ(アメリカ)
4)柔道対ボクシング(3回戦採点制)
ストレート・ジョニー(トルコ)(37-28)松岡秀雄(五段)
5)柔道対レスリング(レスリングルール、試合時間30分)
市川登(六段)(引き分け)キラー・マキシム(トルコ)
※K・マキシムはトルコウェルター級王者。
6)柔道対レスリング(レスリングルール、試合時間40分)
木村政彦(八段)(19分29秒、エビ固め)キング・サッファー(トルコ)
※K・サッファーは地中海沿岸ヘビー級王者。
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