昭和32(1957)年1月、日本のプロレス界は熱狂と緊迫の渦中にありました。日本プロレスの盟主・力道山が、世界最高峰の威信を誇るNWA認定世界ヘビー級王者ルー・テーズとの歴史的な交渉を控え、渡米へのカウントダウンが始まっていたからです。その「力道山渡米壮行プロレス大会」の目玉として日本に呼び寄せられたのが、カナダが誇る怪力無双の「バイラージョン6人兄弟」の三男、アドリアン・バイラージョンでした。
この壮大なシリーズのさなか、1月18日に神奈川県横浜市のフライヤー・ジムで開催された大会は、本来であれば社会的な意義も大きい、華やかなイベントになるはずでした。主催は国際的な奉仕団体「シュライナー・クラブ」。身体障害児童救済基金を募るためのチャリティー興行だったのです。
ところが、当日ジムに集まった観衆は、わずか500人。のちに2月1日に同所で行われた興行には6000人もの大観衆が押し寄せたことからも、この「500人」という数字がいかに異常な少なさであったかが分かります。原因は、主催者側の信じられないようなミスでした。試合決定から当日までの期間が短すぎたことに加え、実務を取り仕切る幹事が病気で動けなくなり、宣伝活動がまったく行き届いていなかったのです。

誰もが耳を疑う事態が起こります。なんと、メインイベントに組まれていた力道山対アドリアン・バイラージョンの「JWA認定オールアジアヘビー級選手権試合」が、客入りの悪さを理由に突然中止となり、2月1日へと延期されてしまったのです。
しかし、不測の事態に困惑しながらも、寒い中で会場に足を運んでくれた500人の熱心なファンのため、残されたレスラーたちはリングに上がりました。入場券を2月1日の振替チケットとしてそのまま有効にすることを告げた上で、プロとしてのプライドをかけた3試合が敢行されたのです。
昭和32(1957)年1月18日(金曜日)、神奈川県横浜市/フライヤー・ジム
試合開始:午後7時、観衆:500人
「シュライナー・クラブ主催、身体障害児童救済基金募集プロ・レスリング」
1)シングルマッチ(15分1本勝負)
金子武雄(腕取り固め)小島泰弘
※小島泰弘(ヒロ・マツダ)のデビュー戦。
2)シングルマッチ(20分1本勝負)
比嘉敏一(体固め)田中米太郎
3)タッグマッチ(45分3本勝負)
芳の里&長沢日一(2-1)阿部修&竹村正明
①阿部組(エビ固め)芳の里組
②芳の里組(体固め)阿部組
③芳の里組(体固め)阿部組
□メインエベントの「力道山対アドリアン・バイラージョン」の「JWA認定オールアジアヘビー級選手権試合(61分3本勝負)」は2月1日に延期される。
この寒々しい500人の観客の前で行われた第1試合に、日本プロレス界の未来を大きく変える名前が刻まれていました。小島泰弘──のちにアメリカ・フロリダを中心に「ヒロ・マツダ」の名で世界的な大スターとなり、あのハルク・ホーガンやレックス・ルガーを育て上げる伝説の名レスラーの、これが公式なデビュー戦だったのです。金子武雄の「腕取り固め」に沈み、ほろ苦い黒星発進となったものの、若き小島の胸には世界へ羽ばたく闘志が静かに燃えていました。
のちにマツダはアメリカへと渡り、ジュニアヘビー級の戦線で世界の頂点を極めることになります。鳥人と呼ばれたダニー・ホッジや、実力者ケン・マンテルといった並み居る強豪たちを破り、世界最高峰の権威である「NWA認定世界ジュニアヘビー級王座」に2回も君臨するという大偉業を成し遂げるのです。その輝かしい世界王座への栄光の道のりは、まさにこの横浜の小さな一歩から始まっていました。
実は、この横浜大会以前にも、小島はリングを経験していました。当時、未だ米国統治下にあった沖縄の那覇市・久茂地広場で開催された2連戦において、小島は米軍兵士らの飛び入り希望者を相手に、エキシビションマッチという名の洗礼を与えていたのです。嘉手納航空隊の屈強な兵士らを次々と体固めで一蹴したこの沖縄の経験こそが、マツダにとっての実戦の原点だったと言えるでしょう。
その後、小島は日本国内の各地で、相撲出身の怪力吉田川らと激しい時間切れ引き分けの肉弾戦を演じ、その実力を磨いていきました。昭和35(1960)年に日本プロレスを退団し、新天地アメリカへと渡るまでの短い日本での足跡は、未だ多くの謎に包まれています。現在までに判明している、若き日の小島泰弘の国内戦績は以下の通りです。
昭和32(1957)年1月12日(土曜日)、米国領沖縄、那覇市/久茂地広場
□エキシビションマッチ(20分1本勝負)
小島泰弘(3分15秒、体固め)ポール・ケーモース
※P・ケーモースは飛び入り。嘉手納航空隊の兵士。
同日/同所
□エキシビションマッチ(1本勝負)
小島泰弘(6分47秒、体固め)奥間政文
※奥間政文は飛び入り。
昭和32(1957)年1月13日(日曜日)、米国領沖縄、那覇市/久茂地広場
□エキシビションマッチ(1本勝負)
小島泰弘(4分50秒、体固め)ポール・マセス
※P・マセスは飛び入り。
昭和32(1957)年1月18日(金曜日)、神奈川県横浜市/フライヤー・ジム
□シングルマッチ(15分1本勝負)
金子武雄(腕取り固め)小島泰弘
※小島泰弘(ヒロ・マツダ)のデビュー戦。
昭和32(1957)年1月25日(金曜日)、神奈川県相模原市/横浜技術廠相模工廠体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
小島泰弘(時間切れ)吉田川
昭和32(1957)年1月31日(木曜日)、東京都立川市/西立川体育館(立川航空基地内)
□シングルマッチ(20分1本勝負)
小島泰弘(時間切れ)吉田川
※「30分1本勝負」と記載されている資料もある。
昭和32(1957)年2月1日(金曜日)、神奈川県横浜市/フライヤー・ジム
□シングルマッチ(10分1本勝負)、レフェリー:九州山義雄
小島泰弘(時間切れ)玉ノ川
昭和32(1957)年4月25日(木曜日)、長野県小諸市/日本国有鉄道小諸駅前
□シングルマッチ(20分1本勝負)
小島泰弘(時間切れ)吉田川
昭和32(1957)年7月6日(土曜日)、東京都中央区/日本プロレス・センター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
ユセフ・トルコ(11分50秒、逆腕固め)小島泰弘
力道山という巨星の影で、ひっそりと、しかし力強く産声をあげた「ヒロ・マツダ」のプロレス人生。わずか500人の観客の前で始まったその一歩が、やがて世界の頂点へとつながっていくプロレス界のロマンは、いまもなお色褪せることなく、私たちの心を揺さぶり続けています。今後のさらなる調査によって、この偉大な足跡に新たな光が当てられることが期待されます。