昭和プロレスの激闘史において、ファンに強烈な印象を残したライバル関係といえば、「原爆頭突き」の大木金太郎と、「殺人鬼」の異名を持つキラー・カール・コックスによる12年越しの抗争が挙げられます。
2人の果てしなき戦いの火蓋が切られたのは、大木にとって2度目となる海外遠征中、昭和39(1964)年9月のテキサス州ヒューストンでのことでした。当時、NWA認定テキサスブラスナックルズ王者として君臨していたコックスの圧倒的な強さの前に、大木は完敗を喫し、続くダラスでの再戦でも軍門に下るという苦難のスタートとなったのです。しかし、大木はヒューストンでのハリケーンフェンスマッチで待望の初勝利を挙げると、続くハンディキャップマッチでもルールを活かして勝利をもぎ取り、互角のライバル関係を築き始めました。
その後、昭和41(1966)年5月にコックスが初来日を果たすと、プロレス界に大激震が走ります。十八番である必殺のブレーンバスタードロップによって吉村道明をノックアウトし、担架で運ばれる吉村の姿に日本中が恐怖のどん底に叩き落とされたのです。コックスは2シリーズ続けてオールアジアタッグ王座を強奪し、世界の巨頭であるジャイアント馬場ともシングルマッチで1勝1敗の五分に渡り合う大暴れを見せました。
この恐怖のシリーズを欠場していた大木は、同年7月9日、みずからの本拠地である韓国・ソウルにコックスを招聘します。前年に獲得した大切な宝であるWWA認定極東ヘビー級王座の4度目の防衛戦の相手として、この最強の宿敵を指名したのです。アメリカから始まり、日本中を震撼させた宿敵との決戦の火蓋が、いま再びソウルの地で切って落とされます。
[昭和39(1964)年]
=NWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)、ヒューストン・オフィス=
昭和39(1964)年9月18日(金曜日)
米国/テキサス州ヒューストン/サム・ヒューストン・コロシアム
□シングルマッチ
キラー・カール・コックス(勝ち)大木金太郎
※K・K・コックスはNWA認定テキサスブラスナックルズ王者。
昭和39(1964)年9月29日(火曜日)
米国/テキサス州ダラス/ダラス・スポータトリアム
□シングルマッチ
キラー・カール・コックス(勝ち)大木金太郎
※K・K・コックスはNWA認定テキサスブラスナックルズ王者。
昭和39(1964)年10月2日(金曜日)
米国/テキサス州ヒューストン/サム・ヒューストン・コロシアム
□ハリケーンフェンスマッチ
大木金太郎(勝ち)キラー・カール・コックス
※K・K・コックスはNWA認定テキサスブラスナックルズ王者。
昭和39(1964)年10月28日(水曜日)
米国/テキサス州サンアントニオ/レッスルソン
□ハンディキャップマッチ
大木金太郎(1-0)キラー・カール・コックス
※制限時間内にコックスが勝つことができない場合は大木金太郎の勝ちとなるルール。「14分0秒、時間切れ」となったため、大木の勝ちとなる。
[昭和41(1966)年]
=大韓プロレス協会=
昭和41(1966)年7月9日(土曜日)、大韓民国/ソウル特別市/奨忠体育館
□WWA認定極東ヘビー級選手権試合(3本勝負)、レフェリー:沖識名
金一(2-0)キラー・カール・コックス
※初代王者金一(大木金太郎)が4度目の防衛に成功する。
[昭和42(1967)年]
=WWA(ワールドワイド・レスリング・アソーシエーツ)=
昭和42(1967)年6月16日(金曜日)
米国/カリフォルニア州ロサンゼルス/オリンピック・オーデトリアム
□WWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分3本勝負)
大木金太郎(2-0)キラー・カール・コックス
①大木(16分18秒、反則勝ち)コックス
②大木(5分12秒、体固め)コックス
※第21代王者大木金太郎が3度目の防衛に成功する。大木の保持するWWA認定極東ヘビー級王座は賭けられていない
[昭和43(1968)年]
=第3回ダイヤモンド・シリーズ(日本プロレス)=
昭和43(1968)年10月3日(木曜日)、福島県原町市/原町市民体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
キラー・カール・コックス(10分18秒、体固め)大木金太郎
[昭和46(1971)年]
=第13回ワールド大リーグ戦(日本プロレス)=
昭和46(1971)年4月27日(火曜日)、福岡県大牟田市/大牟田市立体育館
□ワールドリーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
キラー・カール・コックス(8分51秒、エビ固め)大木金太郎
※大木金太郎はNWA認定オールアジアヘビー級王者。
昭和46(1971)年5月6日(木曜日)、神奈川県横浜市/横浜文化体育館
□ワールドリーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
大木金太郎(時間切れ)キラー・カール・コックス
※大木金太郎はNWA認定オールアジアヘビー級王者。
[昭和47(1972)年]
=インターナショナル選手権シリーズ(日本プロレス)=
昭和47(1972)年12月13日(水曜日)、愛知県豊橋市/豊橋市体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分3本勝負)
大木金太郎(2-1)キラー・カール・コックス
①大木(8分46秒、体固め)コックス
②コックス(6分7秒、体固め)大木
③大木(2分5秒、体固め)コックス
※大木金太郎はNWA認定インターナショナルヘビー級&NWA認定オールアジアヘビー級王者。
[昭和48(1973)年]
=サマー・アクション・シリーズ(全日本プロレス)=
昭和48(1973)年7月11日(水曜日)、愛知県蒲郡市/蒲郡市民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
大木金太郎(11分50秒、両者リングアウト)キラー・カール・コックス
※大木金太郎はNWA認定インターナショナルヘビー級&NWA認定オールアジアヘビー級王者。
昭和42(1967)年のロサンゼルスでのWWA認定世界ヘビー級王座の防衛戦においては、大木は2-0のストレート勝ちで防衛に成功します。しかしその後、コックスも日本プロレスのリングで反撃に出て、ダイヤモンド・シリーズ(大木の1敗)やワールド大リーグ戦(大木の1敗1分け)で高い壁として立ち塞がりました。
馬場・猪木の二大巨頭が抜けた日本プロレスでエースとなった大木は、昭和47(1972)年12月にノンタイトルで2-1で快勝して意地を見せます。翌年に舞台を全日本プロレスへと移し、ふたりの最後のシングル戦は両者リングアウトに終わりました。そして昭和51(1976)年12月8日、岐阜市民センターにて両者の最後の戦いとなるタッグマッチが行われ、インターナショナルタッグ王者チームの大木金太郎、キム・ドク(戸口正徳)組がキラー・カール・コックス、ディック・マードック組をノンタイトルマッチで見事に破り、12年に及ぶ2人の激闘の歴史に終止符を打ちました。