日本のプロレス界に不滅の足跡を残した「日本プロレス界の父」こと力道山。大相撲の関脇からプロレスへと転身した彼が、まだ見ぬ強豪たちがひしめく本場アメリカの地へ初めて足をふみ入れたのは、昭和27(1952)年2月のことでした。翌年3月までにおよぶ長期の海外遠征の中で、力道山は数々の巨漢レスラーを相手に、文字通り血みどろの激闘をくり広げていくことになります。
この歴史的な初遠征において、力道山がシングルマッチで苦杯をなめさせられた相手は、わずか3人しか存在しません。アメリカンフットボールの超一流スターから転身した屈強なレオ・ノメリーニ、のちに「鉄人」と称されプロレス界の頂点に君臨するルー・テーズ、そして、不気味な覆面を被って怪奇派として恐れられていた「レッド・スコーピオン」です。
このレッド・スコーピオンこそが、のちに日本マット界でも力道山の最大のライバルの一人となる、トム・ライスその人でした。
力道山がこの初遠征で最初に敗れた相手が、まさにこの覆面男ライスだったのです。しかも力道山は、彼の不気味なラフファイトを前にまさかの2連敗を喫してしまいます。帰国直前の執念の1戦でなんとか1勝をもぎ取ったものの、通算成績では負け越したまま、初めてのアメリカ遠征を終えることとなりました。若き日の力道山にとって、ライスの存在はまさに「高くそびえ立つ超えるべき壁」として、その胸に深く刻み込まれたのです。
ふたりの因縁は、これで終わりではありませんでした。昭和29(1954)年、2度目の渡米を果たした力道山は、カリフォルニア州のリングで再びライスと対峙します。このときは3回にわたって激突したものの、互いの意地とプライドが激しくぶつかり合い、すべて時間切れの引き分けに終わりました。決着はまたしてもお預けとなり、ふたりのライバル関係はよりいっそう深いものへと昇華していったのです。
そして昭和31(1956)年、満を持して力道山が動きます。かつて自身を苦しめた宿敵ライスを日本へ招聘し、「プロレス世界選手権挑戦者決定戦」という壮大なシリーズを開催したのです。
このシリーズは、当時の世界の最高峰であった、ルー・テーズが保持するNWA認定世界ヘビー級王座への挑戦権をかけるという、日本のファンを熱狂させる壮大なコンセプトのもとで行われました。かつてアメリカの地で辛酸をなめさせられた力道山にとって、日本のファンの前でライスを破り、世界への切符を手にすることこそが至上命題だったのです。この緊迫したシリーズにおいて、ふたりは4回ものシングルマッチを行い、日本中を熱狂の渦に巻き込みました。
海の向こうアメリカでの対決から、日本のファンの前での大勝負へ。今回は、プロレスの黎明期を鮮やかに彩った、力道山とトム・ライスによる緊迫の「全10回におよぶシングルマッチ」のドラマを、その激闘の歴史とともにじっくりと振り返ってみたいと思います。
[昭和27(1952)年]
ミッド=パシフィック・プロモーション
昭和27(1952)年5月11日(日曜日)
米国/ハワイ州ホノルル/ホノルル・シビック・オーデトリアム
□NWA認定ハワイヘビー級王座挑戦者決定戦(45分3本勝負)、レフェリー:フランク・メリル
レッド・スコーピオン(2-1)力道山
①力道山(17分50秒、フォール勝ち)スコーピオン
②スコーピオン(23分10秒、逆エビ固め)力道山
③スコーピオン(0分23秒、試合放棄)力道山
※R・スコーピオン(正体はトム・ライス)は5月18日にラッキー・シモノビッチの保持するNWA認定ハワイヘビー級王座への挑戦権を獲得する。
昭和27(1952)年6月1日(日曜日)
米国/ハワイ州ホノルル/ホノルル・シビック・オーデトリアム
□シングルマッチ/ノンタイトル(時間無制限1本勝負)、レフェリー:フランク・メリル
レッド・スコーピオン(19分40秒、逆エビ固め)力道山
※R・スコーピオンはNWA認定ハワイヘビー級王者。
[昭和28(1953)年]
ミッド=パシフィック・プロモーション
昭和28(1953)年2月8日(日曜日)
米国/ハワイ州ホノルル/ホノルル・シビック・オーデトリアム
□シングルマッチ(45分3本勝負)
力道山(2-1)トム・ライス
①力道山(19分0秒、裸締め)ライス
②ライス(7分52秒、逆エビ固め)力道山
③力道山(3分40秒、裸締め)ライス
[昭和29(1954)年]
NWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)、サンフランシスコ・オフィス
昭和29(1954)年1月5日(火曜日)
米国/カリフォルニア州サンフランシスコ/ウィンターランド・ボールルーム
□シングルマッチ(45分3本勝負)
力道山(1-1)トム・ライス
③力道山(時間切れ)ライス
昭和29(1954)年2月1日(月曜日)
米国/カリフォルニア州サクラメント/サクラメント・メモリアル・オーデトリアム
□シングルマッチ(45分3本勝負)
力道山(1-1)トム・ライス
③力道山(時間切れ)ライス
昭和29(1954)年2月2日(火曜日)
米国/カリフォルニア州サンフランシスコ/ウィンターランド・ボールルーム
□シングルマッチ(30分1本勝負)
力道山(時間切れ)トム・ライス
[昭和31(1956)年]
プロレス世界選手権挑戦者決定戦(日本プロレス)
昭和31(1956)年7月23日(月曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□NWA世界王座挑戦者決定戦/ノンタイトル(61分3本勝負)、レフェリー:九州山
力道山(1-1)トム・ライス
①ライス(40分19秒、腕取り足固め)力道山(リバース・インディアン・デスロック+サーフボード・ストレッチ)
②力道山(4分51秒、体固め)ライス
③力道山(時間切れ)ライス
※力道山は日本ヘビー級&JWA認定アジアヘビー級王者で、T・ライスはNWA認定パシフィックコーストヘビー級王者。
昭和31(1956)年8月4日(土曜日)、京都府京都市/キョートアリーナ
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分3本勝負)、レフェリー:九州山
力道山(2-1)トム・ライス
①力道山(4分20秒、体固め)ライス
②ライス(8分30秒、逆エビ固め)力道山
③力道山(6分20秒、反則勝ち)ライス
※力道山は日本ヘビー級&JWA認定アジアヘビー級王者で、T・ライスはNWA認定パシフィックコーストヘビー級王者。
昭和31(1956)年8月5日(日曜日)、奈良県橿原市/奈良県立橿原公苑野外公堂
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分3本勝負)、レフェリー:九州山
力道山(2-1)トム・ライス
①ライス(27分12秒、逆エビ固め)力道山
②力道山(4分15秒、体固め)ライス
③力道山(6分7秒、逆エビ固め)ライス
※力道山は日本ヘビー級&JWA認定アジアヘビー級王者で、T・ライスはNWA認定パシフィックコーストヘビー級王者。
昭和31(1956)年9月1日(土曜日)、東京都大田区/田園コロシアム
□NWA認定パシフィックコーストヘビー級選手権試合(61分3本勝負)、レフェリー:九州山
力道山(2-1)トム・ライス
①ライス(25分39秒、逆エビ固め)力道山
②力道山(6分21秒、逆エビ固め)ライス
③力道山(0分0秒、試合放棄)ライス
※T・ライスが王座防衛に失敗。力道山が新王者となる。力道山は日本ヘビー級&JWA認定オールアジアヘビー級王者。
力道山とトム・ライスによる、全10回におよぶシングルマッチの軌跡はいかがでしたでしょうか。
昭和20年代から30年代にかけてくり広げられたふたりの死闘は、単なるプロレスの一試合という枠を超え、戦後日本の復興期における人々の生きる活力そのものでした。まだテレビが街頭にしかなく、白黒の画面に日本中が釘付けになっていたあの時代。海の向こうハワイの地で、不気味な覆面男「レッド・スコーピオン」として力道山の前に立ちはだかったライスは、昭和31(1956)年には素顔の強豪として日本のリングに君臨し、ふたたび日本中を恐怖と興奮の渦に巻き込んだのです。
異国の地での敗戦という悔しさから始まり、国内での大熱狂のシリーズ、そして最後は田園コロシアムでの劇的な王座奪取。ふたりの戦いは、まさにプロレス黎明期を鮮やかに彩った極上の大河ドラマでした。ライスという高く巨大な壁があったからこそ、力道山は名実ともに「日本プロレス界の父」として、その地位を不動のものにできたと言っても過言ではありません。
リングの上に刻まれた激闘の足跡は、時が経った今もなお、私たちの胸を熱くさせます。あの伝説の時代に思いを馳せながら、日本のプロレス界を築き上げた先駆者たちの偉大な功績を、これからも大切に語り継いでいきたいと思います。