ニック・ボックウィンクル 対 テリー・ファンク

 昭和のプロレス黄金期において、日米のリングでファンを魅了した2人の偉大なレスラーがいます。 圧倒的なテクニックとクレバーなインサイドワークで「 AWAの絶対王者」として君臨したニック・ボックウィンクル。そして、魂をむき出しにしたファイトスタイルで絶大な人気を誇り、日本のファンに最も愛された「テキサスの荒馬」テリー・ファンク。

 テリーとボックウィンクルの初めての対戦は、ボックウィンクルがファンク王国の本拠地、すなわちテキサス西部地区に初めて遠征した昭和43(1968)年に行われました。この年の3月から10月に及ぶ長期遠征において、ボックウィンクルは基本的にベビー・フェイス(善玉)として活動しており、テリーやその実兄であるドリー・ファンク・ジュニアとは何度もタッグチームを結成していました。

 そんな中、たった1度だけ行われたテリーとボックウィンクルの貴重なシングルマッチが、同年9月15日にニューメキシコ州アルバカーキの地で実現します。しかし、ネットもない時代のローカルテリトリーでの一戦ということもあり、この試合の結末はいまだ謎に包まれたまま、歴史の闇に埋もれています。

 その後、ボックウィンクルは昭和50(1975)年11月8日、ミネソタ州セントポールで帝王バーン・ガニアを破り、ついに最高峰の座である AWA認定世界ヘビー級王座を獲得します。 AWA王者のサーキットコースといえば、それまではミネソタ、アイオワ、ネブラスカ、ウィスコンシン、コロラド、イリノイ、インディアナの各州や、カナダのマニトバ州あたりが定説でした。しかし、昭和52(1977)年頃からは NWAの牙城であったテキサス州のヒューストンやサンアントニオまで防衛ロードを拡大するようになります。この勢力圏の拡大に伴い、ヒューストンとサンアントニオの地で、実に9年ぶりとなる両者の対戦が組まれることとなったのです。

 テリーは昭和52(1977)年5月21日、5月29日、そして10月21日の計3回にわたり、ボックウィンクルの保持する AWA世界王座に挑戦しました。死力を尽くしたテリーでしたが、老獪なボックウィンクルの防衛技術の前に結果は2敗1分けに終わり、惜しくも王座奪取には至りませんでした。

 翌昭和53(1978)年の暮れ、戦いの舞台は太平洋を渡り、全日本プロレスの「’78世界最強タッグ決定リーグ戦」へと移ります。ここで日本のファンの前で待望の再戦が組まれました。ボックウィンクルの AWA世界王座は懸けられず、ノンタイトルマッチ(30分1本勝負)で行われたこの一戦は、互いの意地とテクニックがガッチリと噛み合い、時間切れ引き分けで決着はつきませんでした。

 さらにその5年後となる昭和58(1983)年7月、やはり全日本プロレスのマットで両者は運命の再会を果たします。「グランド・チャンピオン・カーニバルⅢ 〜テリー・ファンクさよならシリーズ〜」において、テリーの現役引退を目前に控えた最後のシングルマッチが、60分1本勝負のノンタイトル戦として行われました。超満員の札幌中島体育センター別館が揺れるほどの熱気の中、テリーは執念のリングアウト勝ちを収めます。タイトルこそ移動しなかったものの、世界王者を破るという快挙を成し遂げ、テリーは見事に有終の美を飾ったのです。

 2人はその後、昭和59(1984)年の暮れに開催された「’84世界最強タッグ決定リーグ戦」に揃って来日を果たしましたが、再びシングルマッチで相まみえることはありませんでした。最終戦となった12月12日の横浜文化体育館において、リーグ公式戦として組まれた「ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク対ハーリー・レイス&ニック・ボックウィンクル」という、これ以上ない豪華なタッグマッチが、2人が同じリングで拳を交えた最後の対戦となりました。

[昭和43(1968)年]

NWAウェスタン・ステーツ・スポーツ

 昭和43(1968)年9月15日(日曜日)
 米国/ニューメキシコ州アルバカーキ/アルバカーキ・シビック・オーデトリアム
□シングルマッチ
  ニック・ボックウインクル(結果不明)テリー・ファンク

[昭和52(1977)年]

NWAワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング

 昭和52(1977)年5月21日(土曜日)
 米国/テキサス州サンアントニオ/サンアントニオ・ミュンシパル・オーデトリアム
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合
  ニック・ボックウインクル(勝ち)テリー・ファンク
   ※第25代王者N・ボックウィンクルが王座防衛に成功する。

 昭和52(1977)年5月29日(日曜日)
 米国/テキサス州ヒューストン/ザ・サミット
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合
  ニック・ボックウインクル(時間切れ)テリー・ファンク
   ※第25代王者N・ボックウィンクルが王座防衛に成功する。

 昭和52(1977)年10月21日(金曜日)
 米国/テキサス州ヒューストン/サム・ヒューストン・コロシアム
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合(3本勝負)
  ニック・ボックウインクル(2-1)テリー・ファンク
   ③ボックウィンクル(反則勝ち)ファンク
   ※第25代王者N・ボックウィンクルが王座防衛に成功する。T・ファンクはNWA認定[ウェストテキサス地区]テキサスブラスナックルズ王者。

[昭和53(1978)年]

’78世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和53(1978)年12月7日(木曜日)、愛媛県松山市/愛媛県民館
□スペシャルシングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ニック・ボックウインクル(時間切れ)テリー・ファンク
   ※N・ボックウインクルはAWA認定世界ヘビー級王者。

[昭和58(1983)年]

グランド・チャンピオン・カーニバルⅢ~テリー・ファンクさよならシリーズ~(全日本プロレス)

 昭和58(1983)年7月12日(火曜日)、北海道札幌市/北海道立札幌中島体育センター別館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  テリー・ファンク(20分55秒、リングアウト)ニック・ボックウィンクル
   ※N・ボックウィンクルはAWA認定世界ヘビー級王者。

 2人の数奇な因縁は、戦う立場としてだけではなく、「レフェリーとレスラー」という形でもプロレス史に深く刻まれています。

 昭和59(1984)年2月23日、蔵前国技館において、ジャンボ鶴田がニック・ボックウィンクルを破り、日本人として初めて AWA認定世界ヘビー級王座を戴冠するという歴史的快挙を成し遂げました。この日本プロレス界の至宝とも言える大一番を、特別レフェリーとして厳格に、そして温かく裁いたのが他ならぬテリー・ファンクでした。さらにその3日後に行われたリターンマッチでもテリーがレフェリーを務め、緊迫した王座防衛劇をリング上から見守っています。

 かつて激しく王座を争ったライバル・ボックウィンクルが築いた厚く高い壁と、それを超えようとする鶴田の闘いを見つめ、日本プロレス界の新たな夜明けを特等席で支えたテリー。そして、最強のヒール王者として常に威風堂々と立ちはだかり続けたボックウィンクル。2人が昭和のマット界に残した気高き足跡は、今もなお、激闘の記憶とともに色褪せることなく輝き続けています。

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