坂口征二は昭和17(1942)年2月17日生まれ、明治大学柔道部の出身です。昭和42(1967)年に旭化成工業を退職すると、同年2月17日に日本プロレスへの入団を発表しました。そして同年の8月5日、カリフォルニア州サンバナディーノにおけるスティーブ・コバックス戦で待望のデビューを果たします。
一方のマサ斎藤(斎藤昌典)は、昭和17(1942)年8月7日生まれで明治大学レスリング部の出身です。坂口よりも2年早い昭和40(1965)年4月8日にプロレス転向を表明し、同年の6月3日、札幌市で行われた高崎山幹之(北沢幹之)戦でデビューを飾っています。
生まれ年も近く、同じ明治大学出身という共通点から、両者は互いに激しくライバル視し合う存在となりました。そんな二人が初めてシングルマッチで相まみえたのは、昭和49(1974)年に開催された新日本プロレスの「第1回ワールド・リーグ戦」決勝リーグ戦でした。この初対決では、坂口が豪快なアトミックドロップで斎藤からフォール勝ちを収めています。
翌昭和50(1975)年の「第2回ワールド・リーグ戦」でも両者は対戦し、今度は坂口のネックブリーカードロップが斎藤をマットに沈めました。続く昭和51(1976)年の「第3回ワールド・リーグ戦」では、坂口がリングアウトにより勝利を収めています。さらに昭和53(1978)年の「プレ日本選手権」予選リーグ戦でも坂口がリングアウト勝ちを収め、その後の3位決定戦では、斎藤のセコンドに就いていた上田馬之助が坂口の足を掴んで場外へ引きずり出すという暴挙を働いたため、坂口の反則勝ちとなりました。
初対決から坂口が意地を見せ続ける展開となりましたが、両者はその後も通算12回にわたり、日本プロレス史に残る熱いシングルマッチを繰り広げていくことになります。
[昭和49(1974)年]
第1回ワールド・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和49(1974)年4月30日(火曜日)、鹿児島県鹿児島市/鹿児島県総合体育センター体育館
□ワールドリーグ決勝リーグ戦(30分1本勝負)
坂口征二(17分11秒、体固め)マサ斎藤
[昭和50(1975)年]
第2回ワールド・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和50(1975)年5月5日(月曜日、祝日)、福岡県福岡市/福岡スポーツセンター
□ワールド・リーグ公式戦(30分1本勝負)
坂口征二(12分31秒、体固め)マサ斎藤
[昭和51(1976)年]
第3回ワールド・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和51(1976)年4月30日(金曜日)、福岡県北九州市/北九州市立小倉体育館
□ワールドリーグ戦(30分1本勝負)、レフェリー:ミスター高橋
坂口征二(9分59秒、リングアウト)マサ斎藤
[昭和53(1978)年]
プレ日本選手権(新日本プロレス)
昭和53(1978)年11月17日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□プレ日本選手権予選リーグ戦(30分1本勝負)、レフェリー:ミスター高橋
坂口征二(15分52秒、リングアウト)マサ斎藤
昭和53(1978)年12月14日(木曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□プレ日本選手権三位決定戦(45分1本勝負)
坂口征二(6分42秒、反則勝ち)マサ斎藤
※坂口征二が第3位となる。
[昭和54(1979)年]
ビッグ・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和54(1979)年3月16日(金曜日)、沖縄県那覇市/沖縄県立奥武山公園体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
坂口征二(7分52秒、反則勝ち)マサ斎藤
※坂口征二はNWF認定北米ヘビー級王者。
第2回MSGシリーズ(新日本プロレス)
昭和54(1979)年5月21日(月曜日)、長野県諏訪市/諏訪湖スポーツセンター体育館
□MSGシリーズ決勝リーグ戦/ノンタイトル(45分1本勝負)
坂口征二(13分53秒、反則勝ち)マサ斎藤
※坂口征二はNWF認定北米ヘビー級王者。
昭和54(1979)年6月5日(火曜日)、愛知県豊橋市/豊橋市体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
坂口征二(14分46秒、両者リングアウト)マサ斎藤
※坂口征二はNWF認定北米ヘビー級王者。
ブラディ・ファイト・シリーズ(新日本プロレス)
昭和54(1979)年9月4日(火曜日)、佐賀県佐賀市/佐賀スポーツセンター
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
坂口征二(10分32秒、両者リングアウト)マサ斎藤
※坂口征二はNWF認定北米ヘビー級王者。
昭和54(1979)年9月20日(木曜日)、福島県須賀川市/須賀川市体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
坂口征二(11分7秒、反則勝ち)マサ斎藤
※坂口征二はNWF認定北米ヘビー級王者。
昭和54(1979)年9月27日(木曜日)、岡山県岡山市/岡山武道館
□シングルマッチ(45分1本勝負)
坂口征二(12分38秒、反則勝ち)マサ斎藤
闘魂シリーズ(新日本プロレス)
昭和54(1979)年10月28日(日曜日)、東京都練馬区/東映東京撮影所野外スタジオ
□シングルマッチ(45分1本勝負)
坂口征二(7分10秒、反則勝ち)マサ斎藤
昭和54(1979)年11月14日(水曜日)、沖縄県平良市/宮古自動車商会駐車場
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
坂口征二(9分43秒、両者リングアウト)マサ斎藤
※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。
[昭和55(1980)年]
新春黄金シリーズ(新日本プロレス)
昭和55(1980)年1月4日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
坂口征二(5分48秒、反則勝ち)マサ斎藤
※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。
昭和55(1980)年1月21日(月曜日)、宮崎県西都市/西都市民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
坂口征二(11分14秒、反則勝ち)マサ斎藤
※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。
昭和55(1980)年1月28日(月曜日)、宮城県多賀城市/多賀城市総合体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
坂口征二(10分17秒、反則勝ち)マサ斎藤
※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。
昭和55(1980)年2月6日(水曜日)、愛知県安城市/安城市体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
マサ斎藤(11分19秒、反則勝ち)坂口征二
※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。
両者は通算17回にわたり、シングルマッチで激突しました。対戦成績は坂口の13勝(9つの反則勝ちを含む)1敗(反則負け)3分けと坂口が大きく勝ち越しているように見えます。しかし、昭和54年以降に限ってみれば、坂口の8勝(すべて反則勝ち)1敗(反則負け)3分けという結果であり、リングアウトや反則に阻まれ、純粋な3カウントやギブアップによる完全決着がついた試合は、ただの1試合もありません。不透明な決着の連続は、互いの意地と実力がどこまでも伯仲していたことの証明でもありました。
実は、2人は明治大学の同級生であり、柔道とレスリングの猛者として若き日から互いを認め合う深い絆で結ばれていました。昭和55(1980)年2月の最後の対戦ののちも、両者は同じ新日本プロレスのリングに立ち、時には熱い火花を散らしましたが、ついに1対1で戦うことはありませんでした。
しかし、運命の糸は2人を再び手繰り寄せます。それから10年後の1990年3月23日、後楽園ホールで行われた坂口征二の引退記念エキシビジョンマッチにおいて、坂口はかつての宿敵であり親友でもあるマサ斎藤をパートナーに指名したのです。かつてシングルで壮絶な闘いを繰り広げた2人が最後に同じコーナーに並び立ち、大歓声の中で共に闘い抜いた姿は、昭和プロレス史に残る珠玉の名場面として今もファンの胸に深く刻まれています。