昭和のプロレス黄金期において、異なる格闘技の背景を持つ強豪たちが四角いジャングルで火花を散らす「格闘技戦」は、ファンの胸を熱く躍らせる至高のロマンでした。その中でも、元柔道日本王者とオリンピック柔道金メダリストによる「柔道家対決」として、今なお語り継がれる伝説のライバル関係があります。それが、世界の荒鷲こと坂口征二と、オランダの赤鬼ことウィレム・ルスカの一連の激闘です。今回は、海を渡って始まった両雄の歴史的な対決から、日本国内での熱戦、そして静かに迎えた結末までの全足跡を振り返ります。
坂口征二対ウィレム・ルスカ。日本とオランダの元柔道家の夢の対決が初めて実現したのは、アメリカのWWWFのマットでした。坂口は昭和40(1965)年に全日本柔道選手権で優勝。その年にブラジルのリオデジャネイロで開催された世界柔道選手権大会に日本代表として参加し、銅メダルを獲得。一方、ルスカは昭和47(1972)年のミュンヘンオリンピックの柔道男子重量級及び無差別級の金メダリスト。
両者は昭和53(1978)年、WWWFのマットで柔道ジャケットマッチを含むシングルマッチを15戦行なっています。特に3月20日にニューヨークシティにあるマディソン・スクウェア・ガーデンで行われた一騎打ちは日本のプロレス雑誌でも詳しく報道されました。15試合の結果はルスカの3勝1敗11分けで、勝敗のついた4試合はすべて反則裁定です。
興味深いことにこのWWWF遠征において、両者は一度だけタッグを組んでいます。それは3月27日のマサチューセッツ州ボストンのボストン・ガーデンにおけるチーフ・ジェイ・ストロンボー、ピーター・メイビア組との対戦で、この試合は2-1でストロンボー組の勝利となっています。
翌昭和54(1979)年、ふたりは舞台を日本に移して対戦します。7月のサマー・ファイト・シリーズではシングルマッチで4回対戦し、坂口の2勝2分けでしたが、坂口のふたつの勝利は反則勝ちでした。なお坂口はこの年の1月に岡山でジョニー・パワーズを破ってNWA認定北米ヘビー級王座を奪っていましたが、ルスカ戦はすべてノンタイトルマッチで行われました。
同年9月21日に坂口は仙台でタイガー・ジェット・シンに敗れて王座を失いますが、11月8日に小樽でパット・パターソンを破り、第3代のWWF認定北米ヘビー級王者になります。そして12月13日、京都で日本初の坂口対ルスカの柔道ジャケットマッチが開催されます。1ラウンド4分の5ラウンドマッチは遠藤幸吉のレフェリングによって行われました。20分はあっという間に過ぎ、引き分けとなっています。これが両者の最後のシングルマッチとなりました。
昭和55(1980)年の5月2日の第3回MSGシリーズ佐賀大会で、MSGシリーズ予選トーナメント1回戦として坂口対ルスカが組まれましたが、結局ルスカはこのシリーズに参加せず、坂口の不戦勝となっています。そしてこの年の暮れに行われた第1回MSGタッグリーグ戦の第10戦名古屋大会の公式リーグ戦「坂口征二&ストロング小林対ウィレム・ルスカ&バッド・ニュース・アレン」が両者の最後の対戦となりました。
[昭和53(1978)年]
ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション(WWWF)
昭和53(1978)年3月13日(月曜日)
米国/ニューヨーク州グレンフォールズ/クィーンズベリー・ハイスクール
□シングルマッチ
ウィレム・ルスカ(反則勝ち)坂口征二
昭和53(1978)年3月14日(火曜日)
米国/ペンシルバニア州フィラデルフィア/フィラデルフィア・アリーナ
□シングルマッチ
ウィレム・ルスカ(反則勝ち)坂口征二
昭和53(1978)年3月15日(水曜日)
米国/ニューヨーク州ホワイトプレインズ/ウェスチェスター・カウンティ・シビック・センター
□柔道ジャケットマッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月17日(金曜日)
米国/ニューヨーク州ユニオンデール/ナッソー・ベテランズ・メモリアル・コロシアム
□柔道ジャケットマッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月18日(土曜日)
米国/ニュージャージー州スポッツウッド/スポッツウッド・ハイスクール
□シングルマッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月19日(日曜日)
米国/コネチカット州ニューヘブン/ニューヘブン・コロシアム
□シングルマッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月20日(月曜日)
米国/ニューヨーク州ニューヨークシティ/マディソン・スクウェア・ガーデン
□柔道ジャケットマッチ(時間無制限1本勝負)
坂口征二(10分45秒、反則勝ち)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月21日(火曜日)
米国/メーン州ポートランド/ポートランド・エキスポジション・ビルディング
□シングルマッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月22日(水曜日)
米国/メーン州バンガー/バンガー・オーデトリアム
□柔道ジャケットマッチ
ウィレム・ルスカ(反則勝ち)坂口征二
昭和53(1978)年3月23日(木曜日)
米国/コネチカット州スタンフォード/スタンフォード・ハイスクール・ジムナジアム
□シングルマッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月24日(金曜日)
米国/マサチューセッツ州ノースアトルボロ/ウィッチズ・スポーツ・アリーナ
□柔道ジャケットマッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月25日(土曜日)
米国/マサチューセッツ州スプリングフィールド/スプリングフィールド・シビック・センター
□柔道マッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月28日(火曜日)
米国/ペンシルバニア州スクラントン/カソリック・ユース・センター
□シングルマッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月29日(水曜日)
米国/ニュージャージー州ローセル/カソリック・ハイスクール・ジムナジアム
□シングルマッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
昭和53(1978)年3月30日(木曜日)
米国/ニューヨーク州ポキプシー/ミッド・ハドソン・シビック・センター
□シングルマッチ
坂口征二(引き分け)ウィレム・ルスカ
[昭和54(1979)年]
サマー・ファイト・シリーズ
昭和54(1979)年7月9日(月曜日)、岩手県一関市/一関市体育文化会館
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
坂口征二(10分33秒、反則勝ち)ウィレム・ルスカ
※坂口征二はNWA認定北米ヘビー級王者。
昭和54(1979)年7月16日(月曜日)、北海道網走市/網走市総合体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
坂口征二(9分9秒、反則勝ち)ウィレム・ルスカ
※坂口征二はNWA認定北米ヘビー級王者。
昭和54(1979)年7月23日(月曜日)、青森県南部町/南部町民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
坂口征二(11分39秒、両者リングアウト)ウィレム・ルスカ
※坂口征二はNWA認定北米ヘビー級王者。
昭和54(1979)年7月29日(日曜日)、岡山県加茂町/加茂町民グラウンド
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
坂口征二(8分13秒、両者リングアウト)ウィレム・ルスカ
※坂口征二はNWA認定北米ヘビー級王者。
格闘技世界一決定戦
昭和54(1979)年12月13日(木曜日)、京都府京都市/京都府立体育館
□柔道ジャケットマッチ/ノンタイトル(4分5ラウンド1本勝負)、レフェリー:遠藤幸吉
坂口征二(時間切れ)ウィレム・ルスカ
※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。
[昭和55(1980)年]
第3回MSGシリーズ
昭和55(1980)年5月2日(金曜日)、佐賀県佐賀市/佐賀スポーツセンター
□MSGシリーズ予選トーナメント[Aブロック]1回戦(30分1本勝負)
坂口征二(不戦勝)ウィレム・ルスカ
※坂口征二の予選トーナメント2回戦進出が決まる。
アメリカのマットから始まった坂口征二とウィレム・ルスカの闘いは、お互いのプライドが激しくぶつかり合う緊迫感に満ちていました。シングルマッチにおけるその決着の多くが反則や引き分けであったという事実は、両者の実力が完全に拮抗し、一歩も譲らない意地と意地の鬩ぎ合いであったことを物語っています。タッグ結成という意外な一面も含め、昭和のリングに強烈な足跡を刻んだ日蘭柔道王者のロマン溢れる激闘史は、これからもプロレスファンの記憶の中で鮮やかに生き続けることでしょう。