プールの上にリングが出現!昭和29年・全日本プロレス協会「三国対抗タッグマッチ」の熱狂

 昭和29年(1954年)9月25日と26日の2日間にわたり、大阪プールにおいて「日・米・土三国対抗タッグマッチ」が開催されました。この興行を主催したのは、山口利夫選手が率いる「全日本プロレス協会」です。日本、アメリカ、トルコの3か国の一流選手が集結し、栄えある「大阪府知事杯」を争うという豪華な大会でした。当時のプロレス人気の高まりを証明するように、初日のセミファイナルとメインエベントの模様は、大阪NHKテレビによって生中継されています。

 この大会最大の特色は、日本プロレス史上初となる「50メートルプールの水上にリングを設置する」という極めて斬新な試みが行われた点です。初日はあいにくの雨模様となり、客足が懸念されましたが、それでも5000人の熱心なファンが水上の熱戦に視線を送りました。そして、この初日の模様がテレビで生中継されたことが、さらなる大反響を呼び起こします。2日目には、試合開始前だというのに、なんと17000人もの大観衆が大阪プールへと詰めかけたのです。3階のスタンド席までぎっしりと人で埋め尽くされるなか、幸いにも雨は上がり、観衆は水上のリングで繰り広げられるスリル満点の熱戦に大興奮となりました。

 今大会に参加したレスラーは、国際色豊かな総勢18選手にのぼります。日本陣営からは、エースの山口利夫をはじめ、清美川梅之、長沢日一、市川登、大坪清隆、戸田武雄、山崎次郎、そして後に日本プロレス界の重鎮となる吉村道明の8選手が出場しました。対するアメリカ陣営は、ラッキー・ジャケット、ジム・グラッシュ、クローレンス・コック、ヘンリー・トラビス、チャールズ・ニッセン、タイガー・オーストン、タニー・エワーズの7選手。さらにトルコ陣営からは、タムエス・ゼノウラ、ヘンリー・ジャニー、アスカー・バンガリーの3選手が参戦しました。

 メインイベントである「大阪府知事杯争奪タッグトーナメント」に出場したのは、各国を代表する3チームです。日本からは山口利夫、清美川梅之組、アメリカからはH・トラビス、C・ニッセン組、トルコからはH・ジャニー、A・バンガリー組がエントリーしました。大会は変則的なトーナメント形式で行われ、初日にまず日本組とアメリカ組が激突し、その勝者チームが2日目に控えるトルコ組と優勝をかけて対戦するという緊迫したスケジュールで進められました。

 当時の新聞広告や報道に残されている、外国人選手たちの興味深いプロフィールも本大会の見どころです。情報の正確性には諸説あるものの、当時の世相やファンの興奮が伝わる貴重な記述をここにまとめます。

【ヘンリー・トラビス】

 アメリカ出身。身長6尺(182cm)、体重28貫(105kg)。元重量挙げのトップ選手という異色の経歴を持ち、1944年には太平洋岸ジュニアヘビー級王座を獲得した実力者です。1951年にはロサンゼルスで山口利夫選手と対戦した経験がありますが、その際は山口選手の絞め技の前に苦杯をなめています。規格外の腕力を誇り、ハンマー投げやムチ投げといった豪快な技を得意としていました。

【チャールズ・ニッセン】

 アメリカ出身。身長5尺7寸5分(174cm)、体重25貫2百(95kg)。わずか15歳でプロレスの世界に足を踏み入れました。1930年にアメリカ海兵隊に入隊すると、1931年から1939年までの長きにわたり、全米海兵隊選手権の座を保持し続けました。さらに1933年からの2年間は中国選手権を保持し、1938年にはドイツ選手権も獲得しています。当時の新聞広告では「ドイツ・上海チャンピオン」として華々しく紹介されており、日本人選手との対戦はこの大舞台が初めてとなりました。

チャールズ・ニッセン(産業経済新聞大阪版、昭和29年9月16日付朝刊第4面、大阪府立中央図書館所蔵)

【クローレンス・コック】

 アメリカ出身。身長6尺3寸(191cm)、体重29貫(109kg)。アメリカンフットボールの第一線からプロレスへと転向した巨漢です。デビュー後、わずか1年半でネブラスカ選手権を獲得するほどの天賦の才を見せ、過去80戦のうち敗北を喫したのはわずか2回だけという驚異的なレコードを引っ提げて来日しました。新聞広告では「ネブラスカ州チャンピオン」と謳われ、その巨体を活かした体当たりや首投げ、体落としを得意としていました。

クローレンス・コック(産業経済新聞大阪版、昭和29年9月16日付朝刊第4面、大阪府立中央図書館所蔵)

【アスカー・バンガリー】

 トルコ出身。身長6尺(182cm)、体重29貫(109kg)。1951年にプロ入りを果たし、翌1952年には早くも全地中海沿岸王座を獲得しました。この年(1954年)にはイラン、インド、マレー、フィリピンといったアジア・中東諸国を転戦し、30戦全勝という圧倒的な強さを見せています。新聞広告でも「地中海沿岸チャンピオン」と紹介され、切れ味鋭い体落としや首投げで鳴らしました。

アスカー・バンガリー(産業経済新聞大阪版、昭和29年9月22日付朝刊第4面、大阪府立中央図書館所蔵)

【ヘンリー・ジョニー(ヘンリー・ジャニー)】

 トルコ出身。身長5尺7寸(173cm)、体重20貫(75kg)。1946年から1949年まで、アマチュアレスリングのミドル級においてトルコ国内ランキング第3位に名を連ねた本格派です。1950年に香港でプロ転向を果たし、デビューから6戦全勝を飾りました。その素早い動きから「リス」のニックネームで親しまれ、俊敏かつ果敢なファイトスタイルで日本のファンを魅了しました。

 ここでプロレス史において非常に興味深い謎が浮かび上がります。それは、アスカー・バンガリー選手が「地中海沿岸チャンピオン」と紹介されている点です。実は、前年である昭和28年(1953年)の7月から8月にかけて北海道で行われた木村政彦選手の興行に、キング・サッファーというトルコ人レスラーが参加していますが、彼もまた「地中海沿岸ヘビー級チャンピオン」と宣伝されていました。さらに同年の12月に大阪で開催された山口利夫選手の興行でも、同じくトルコ人レスラーのサンダー・アレキが「元地中海沿岸ヘビー級チャンピオン」を名乗っていたのです。果たして当時のトルコ、あるいは中東プロレス界に、これほど多くのレスラーが冠する「地中海沿岸王座」というタイトルが実在したのか、歴史のロマンを感じさせる謎となっています。

 多くのドラマを内包した大会初日、昭和29年9月25日の全対戦カードは以下の通りです。このなかでも、第4試合に行われたジム・グラッシュ戦は、プロレス史において極めて重要な意味を持っています。なぜなら、この試合こそが、現時点(2026年10月5日現在)において発見されている、名レスラー・吉村道明選手の「国内最古の試合記録」だからです。のちに日本のプロレス界を支える巨星の、まさに原点とも言える戦いがこの大阪プールの水上で繰り広げられていたのです。

 昭和29(1954)年9月25日(土曜日)、大阪府大阪市/大阪プール
 試合開始:午後6時
1)シングルマッチ(20分1本勝負)
   山崎次郎(日本) 対 タムエス・ゼノウラ(トルコ)
2)シングルマッチ(20分1本勝負)
   大坪清隆(日本) 対 ヘンリー・ジャニー(トルコ)
3)シングルマッチ(30分1本勝負)
   戸田武雄(日本) 対 ラッキー・ジャケット(米国)
4)シングルマッチ(30分1本勝負)
   吉村道明(日本) 対 ジム・グラッシュ(米国)
    ※現時点で判明している、吉村道明選手の国内最古の試合記録
5)シングルマッチ(30分1本勝負)
   市川登(日本) 対 アスカー・バンガリー(トルコ)
6)シングルマッチ(45分3本勝負)
   長沢日一(日本) 対 クローレンス・コック(米国)
7)大阪府知事杯争奪タッグトーナメント1回戦(61分3本勝負)
   山口利夫&清美川梅之(日本) 対 ヘンリー・トラビス&チャールズ・ニッセン(米国)
    ※この試合の勝者チームが、翌日にヘンリー・ジャニー&アスカー・バンガリー組と優勝をかけて対戦する権利を獲得する。

 なお、テレビ時代の幕開けを象徴するように、当日の第6試合と第7試合の模様は、大阪NHKテレビにて午後8時から9時にかけて全国のお茶の間へと生放映されました。

  昭和29年9月26日(日曜日)、大阪府大阪市/大阪プール
  試合開始:午後6時、観衆:17000人(超満員)
1)シングルマッチ(20分1本勝負)
   大坪清隆(日本) 対 タムエス・ゼノウラ(トルコ)
2)シングルマッチ(20分1本勝負)
   山崎次郎(日本) 対 ラッキー・ジャケット(米国)
3)シングルマッチ(30分1本勝負)
   長沢日一(日本) 対 タイガー・オーストン(米国)
4)シングルマッチ(30分1本勝負)
   戸田武雄(日本) 対 タニー・エワーズ(米国)
5)シングルマッチ(30分1本勝負)
   吉村道明(日本) 対 クローレンス・コック(米国)
6)シングルマッチ(45分3本勝負)
   清美川梅之(日本) 対 ジム・グラッシュ(米国)
7)大阪府知事杯争奪タッグトーナメント決勝戦(61分3本勝負)
   山口利夫&市川登(日本) 対 ヘンリー・ジャニー&アスカー・バンガリー(トルコ)
    ※山口利夫のパートナーが清美川梅之から市川登に変更される。

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