昭和のプロレス界において、”インドの猛虎”タイガー・ジェット・シンと、”アラビアの怪人”ザ・シークの2人が刻んだ闘争史は、まさに人間の理性を超越した「狂気対狂気」の歴史でした。互いに反則、凶器、流血を辞さない独自のスタイルで世界を震撼させた2大ヒールが、初めてシングルマッチで相まみえたのは、昭和46(1971)年2月21日、カナダ・オンタリオ州トロントのマットでした。当時、デトロイト地区のNWA認定USヘビー級王者であったシークが、トロント地区の同王座を保持するシンに挑戦する形で実現したこの初対決。試合は、若きシンの暴走による反則負けという形で幕を閉じ、ルールによりシンが辛くも王座を防衛しました。
ここから、両雄による果てなき泥沼の抗争が幕を開けます。わずか3週間後に行われた再戦は、大荒れの末に無効試合(ノーコンテスト)となり、シンが王座を死守しました。この一戦は、互いのベルトを賭けたダブルタイトルマッチであったという記録も残されています。さらにその1週間後には、同所でノンタイトルの「テキサスデスマッチ」が敢行され、シークが6分弱でシンをKOして意地を見せました。その約半年後、シークは再びシンの王座に挑みましたが、今度は両者カウントアウトにより王座奪取はなりませんでした。
闘いの舞台は、トロントだけにとどまりません。その3週間後にはシークの本拠地である米国ミシガン州デトロイトへと移ります。おそらくノンタイトル戦として行われたこの一騎打ちは、シークの反則勝ち(あるいは両者反則)という、不穏な結末を迎えました。しかし、息つく暇もなくその翌日には、再びトロントのリングでシークがシンの王座に挑戦しました。今度は「インディアンストラップマッチ」という過酷な形式がとられましたが、結果は両者カウントアウトの引き分けに終わっています。さらに2週間後のデトロイトでは「ヒンドゥーストラップマッチ」で激突し、シークが勝利しました。その翌日にはトロントへと舞い戻り、ノンタイトルの「インディアンストラップマッチ」でシークが連勝を飾りました。
このように、シンのホームリングであるトロントと、シークの城であるデトロイトを頻繁に行き来しながら、両者は血で血を洗う死闘を繰り広げていったのです。
[昭和46(1971)年]
メープル・リーフ・レスリング
昭和46(1971)年2月21日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□NWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級選手権試合
ザ・シーク(2分59秒、反則勝ち)タイガー・ジェット・シン
※第14代王者T・J・シンがルールにより王座防衛に成功する。ザ・シークはNWA認定[デトロイト地区]ユナイテッドステーツヘビー級王者。
昭和46(1971)年3月14日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□NWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級選手権試合
タイガー・ジェット・シン(4分16秒、無効試合)ザ・シーク
※第14代王者T・J・シンが王座防衛に成功する。ザ・シークはNWA認定[デトロイト地区]ユナイテッドステーツヘビー級王者。ダブルタイトルマッチだと記載されている資料もある。
昭和46(1971)年3月21日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□テキサスデスマッチ/ノンタイトル
ザ・シーク(5分51秒、勝ち)タイガー・ジェット・シン
※ザ・シークはNWA認定[デトロイト地区]ユナイテッドステーツヘビー級王者で、T・J・シンはNWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級王者。
昭和46(1971)年9月26日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□NWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級選手権試合
タイガー・ジェット・シン(6分17秒、両者カウントアウト)ザ・シーク
※第14代王者T・J・シンが王座防衛に成功する。
NWAビッグ・タイム・レスリング
昭和46(1971)年10月16日(土曜日)
米国/ミシガン州デトロイト/コボ・アリーナ
□シングルマッチ
ザ・シーク(反則勝ち)タイガー・ジェット・シン
※T・J・シンはNWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級王者。「両者反則」と記載されている資料もある。
メープル・リーフ・レスリング
昭和46(1971)年10月17日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□NWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級選手権試合/インディアンストラップマッチ
タイガー・ジェット・シン(4分9秒、両者カウントアウト)ザ・シーク
※第14代王者T・J・シンが王座防衛に成功する。
NWAビッグ・タイム・レスリング
昭和46(1971)年10月30日(土曜日)
米国/ミシガン州デトロイト/コボ・アリーナ
□ヒンドゥーストラップマッチ
ザ・シーク(勝ち)タイガー・ジェット・シン
※T・J・シンはNWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級王者。
メープル・リーフ・レスリング
昭和46(1971)年10月31日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□インディアンストラップマッチ/ノンタイトル
ザ・シーク(勝ち)タイガー・ジェット・シン
※T・J・シンはNWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級王者。
[昭和47(1972)年]
メープル・リーフ・レスリング
昭和47(1972)年12月28日(木曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□NWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級選手権試合
タイガー・ジェット・シン(5分10秒、両者反則)ザ・シーク
※第14代王者T・J・シンが王座防衛に成功する。
[昭和48(1973)年]
メープル・リーフ・レスリング
昭和48(1973)年1月14日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□インディアンストラップマッチ
タイガー・ジェット・シン(10分35秒、両者カウントアウト)ザ・シーク
昭和48(1973)年2月4日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□インディアンサバイバルマッチ
ザ・シーク(7分6秒、勝ち)タイガー・ジェット・シン
※ザ・シークはNWA認定[デトロイト地区]ユナイテッドステーツヘビー級王者。
[昭和49(1974)年]
メープル・リーフ・レスリング
昭和49(1974)年10月6日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□NWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級選手権試合
タイガー・ジェット・シン(7分42秒、反則勝ち)ザ・シーク
※第15代王者ザ・シークがルールにより王座防衛に成功する。シークの保持するNWA認定[デトロイト地区]ユナイテッドステーツヘビー級王座は賭けられていない。
昭和49(1974)年10月27日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□NWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級選手権試合
ザ・シーク(両者カウントアウト)タイガー・ジェット・シン
※第15代王者ザ・シークが王座防衛に成功する。シークの保持するNWA認定[デトロイト地区]ユナイテッドステーツヘビー級王座は賭けられていない。
昭和49(1974)年11月3日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□NWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級選手権試合/ケージマッチ
ザ・シーク(4分22秒、勝ち)タイガー・ジェット・シン
※第15代王者ザ・シークが王座防衛に成功する。シークの保持するNWA認定[デトロイト地区]ユナイテッドステーツヘビー級王座は賭けられていない。
[昭和50(1975)年]
NWAビッグ・タイム・レスリング
昭和50(1975)年7月5日(土曜日)
米国/ミシガン州デトロイト/コボ・アリーナ
□NWA認定[デトロイト地区]ユナイテッドステーツヘビー級選手権試合/インディアンマッドマッチ
ザ・シーク(勝ち)タイガー・ジェット・シン
※ザ・シークが王座防衛に成功する。シークの保持するNWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級王座は賭けられていない。
メープル・リーフ・レスリング
昭和50(1975)年8月12日(火曜日)
カナダ/オンタリオ州オシャワ/オシャワ・シビック・オーデトリアム
□NWA認定[トロント地区]ユナイテッドステーツヘビー級&オールスターレスリング認定インターナショナルヘビー級選手権試合
ザ・シーク(結果不明)タイガー・ジェット・シン
※第15代ユナイテッドステーツ王者ザ・シークが王座防衛に成功する。T・J・シンのインターナショナル王座は実際には前年の7月15日に剥奪されている。
[昭和52(1977)年]
メープル・リーフ・レスリング
昭和52(1977)年6月5日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/カナディアン・ナショナル・エキシビション・スタジアム
□シングルマッチ
タイガー・ジェット・シン(5分42秒、反則勝ち)ザ・シーク
※ザ・シークはNWA認定[デトロイト地区]ユナイテッドステーツヘビー級王者。
[昭和56(1981)年]
’81世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)
昭和56(1981)年12月9日(水曜日)、北海道札幌市/北海道立札幌中島体育センター別館
□スペシャルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
タイガー・ジェット・シン(2分21秒、リングアウト)ザ・シーク
※ザ・シークはICW認定ユナイテッドステーツヘビー級王者。
[昭和57(1982)年]
メープル・リーフ・レスリング
昭和57(1982)年4月23日(金曜日)
カナダ/オンタリオ州ブランプトン/ブランプトン・メモリアル・アリーナ
□シングルマッチ
タイガー・ジェット・シン(両者カウントアウト)ザ・シーク
昭和57(1982)年8月29日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/レイクショア・ライオンズ・メモリアル・センター
□シングルマッチ
タイガー・ジェット・シン(両者カウントアウト)ザ・シーク
昭和57(1982)年9月5日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/レイクショア・ライオンズ・メモリアル・センター
□ケージマッチ
タイガー・ジェット・シン(無効試合)ザ・シーク
[平成5(1993)年]
歴戦の国・北に!!(FMW)
平成5(1993)年3月17日(水曜日)、北海道札幌市/北海道立札幌中島体育センター別館
□シングルマッチ(60分1本勝負)
タイガー・ジェット・シン(1分32秒、両者反則)ザ・シーク
平成5(1993)年3月24日(水曜日)、秋田県秋田市/秋田県立体育館
□ノーロープ有刺鉄線デスマッチ(時間無制限1本勝負)
タイガー・ジェット・シン(1分20秒、無効試合)ザ・シーク
数あるシークとシンの激突の中で、とりわけ伝説として語り継がれているのが、昭和50(1975)年7月5日にデトロイトのコボ・アリーナで行われた一戦です。その名も「インディアンマッドマッチ」。リング上に特製の泥を敷き詰めて行われたこの前代未聞の”泥試合”は、現在もYouTubeなどでその前半部分の映像を確認することができます。
興味深いことに、当時の日本のプロレス雑誌では、この試合は「8月16日開催、シンがブレーンバスターでシークをKOした」と報道されていました。しかし、実際の記録を精査すると、8月16日に行われたのはシーク対パンピロ・フィルポ戦であり、シンとの歴史的マッドマッチは7月5日に開催されていたことが判明しています。しかも、勝者として名が残っているのはシンではなく、本拠地の利を守ったシークでした。日本に伝わった海外情報の歪みが、時を経て修正された格好です。
その後、因縁の舞台は日本へと移ります。昭和56(1981)年12月、全日本プロレスが開催した「’81世界最強タッグ決定リーグ戦」に両雄が参戦しました。12月3日の大阪大会で行われた公式戦では、上田馬之助と組んだシンと、マーク・ルーインを従えたシークが激突しましたが、わずか2分6秒で両軍反則という大暴走を繰り広げました。そして待望のシングルマッチは、12月9日の札幌大会で実現します。シンが執念のリングアウト勝ちを収め、日本のファンを熱狂させました。翌昭和57(1982)年にもカナダで3試合を戦いましたが、いずれも両者カウントアウトや無効試合に終わり、同年9月5日のトロントでのケージマッチを最後に、抗争は一時沈黙します。
それから10年以上の歳月が流れた平成5(1993)年、ベテランとなった両雄は日本の過激マット「FMW」のリングで再び相まみえました。「歴戦の国・北に!!」シリーズにて2度敢行された一騎打ちは、いずれも1分30秒前後という短い時間の中で、かつてと変わらぬ狂気の世界を展開し、ファンを幻惑させました。
生涯を通じて、判明しているだけで通算23回ものシングルマッチを行ったタイガー・ジェット・シンとザ・シーク。その全戦績は、シークの8勝(2つの反則勝ちを含む)3敗(2つの反則負けを含む)8分け3無効試合1結果不明。どちらが勝ったか分からない不透明な決着ばかりという、2人の狂暴さを物語る数字が並んでいます。
特筆すべきは、プロレス界の常套手段である「反則裁定」や「引き分け」「無効試合」といった不透明な決着を除外した、純然たる決着(KOやピンフォールなど)のみに絞った場合の戦績です。その場合、なんとシークの6勝1敗となり、アラビアの怪人がインドの猛虎を圧倒していたという驚くべき事実が浮かび上がります。昭和プロレスのダークサイドを極彩色に彩った2人の怪物の足跡は、今なお色褪せることのない伝説としてマット界に燦然と輝いているのです。