坂口征二 対 木村健吾

 日本プロレス時代に坂口征二の付き人をしていた木村健吾(当時は木村聖裔)は、昭和48(1973)年3月、坂口とともに新日本プロレスに移籍しました。その後、昭和53年から昭和54(1978–79)年にかけてアメリカおよびメキシコ遠征を行います。

 遠征からの帰国後、昭和54年6月7日に開催された「第2回MSGシリーズ」最終戦(蔵前国技館大会)にて、木村はストロング小林とのタッグでビクター・リベラ、ラリー・ズビスコ組を相手に凱旋帰国第1戦を行いました。

 続く「サマー・ファイト・シリーズ」の7月6日に行われた四日市大会では、ストロング小林と再びタッグを組み、坂口征二、長州力組が保持するNWA認定北米タッグ王座に挑戦します。木村がリング上で坂口と対戦したのは、この試合が初めてのことでした。さらに、同年7月10日の久慈大会では、坂口との初めてのシングルマッチが実現します。それ以来、昭和61(1986)年6月14日の浜松大会での「IWGPヘビー級王座決定リーグ戦」公式戦にいたるまで、木村は坂口と通算12回にわたりシングルマッチで対戦しました。

 ふたりの対戦成績は坂口の11勝1分けであり、坂口が圧倒的な強さを見せていました。しかし、両者にとって最後のシングルマッチとなった浜松大会では、両者リングアウトによる引き分けの試合となっています。

[昭和54(1979)年]

サマー・ファイト・シリーズ

 昭和54(1979)年7月10日(火曜日)、岩手県久慈市/久慈市民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  坂口征二(10分16秒、逆エビ固め)木村健吾
   ※坂口征二はNWF認定北米ヘビー級王者。

 昭和54(1979)年7月19日(木曜日)、北海道中標津町/中標津体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  坂口征二(8分32秒、片エビ固め)木村健吾
   ※坂口征二はNWF認定北米ヘビー級王者。

闘魂シリーズ

 昭和54(1979)年11月5日(月曜日)、北海道砂川市/砂川市総合体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  坂口征二(11分19秒、体固め)木村健吾

 昭和54(1979)年11月22日(木曜日)、長崎県佐々町/佐々町体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  坂口征二(14分12秒、体固め)木村健吾
   ※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。

[昭和55(1980)年]

新春黄金シリーズ

 昭和55(1980)年1月10日(木曜日)、滋賀県大津市/滋賀県立体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  坂口征二(9分43秒、片エビ固め)木村健吾
   ※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。

ビッグ・ファイト・シリーズ

 昭和55(1980)年3月4日(火曜日)、長野県上田市/上田市民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  坂口征二(9分45秒、体固め)木村健吾
   ※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。

[昭和56(1981)年]

WWFビッグ・ファイト・シリーズ第1弾

 昭和56(1981)年3月11日(水曜日)、長野県長野市/長野市民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  坂口征二(10分52秒、体固め)木村健吾
   ※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。

 昭和56(1981)年3月17日(火曜日)、山口県岩国市/岩国市体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  坂口征二(10分53秒、体固め)木村健吾
   ※坂口征二はWWF認定北米ヘビー級王者。

第4回MSGシリーズ

 昭和56(1981)年6月4日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□IWGPアジアゾーン予選リーグ戦(30分1本勝負)
  坂口征二(8分10秒、体固め)木村健吾

[昭和57(1982)年]

サマー・ファイト・シリーズ第1弾

 昭和57(1982)年6月28日(月曜日)、北海道北見市/北見市東地区市民トレーニングセンター
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  坂口征二(10分59秒、体固め)木村健吾

[昭和58(1983)年]

ブラディ・ファイト・シリーズ

 昭和58(1983)年8月26日(金曜日)、埼玉県大宮市/大宮スケートセンター
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  坂口征二(5分32秒、片エビ固め)木村健吾

[昭和61(1986)年]

IWGPチャンピオン・シリーズ

 昭和61(1986)年6月14日(土曜日)、静岡県浜松市/厚生年金浜松市体育館
□IWGPヘビー級王座決定リーグ戦(30分1本勝負)
  坂口征二(12分23秒、両者リングアウト)木村健吾

 日本プロレス時代、坂口征二の付き人を務めていた木村健吾。二人の関係は、単なる先輩と後輩、あるいは対戦相手という言葉だけでは括れない、深い「師弟の絆」で結ばれていました。

 海外遠征を経てたくましく成長した木村が、かつての師である坂口の大きな壁に何度も挑み続けた全12戦。戦績だけを見れば坂口の11勝1分けと圧倒的ではありますが、数字には表れないドラマがそこにはありました。木村にとって坂口は、常に超えなければならない偉大な目標であり、坂口にとっては、愛弟子の日々の成長を肌で確かめる特別な戦いだったのかもしれません。

 そして昭和61年、二人にとって最後のシングルマッチとなった浜松大会。結果は「両者リングアウトによる引き分け」でした。がむしゃらにぶつかり続けた木村が、ついに師匠から勝ち取った初めての「負けない結果」。それは、激動の昭和プロレス史の中で、二人の師弟ストーリーが美しい区切りを迎えた瞬間のようにも思えます。

 四半世紀以上が過ぎた今なお、当時の熱い闘いは私たちの記憶の中に鮮烈に生き続けています。

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