リングを駆けた米軍潜水兵!「レッド・ミラー」もう一つの戦い

 力道山が日本中を熱狂させていた時代、異色の経歴を持つひとりの外国人レスラーが日本のリングに上がっていました。その名は「レッド・ミラー」。昭和31年(1956年)4月25日、蔵前国技館で開催された「マナスル登山基金募集、プロレスリング国際大試合」の第2戦で日本のファンの前に初めてその姿を現しました。デビュー戦では、後に国際プロレスの社長となる吉原功の逆エビ固めに屈していますが、彼はレスラーとしてだけでなく、時には厳格なレフェリーとしてもリングに立ち、昭和のプロレス界を盛り上げました。

(毎日新聞東京版[縮刷版]、昭和31年4月26日付朝刊第6面、大阪府立中央図書館所蔵)

 数々の激闘を繰り広げたレッド・ミラーですが、その勝敗データを見ると、決して「超一流の強豪」とは言えない成績でした。しかし、それもそのはず、彼の本当の姿はプロの専業レスラーではなかったのです。彼の正体は、米国海軍の潜水兵として横須賀基地に勤務していた現役の軍人でした。大好きなレスリングへの情熱を抑えきれず、軍務の合間を縫ってアルバイトとしてリングに上がっていたのです。

レッド・ミラー(プロレス&ボクシング、昭和31年9月号、P53、国立国会図書館東京本館所蔵)

 本名をハリー・ミラーという彼は、昭和4(1929)年頃にテキサス州で生まれました。日本で初めてリングに上がった時は26〜27歳という若さでした。彼の父親は1940年代に活躍したプロレスラーであり、「レッド・ミラー」の名でミドル級王座を6年間も保持した偉大な実力者でした。ハリーはその父親の誇り高きリングネームを受け継いだのです。父親の厳しい指導のもとで9歳からレスリングを始め、10歳の時にはなんと父親のライセンスを使ってレスリングショーに出場したという早熟のエピソードも残されています。

 しかし、成人しても身長170センチ、体重80キロと、レスラーとしては非常に小柄な体格でした。そのためプロとして大成することは難しく、本職としてではなく軍人の道を選んだのかもしれません。それでもプロレスへの愛は消えず、昭和35年(1960年)にはレフェリーとして力道山とジム・ライトの「NWA認定インターナショナルヘビー級選手権試合」を裁き、力道山に反則負けを宣告するという大役も務めています。

 そんな彼の最後の挑戦となったのが、昭和36年(1961年)のシリーズでした。この時、彼は異例とも言える長期の地方巡業(ロード)に参加しています。そこには切実な理由がありました。カリフォルニア州サンディエゴに住んでいた彼の最愛の妻が怪我をして入院してしまい、その高額な治療費をどうしても稼ぎ出さなければならなかったのです。家族のために、そして己の情熱のために、日本の地で泥臭く戦い続けた潜水兵レスラー。彼がリングに刻んだ足跡は、昭和プロレス史の隠れた名エピソードとして今も静かに輝いています。

 マナスル登山基金募集、プロレスリング国際大試合(昭和31年4月~6月)

 昭和31(1956)年4月25日(水曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
  吉原功(12分14秒、逆エビ固め)レッド・ミラー(11分14秒説、12分41秒説あり)

 昭和31(1956)年4月26日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  阿部修(16分58秒、体固め)レッド・ミラー(16分38秒説あり)

 昭和31(1956)年5月24日(木曜日)、神奈川県川崎市/川崎市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  阿部修(5分6秒、体固め)レッド・ミラー(6分50秒説あり)

 昭和31(1956)年6月6日(水曜日)、神奈川県横浜市/神奈川体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  吉原功(17分31秒、体固め)レッド・ミラー(17分21秒説あり)

 昭和31(1956)年6月7日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  阿部修(10分59秒、逆エビ固め)レッド・ミラー

 プロレス世界選手権挑戦者決定戦(昭和31年7月~9月)

 昭和31(1956)年7月23日(月曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□シングルマッチ(20分1本勝負)、レフェリー:九州山
  田中米太郎(時間切れ)レッド・ミラー

 昭和31(1956)年8月27日(月曜日)、神奈川県横浜市/横浜市野毛山公園プール
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  阿部修(11分5秒、体固め)レッド・ミラー

 昭和31(1956)年8月31日(金曜日)、神奈川県川崎市/川崎球場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  吉原功(5分29秒、エビ固め)レッド・ミラー

 昭和31(1956)年9月3日(月曜日)、神奈川県横須賀市/横須賀市営追浜球場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  レッド・ミラー(13分40秒、逆エビ固め)竹村正明

 プロレス秋の国際戦(昭和34年9月~12月)

 昭和34(1959)年11月8日(日曜日)、愛知県名古屋市/名古屋市金山体育館
□シングルマッチ(45分3本勝負)
  芳の里(2-0)レッド・ミラー
   ①芳の里(8分50秒、体固め)ミラー(8分15秒説あり)
   ②芳の里(6分49秒、エビ固め)ミラー

 昭和34(1959)年11月13日(金曜日)、東京都中央区/日本プロレスセンター
□6人タッグマッチ(45分3本勝負)
  芳の里&長沢秀幸&竹村正明(結果不明)グレート東郷&レッド・ミラー&レッド・デビル

 昭和34(1959)年12月25日(金曜日)、東京都中央区/日本プロレスセンター
□シングルマッチ(45分3本勝負)
  長沢秀幸(結果不明)レッド・ミラー

 国際プロレスリング(昭和35年1月~4月)

 昭和35(1960)年1月15日(金曜日、祝日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  長沢秀幸(8分11秒、体固め)レッド・ミラー

 同日/同所
□NWA認定インターナショナルヘビー級選手権試合(61分3本勝負)、レフェリー:レッド・ミラー
  ジム・ライト(2-1)力道山
   ①ライト(21分25秒、リングアウト)力道山
   ②力道山(4分42秒、体固め)ライト
   ③ライト(11分56秒、反則勝ち)力道山
   ※第2代王者力道山がルールにより5度目の防衛に成功する。

 昭和35(1960)年1月22日(金曜日)、東京都中央区/日本プロレスセンター
□6人タッグマッチ(61分3本勝負)
  力道山&遠藤幸吉&芳の里(2-0)ジム・ライト&レッド・ミラー&ブルドッグ・ブッチャー
   ①芳の里(12分33秒、体固め)ミラー
   ②力道山(22分40秒、体固め)ブッチャー

 昭和35(1960)年1月23日(土曜日)、愛知県名古屋市/名古屋市金山体育館
□シングルマッチ(45分3本勝負)
  芳の里(2-0)レッド・ミラー
   ①芳の里(13分45秒、逆腕固め)ミラー
   ②芳の里(10分30秒、体固め)ミラー(10分3秒説あり)

 昭和35(1960)年1月30日(土曜日)、東京都渋谷区/東京体育館
□タッグマッチ(45分3本勝負)
  遠藤幸吉&芳の里(2-0)ラリー・ジャクソン&レッド・ミラー(&ジム・ソーレンセン)
   ①芳の里(4分10秒、リングアウト)ミラー
   ②芳の里(10分55秒、リングアウト)ソーレンセン
   ※試合の途中でR・ミラーが負傷したため、J・ソーレンセンが代わって出場した。

 昭和35(1960)年2月5日(金曜日)、東京都中央区/日本プロレス・センター
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  芳の里(8分50秒、体固め)レッド・ミラー

プロレス国際試合・秋の陣(昭和36年8月~11月)

 昭和36(1961)年8月18日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  大木金太郎(3分30秒、逆エビ固め)レッド・ミラー(逆片エビ固め説あり)

 昭和36(1961)年9月8日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  レッド・ミラー(2分40秒、逆エビ固め)大木金太郎

 昭和36(1961)年9月15日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  猪木完至(3分0秒、逆片腕固め)レッド・ミラー(逆片エビ固め説あり)

 昭和36(1961)年9月22日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  土佐の花(5分13秒、逆片エビ固め)レッド・ミラー

 昭和36(1961)年9月29日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  土佐の花(5分28秒、体固め)レッド・ミラー

 昭和36(1961)年9月30日(土曜日)、神奈川県平塚市/平塚市立見附台体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  大木金太郎(4分34秒、片腕固め)レッド・ミラー

 同日/同所
□バトルロイヤル決勝(13人参加)
 [参加選手] 長谷川丹次、レッド・ミラー、猪木完至、ミスター珍、林幸一、ユセフ・トルコ、
        上田裕司、大坪清隆、桂浜、長沢秀幸、吉原功、平井光明、大木金太郎。
 [結  果] 大木金太郎(10分47秒、体固め)平井光明
         ※大木金太郎が優勝する。

 昭和36(1961)年10月1日(日曜日)、千葉県八日市場市/八日市場市営球場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  猪木完至(8分38秒、逆片エビ固め)レッド・ミラー(逆エビ固め説あり)

 昭和36(1961)年10月4日(水曜日)、群馬県前橋市/群馬県営スポーツセンター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  土佐の花(13分55秒、逆エビ固め)レッド・ミラー(13分50秒説あり)

 昭和36(1961)年10月5日(木曜日)、愛知県豊橋市/豊橋市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  吉原功(6分28秒、アバラ折り)レッド・ミラー

 昭和36(1961)年10月6日(金曜日)、岐阜県大垣市/大垣市スポーツセンター
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  長沢秀幸(11分42秒、逆腕取り固め)レッド・ミラー

 昭和36(1961)年10月7日(土曜日)、三重県尾鷲市/尾鷲市立尾鷲小学校校庭
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  土佐の花(11分1秒、波乗り固め)レッド・ミラー

 昭和36(1961)年10月8日(日曜日)、和歌山県和歌山市/和歌山県営相撲場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  土佐の花(9分18秒、体固め)レッド・ミラー

 昭和36(1961)年10月11日(水曜日)、岡山県岡山市/岡山県体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  吉原功(10分51秒、アバラ折り)レッド・ミラー

 同日/同所
□バトルロイヤル(11人参加)
 [参加選手] 長谷川丹次、大木金太郎、林幸一、土佐の花、大坪清隆、上田裕司、
        レッド・ミラー、吉原功、ミスター珍、平井光明、猪木完至。
 [結  果] 猪木完至(19分56秒、体固め)平井光明
         ※猪木完至が優勝する。

 昭和36(1961)年10月12日(木曜日)、香川県高松市/高松市体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  土佐の花(10分53秒、体固め)レッド・ミラー

 昭和36(1961)年10月13日(金曜日)、高知県高知市/高知県民ホール
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  長沢秀幸(8分15秒、波乗り固め)レッド・ミラー

 昭和36(1961)年10月15日(日曜日)、愛媛県松山市/御宝町広場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  猪木完至(7分44秒、体固め)レッド・ミラー

 昭和36(1961)年10月19日(木曜日)、鹿児島県鹿児島市/鹿児島県体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  土佐の花(5分37秒、体固め)レッド・ミラー(5分30秒説あり)

 昭和36(1961)年10月21日(土曜日)、宮崎県宮崎市/宮崎県営野球場
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  長沢秀幸(11分30秒、波乗り固め)レッド・ミラー(11分3秒説あり)

 昭和36(1961)年10月22日(日曜日)、福岡県小倉市/小倉市体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  猪木完至(6分33秒、逆片腕固め)レッド・ミラー

 昭和36(1961)年10月23日(月曜日)、山口県宇部市/宇部市俵田翁記念体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  土佐の花(10分3秒、体固め)レッド・ミラー

追加情報

 その後の調査により、レッド・ミラーがこれまでの認識よりもさらに早い段階で日本プロレスのリングに上がっていたことを示す、新たな興行記録が発見されました。

 昭和31(1956)年4月2日に神奈川県相模原市の横浜技術廠相模工廠体育館で開催された米軍基地内での興行において、レッド・ミラーは日本側の羅生門とシングルマッチで対戦しています。従来の公式記録における初参戦(4月24日からのシリーズ)を遡る、大変貴重な幻の試合データです。詳細は「英字新聞が明かす昭和31年の米軍基地プロレス興行〜幻の記録を追う〜」にて詳述しています。

 当日の試合結果は以下の通りです。

 昭和31(1956)年4月2日(月曜日)、神奈川県相模原市/横浜技術廠ぎじゅつしょう相模工廠こうしょう体育館
□シングルマッチ(1本勝負)
  レッド・ミラー(逆腕固め)羅生門

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