昭和プロレスの黄金期において、新日本プロレスの看板を背負い「飛龍」と称された藤波辰巳と、アメリカ・テキサスを本拠地に絶大な人気を誇ったケリー・フォン・エリック。この2人の激闘譜は、激動する当時の団体間ビジネスの荒波の中で生まれた、奇跡のようなファンタジーでした。
昭和60(1985)年10月31日、長期間にわたり強固な協力関係にあった新日本プロレスとWWF(ワールド・レスリング・フェデレーション)の業務提携が終了を迎えます。団体にとって大きな転換期となる中、新日本プロレスが次なる一手として新たに業務提携を結んだのが、WCWA(ワールド・クラス・レスリング・アソーシエーション)を率いる「鉄の爪」ことジャック・アドキッセン(フリッツ・フォン・エリック)でした。
この提携により、ダラスの至宝であるエリック兄弟の電撃来日がついに実現します。「バーニング・スピリット・イン・オータム」の開幕戦(10月4日)にワンマッチ限定で参戦したケビン&ケリーのエリック兄弟は、藤波辰巳、木村健吾組が保持するWWF認定インターナショナルタッグ王座に挑戦。ダイナミックで華やかなアメリカンプロレスを体現するエリック兄弟と、日本の王座を守る藤波組の意地がぶつかり合った一戦は、場内が蜂の巣をつついたような大熱狂に包まれる大熱戦となり、結果は両チームリングアウトの引き分けとなりました。
興奮冷めやらぬ翌昭和61(1986)年、「ニューイヤー・ダッシュ’86」でエリック兄弟は再来日を果たします。新たに創設されたばかりのIWGPタッグ王座に就いていた藤波、木村組の初防衛戦の相手として、これ以上ない強敵が立ちはだかったのです。2月5日の大阪城ホールで行われたタイトルマッチは、前年のインタータッグ戦を凌駕するほどの息詰まる好勝負となりました。藤波組のインサイドワークによって辛くもリングアウト勝ちを収めたものの、内容的には終始エリック兄弟のパワーとスピードに圧倒され気味の防衛劇でした。藤波自身、1月24日の静岡大会で兄ケビンとのシングルマッチ(両者リングアウト)を経験し、その実力を肌で感じていたからこそ、元NWA認定世界ヘビー級王者の弟ケリーとの「まだ見ぬ一騎打ち」への期待は、ファンの間でも最高潮に達していったのです。
稀代の好敵手となる2人が、ついにシングルマッチのリングで対峙する瞬間がやってきます――。
[昭和61(1986)年]
ニューイヤー・ダッシュ’86(新日本プロレス)
昭和61(1986)年2月6日(木曜日)、東京都墨田区/両国国技館
□シングルマッチ(60分1本勝負)、レフェリー:ミスター高橋
藤波辰巳(5分40秒、両者リングアウト)ケリー・フォン・エリック
IWGPチャンピオン・シリーズ(新日本プロレス)
昭和61(1986)年5月16日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ(60分1本勝負)、レフェリー:柴田勝久
ケリー・フォン・エリック(11分18秒、首固め)藤波辰巳
昭和61(1986)年5月27日(火曜日)、福岡県福岡市/福岡スポーツセンター
□シングルマッチ(60分1本勝負)、レフェリー:ミスター高橋
藤波辰巳(13分46秒、逆さ押さえ込み)ケリー・フォン・エリック
[昭和63(1988)年]
ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング(WCCW)
昭和63(1988)年10月21日(金曜日)
米国/テキサス州ダラス/ダラス・スポータトリアム
□WCCW認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
ケリー・フォン・エリック(5分40秒、無効試合)藤波辰巳
※第10代王者K・V・エリックが王座防衛に成功する。藤波辰巳はIWGPヘビー級&NWA認定パシフィックノースウェストヘビー級王者。海外のサイトではエリックの勝ちだと記載されている。
’88ジャパンカップ・シリーズ(新日本プロレス)
昭和63(1988)年12月9日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□IWGPヘビー級&WCWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
藤波辰巳(11分45秒、両者リングアウト)ケリー・フォン・エリック
□同延長戦(60分1本勝負)
藤波辰巳(6分41秒、レフェリー・ストップ)ケリー・フォン・エリック
レフェリー:タイガー服部
※第3代IWGP王者藤波辰巳が3度目の防衛に成功する。藤波はWCWA王座を獲得したが、翌日同王座をK・V・エリックに返却。したがってエリックは第10代WCWA王者のまま。藤波の保持するNWA認定パシフィックノースウェストヘビー級王座は賭けられていない。
藤波辰巳とケリー・フォン・エリックによるシングルでの初対決は、昭和61(1986)年5月の「IWGPチャンピオン・シリーズ」開幕戦で現実のものとなりました。60分1本勝負で行われたこの歴史的一戦は、11分過ぎ、ケリーが見事な首固めで藤波から3カウントを奪うという衝撃の結末を迎えます。
日本のエースとして後がない藤波は、5月27日の福岡スポーツセンター大会で再びケリーとの一騎打ちに臨みました。当時のケリーは、前田日明と両者リングアウトの死闘を演じ、木村健吾やザ・コブラ(ジョージ高野)からピンフォールを奪うなど、まさに飛ぶ鳥を落す勢いでした。しかし、藤波は一瞬の隙を見逃さず、伝家の宝刀ともいえる逆さ押さえ込みでリベンジを果たし、対戦成績をタイに戻したのです。
その後、2年の歳月を経て、舞台はアメリカ・テキサス州ダラスのプロレスの聖地「スポータトリアム」へと移ります。昭和63(1988)年10月21日、IWGPヘビー級王座とNWA認定パシフィックノースウェストヘビー級王座の2冠を手中に収めていた藤波が敵地に乗り込み、ケリーが保持するWCCW認定世界ヘビー級王座に挑戦。ケリーはこの年の5月に宿敵キング・パーソンズを破って第10代王者に君臨しており、まさにダラスの英雄でした。日本国内では「5分40秒、無効試合で王座防衛」と報道されましたが、海外の記録サイトでは「ケリーの勝利」と記載されるなど、今なおミステリアスな余韻を残す一戦となっています。
そして、2人の運命の最終決着戦となったのが、同年の12月9日、新日本プロレスの後楽園ホール大会でした。「IWGPヘビー級」と「WCWA認定世界ヘビー級」の両王座が賭けられたダブルタイトルマッチ。試合は一度、11分45秒に両者リングアウトとなるも、ファンの地鳴りのような大歓声に後押しされるように、[60分1本勝負]による運命の延長戦へと突入します。延長戦のゴングが鳴ってから6分41秒、ケリーが激しく大流血したことでレフェリー・ストップがかかり、藤波に凱歌が上がりました。しかし、不完全燃焼な結末に納得がいかなかった藤波は、翌日、獲得したWCWAのベルトをケリーに返還するという、レスラーとしてのプライドが滲むドラマを見せたのです。
藤波辰巳とケリー・フォン・エリック――。生涯でわずか5回しか行われなかったシングルマッチですが、そのすべてが「60分1本勝負」のメインイベントとして組まれました。それは、日米のプロレス界が誇る至高の天才同士に対する、最大級の敬意の証だったと言えるでしょう。昭和のリングが刻んだこの華麗なる激闘史は、今もなおファンの心の中で眩い光を放ち続けています。