昭和のプロレス黄金期において、日本とアメリカの次世代を担う若き巨頭として注目を集めたジャンボ鶴田とリック・フレアー。この2人による運命的なシングルマッチの初対決は、昭和53年4月27日、全日本プロレスのリングで実現しました。当時、アメリカのミッドアトランティック地区で頭角を現し、ユナイテッドステーツヘビー級王座に君臨していたフレアーが、鶴田の保持するユナイテッドナショナルヘビー級王座に挑戦する豪華なタイトルマッチとして、ファンを大いに沸かせました。
この記念すべき初対決を皮切りに、両者は足掛け9年にわたり、計8回ものシングルマッチで激突することになります。その通算成績は、鶴田の2勝2敗4引き分けと、まさに実力が完全に伯仲した五分の星を残しており、プロレス史に残る名勝負数え唄として語り継がれています。
特筆すべきは、2回目以降の対戦において、フレアーがすべて世界の頂点である「NWA認定世界ヘビー級王者」として鶴田の前に立ちはだかった点です。プロレス界最高峰の象徴であるこの王座を懸けた戦いは、両者の間で計5回も行われました。鶴田のNWA王座戦での成績は1勝2敗2引き分け。当時、世界の頂点に最も近いと言われた鶴田は、王者フレアーを幾度となく追い詰めました。
その中で挙げた貴重な1勝は、伝統の3本勝負で行われた一戦でした。鶴田は見事に1本目を先取し、スコア「1-0」でフレアーを破り試合には勝利したものの、時間切れにより2フォール目を奪うことができませんでした。当時の王座移動の規定(ルール)では、3本勝負で2フォールを奪わなければベルトの移動が認められなかったため、試合に勝ちながらも惜しくも世界王座奪取(ベルト奪取)には至りませんでした。このように、勝敗の数字だけでは語り尽くせないドラマチックな攻防が、2人の戦いには幾度も刻まれています。
[昭和53(1978)年]
エキサイト・シリーズ
昭和53(1978)年4月27日(木曜日)、青森県野辺地町/野辺地町立体育館
□PWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級選手権試合(60分3本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
ジャンボ鶴田(2-1)リック・フレアー
①鶴田(19分39秒、片エビ固め)フレアー
②フレアー(8分49秒、足4の字固め)鶴田
③鶴田(2分59秒、首固め)フレアー
※第15代王者J鶴田が6度目の防衛に成功する。R・フレアーはNWA認定[ミッドアトランティック地区]ユナイテッドステーツヘビー級王者。
[昭和56(1981)年]
ジャイアント・シリーズ
昭和56(1981)年10月9日(金曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分3本勝負)
リック・フレアー(2-1)ジャンボ鶴田
①鶴田(17分43秒、片エビ固め)フレアー
②フレアー(5分26秒、足4の字固め)鶴田
③フレアー(5分46秒、エビ固め)鶴田
レフェリー:ロード・ブレアース、サブレフェリー:和田京平
※第26代王者R・フレアーが王座防衛に成功する。J鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。
[昭和57(1982)年]
エキサイト・シリーズ
昭和57(1982)年6月8日(火曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
リック・フレアー(29分11秒、両者同時体固め)ジャンボ鶴田(鶴田の原爆固めによるダブルフォール)
※第26代王者R・フレアーが王座防衛に成功する。鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。
[昭和58(1983)年]
グランド・チャンピオン・カーニバルⅡ
昭和58(1983)年6月8日(水曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分3本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
ジャンボ鶴田(1-0)リック・フレアー
①鶴田(29分39秒、体固め)フレアー
②鶴田(時間切れ)フレアー
※第26代王者R・フレアーがルールにより王座防衛に成功する。J鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。
’83世界最強タッグ決定リーグ戦
昭和58(1983)年12月10日(土曜日)、愛知県名古屋市/愛知県体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
リック・フレアー(時間切れ)ジャンボ鶴田
※R・フレアーはNWA認定世界ヘビー級王者で、J鶴田はPWF認定インターナショナルヘビー級王者。
[昭和60(1985)年]
’85激烈!!スーパー・パワー・ウォーズ
昭和60(1985)年4月24日(水曜日)、神奈川県横浜市/横浜文化体育館
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
リック・フレアー(26分1秒、両者リングアウト)ジャンボ鶴田
※第30代王者R・フレアーが王座防衛に成功する。J鶴田はPWF認定インターナショナルヘビー級王者。
’85ワールド・チャンピオン・カーニバル
昭和60(1985)年10月19日(土曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ/ノンタイトル(15分1本勝負)、レフェリー:タイガー服部
リック・フレアー(時間切れ)ジャンボ鶴田
※R・フレアーはNWA認定世界ヘビー級王者で、J鶴田はPWF認定インターナショナルヘビー級王者。
[昭和62(1987)年]
創立15周年記念’87エキサイト・シリーズ
昭和62(1987)年3月10日(火曜日)、福島県郡山市/郡山総合体育館
□NWA認定世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
リック・フレアー(17分29秒、反則勝ち)ジャンボ鶴田
※第34代王者R・フレアーが王座防衛に成功する。J鶴田はPWF認定インターナショナルヘビー級王者。
ジャンボ鶴田とリック・フレアーは足掛け9年で計8回のシングルマッチを行い、通算2勝2敗4引き分けの五分の星を残しまし。フレアーがNWA世界王者として鶴田を迎え撃つなど、最高峰の王座戦が繰り広げられましたが、昭和62年の対戦を最後に全日本プロレスでの対決は幕を閉じました 。アメリカマット界の激動やフレアーの新日本プロレス参戦により再戦は幻となりましたが、2人が繰り広げた至高のライバル関係は今なおプロレス史の伝説として語り継がれています。