ミル・マスカラス 対 グレート小鹿

 グレート小鹿とミル・マスカラスによる伝説の抗争は、アメリカ・プロレス界の黄金期、ロサンゼルス地区を舞台にその火蓋を切って落としました。当時、絶大な人気を誇った「仮面貴族」マスカラスは、同地区の最高峰であるNWA認定アメリカスヘビー級王者として君臨していました。そこに牙を剥いたのが、日本からの刺客として現地で悪役(ヒール)の地位を築いていたグレート小鹿でした。
 二人の怨念が交錯する熱狂の渦は、昭和44年(1969年)の秋に頂点を迎えます。10月24日、ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムにて、小鹿はマスカラスの持つ王座に挑戦しました。しかし、激昂した小鹿の猛攻は仇となり、まさかの反則負けを喫してベルト奪取の野望は潰えます。それでも執念に燃える小鹿は、同年12月19日、リングの周囲に金網が張り巡らされた特殊ルール「サイクロン・フェンス・マッチ」の形式で再挑戦の切符を掴み取りました。運命の3本目、勝負を決めたのは小鹿の勝ちへの執念と、セコンドによる仕掛けられた罠でした。セコンドに就いていたトーキョー・トム(レイ・ウルバノ)が、場外からマスカラスの足を引っ張って転倒させると、この千載一遇の隙を見逃さず、小鹿は渾身のボディスラムからフォール勝ちを収めます。こうして小鹿はマスカラスを破り、見事に至高の王座を奪い取りました。
 しかし、王座の歴史は暗転します。初の栄冠に沸いた小鹿でしたが、翌年1月16日に同所でロッキー・ジョンソン(のちに映画界でも大スターとなるザ・ロックの父親)に敗れ、短い天下に終わってしまいます。一方、至宝を奪われた屈辱を忘れないマスカラスは執拗に小鹿を追い続け、翌年5月14日のベーカーズフィールド戦で見事なリベンジを果たしました。
 このロサンゼルスでの濃密な因縁は、やがて海を越えて日本へと飛び火することになります。舞台を日本プロレス、そして全日本プロレスへと移し、両雄は昭和のプロレス黄金期の中で幾度となく激突しました。日本での戦いにおいて、小鹿は地の利を生かした荒々しいラフファイトで肉薄したものの、マスカラスの華麗な空中殺法と世界水準の実力の前に、ついに一度も勝利をあげることはできませんでした。
 二人の通算成績はマスカラスの「16戦15勝1敗」という、圧倒的な数字が残されています。しかし、この戦績は単なるマスカラスの一方的な強さだけを示しているのではありません。マスカラスという世界的な巨星から、唯一の「1勝」を、敵地ロサンゼルスの金網の中でずる賢い作戦を使ってでももぎ取ったという事実。それこそが、グレート小鹿という悪名高き実力派レスラーの凄みと執念を今に伝える、日米プロレス史に刻まれた重みのある足跡なのです。

[昭和44(1969)年]

NWAハリウッド・レスリング

 昭和44(1969)年10月4日(土曜日)
 米国/カリフォルニア州サンバナディーノ/サンバナディーノ・アリーナ
□シングルマッチ
  ミル・マスカラス(11分38秒、反則勝ち)グレート小鹿
   ※M・マスカラスはNWA認定アメリカスヘビー級王者。

 昭和44(1969)年10月24日(金曜日)
 米国/カリフォルニア州ロサンゼルス/オリンピック・オーデトリアム
□NWA認定アメリカスヘビー級選手権試合(60分3本勝負)
  ミル・マスカラス(2-1)グレート小鹿
   ①マスカラス(13分12秒、体固め)小鹿
   ②小鹿(6分53秒、裸締め)マスカラス
   ③マスカラス(1分15秒、反則勝ち)小鹿
   ※第12代王者M・マスカラスが王座防衛に成功する。G小鹿はNWA認定[ロサンゼルス地区]パシフィックコーストブラスナックルズ王者。

 昭和44(1969)年12月19日(金曜日)
 米国/カリフォルニア州ロサンゼルス/オリンピック・オーデトリアム
□NWA認定アメリカスヘビー級選手権試合/サイクロンフェンス・ノーDQマッチ(60分3本勝負)
  グレート小鹿(2-1)ミル・マスカラス
   ①マスカラス(5分33秒、体固め)小鹿
   ②小鹿(3分34秒、体固め)マスカラス
   ③小鹿(10分24秒、体固め)マスカラス
   ※第12代王者M・マスカラスが王座防衛に失敗。G小鹿が第13代王者になる。

[昭和45(1970)年]

NWAハリウッド・レスリング

 昭和45(1970)年5月14日(木曜日)
 米国/カリフォルニア州ベーカーズフィールド/ストレリッチ・スタジアム
□シングルマッチ(3本勝負)
  ミル・マスカラス(2-1)グレート小鹿

[昭和46(1971)年]

第4回ダイナミック・ビッグ・シリーズ(日本プロレス)

 昭和46(1971)年2月26日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  ミル・マスカラス(14分27秒、体固め)グレート小鹿

サマー・ミステリー・シリーズ(日本プロレス)

 昭和46(1971)年8月27日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ(30分1本勝負)、レフェリー:J・C・ダイクス
  ミル・マスカラス(12分32秒、体固め)グレート小鹿

 昭和46(1971)年9月8日(水曜日)、静岡県掛川市/静岡県立中遠工業高等学校北側広場
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  ミル・マスカラス(17分42秒、背骨折り)グレート小鹿

[昭和47(1972)年]

第8回ゴールデン・シリーズ-第1次-(日本プロレス)

 昭和47(1972)年5月28日(日曜日)、鳥取県鳥取市/鳥取市民体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  ミル・マスカラス(12分0秒、体固め)グレート小鹿

 昭和47(1972)年6月8日(木曜日)、宮城県仙台市/宮城県スポーツセンター
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  ミル・マスカラス(19分5秒、エビ固め)グレート小鹿

第8回サマー・ビッグ・シリーズ-第1次-(日本プロレス)

 昭和47(1972)年7月24日(月曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ(30分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ミル・マスカラス(15分44秒、逆背骨折り)グレート小鹿

 昭和47(1972)年8月9日(水曜日)、山口県宇部市/宇部市俵田翁記念体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  ミル・マスカラス(13分46秒、反則勝ち)グレート小鹿

[昭和51(1976)年]

新春ジャイアント・シリーズ(全日本プロレス)

 昭和51(1976)年1月8日(木曜日)、栃木県大田原市/大田原市民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ミル・マスカラス(13分7秒、片エビ固め)グレート小鹿
   ※M・マスカラスはIWA認定世界ヘビー級王者。

[昭和52(1977)年]

エキサイト・シリーズ(全日本プロレス)

 昭和52(1977)年2月24日(木曜日)、熊本県芦北町/芦北町立体育文化センター
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ミル・マスカラス(12分0秒、体固め)グレート小鹿
   ※M・マスカラスはIWA認定世界ヘビー級&ALLL認定世界ヘビー級王者。

 昭和52(1977)年3月3日(木曜日)、宮城県気仙沼市/気仙沼市民会館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ミル・マスカラス(13分12秒、体固め)グレート小鹿
   ※M・マスカラスはIWA認定世界ヘビー級&ALLL認定世界ヘビー級王者。

 昭和52(1977)年3月6日(日曜日)、秋田県五城目町/秋田周辺広域市町村圏五城目体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ミル・マスカラス(12分57秒、体固め)グレート小鹿
   ※M・マスカラスはIWA認定世界ヘビー級&ALLL認定世界ヘビー級王者。

[昭和53(1978)年]

第2次サマー・アクション・シリーズ(全日本プロレス)

 昭和53(1978)年9月7日(木曜日)、青森県青森市/青森市民体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ミル・マスカラス(9分5秒、アバラ折り)グレート小鹿
   ※M・マスカラスはIWA認定世界ヘビー級&ALLL認定世界ヘビー級&PWF認定ユナイテッドステーツヘビー級王者。

 昭和53年9月7日のシングルマッチを最後に、両者が一対一で拳を交えることはなくなりましたが、因縁の物語にはまだ続きがありました。
 その後もマスカラスはたびたび来日を重ねますが、小鹿との対戦の舞台はすべてタッグマッチへと移行します。ファンを熱狂させたのは、ミル・マスカラス&ドス・カラスの「マスカラス・ブラザーズ」と、グレート小鹿&大熊元司の「極道コンビ」による激突でした。華麗な空中殺法を誇るメキシコの英雄たちと、日本マット界屈指の悪役タッグによる戦いは、シングル戦とはまた異なる極上のエンターテインメントとして昭和のプロレスファンを魅了し続けました。
 しかし、時代の移り変わりとともに、一つの歴史が終わりを迎えます。昭和61年(1986年)6月12日の日本武道館大会を最後に、マスカラスは長年主戦場とした全日本のリングを離れることになりました。そして奇しくも同じ年、グレート小鹿もまた現役引退を発表し、その波乱に満ちたレスラー人生にいったん幕を下ろしたのです。
 ロサンゼルスの金網の中で火花を散らした若き日の激闘から、日本のタッグ戦線での円熟の攻防まで。二人が駆け抜けた足跡は、まさに昭和のプロレス黄金期そのものであり、その幕引きとともに、一時代が美しく完結したと言えるでしょう。

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