アントニオ猪木とマスクト・スーパースター。この両雄が初めて拳を交えたのは、ビル・イーディがまだ謎の覆面レスラー「スーパースター」へと変身を遂げる前のことでした。それは、名タッグチーム「ザ・モンゴルズ」の片割れである「ボロ・モンゴル」を名乗っていた若き日の時代にまで遡ります。もともと初代ザ・モンゴルズとして活躍していたジート・モンゴル(ブラックジャック・ダニエル)は、当時の相棒であったベーポ・モンゴル(後の2代目ニコリ・ボルコフ)とコンビを解消。その後、昭和48(1973)年に素質を見抜いたイーディを熱心にスカウトし、彼をボロ・モンゴルに据えて新生ザ・モンゴルズを始動させたのです。
この運命の歯車が回り、翌昭和49(1974)年、ザ・モンゴルズの一員としてイーディが新日本プロレスのリングに初来日を果たしたことこそが、猪木との長きにわたる闘いの幕開けとなりました。
その後、イーディのレスラー人生は劇的な転換期を迎えます。昭和51(1976)年、新日本プロレスが開催した「アジア・リーグ戦」への参戦を終えてアメリカへ帰国したイーディは、それからわずか2か月後、漆黒のマスクを被った「マスクト・スーパースター」へと華麗なる変身を遂げたのです。新境地を開いた彼は、アメリカのミッドアトランティック地区(ノースカロライナ、サウスカロライナ、バージニア州)のマット界でまたたく間にトップスターとなり、一流ヒールの地位を確立しました。そして、満を持して翌昭和52(1977)年の「第4回ワールド・リーグ戦」に不気味な雄姿を現し、日本のプロレスファンを恐怖と興奮の渦に巻き込んだのです。
それ以降、彼は新日本プロレスのリングで絶対的なトップ外国人レスラーとして大活躍を続けます。時にはマスクを脱ぎ捨てて素顔の「ビリー・クラッシャー」となり、またある時には「スーパー・マシーン」を名乗って巨大な「ジャイアント・マシーン」(アンドレ・ザ・ジャイアント)と一世を風靡したマシーン軍団を結成するなど、常にマット界の話題を独占しました。しかし、やはり彼にとって最高の臨戦態勢は、再び原点であるスーパースターの姿に戻った時でした。
イーディは、若きボロ・モンゴル時代も含めると、生涯で猪木と実に25回もの過酷なシングルマッチを行っています。通算成績は猪木の21勝(3反則勝ちを含む)2敗(2反則負け)2分け。この数字だけを見れば猪木の圧倒的なワンサイドゲームのように思えるかもしれません。しかし、実際のマットの上で繰り広げられた攻防は、決して猪木にとって楽勝と言えるものではありませんでした。超一流のパワーとテクニック、そして狡猾なインサイドワークを兼ね備えたイーディは、燃える闘魂・アントニオ猪木を幾度となく限界まで追い詰めた、まさに最強の「宿敵」の一人だったのです。
[昭和49(1974)年]
第1回ワールド・リーグ戦
昭和49(1974)年4月9日(火曜日)、新潟県十日町市/十日町市市民体育館
□ワールドリーグ予選リーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
アントニオ猪木(12分43秒、体固め)ボロ・モンゴル
※A猪木はNWF認定世界ヘビー級王者。B・モンゴルはビル・イーディのこと。
[昭和51(1976)年]
アジア・リーグ戦
昭和51(1976)年7月10日(土曜日)、神奈川県藤沢市/協同組合藤沢中央青果地方卸売市場
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
アントニオ猪木(8分9秒、逆さ押さえ込み)ボロ・モンゴル
※A猪木はNWF認定世界ヘビー級王者。
昭和51(1976)年7月21日(水曜日)、岐阜県高山市/飛騨体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
アントニオ猪木(8分35秒、弓矢固め)ボロ・モンゴル
※A猪木はNWF認定世界ヘビー級王者。
昭和51(1976)年8月2日(月曜日)、福島県いわき市/小名沢スズカン・バーゲンストア
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
アントニオ猪木(7分32秒、弓矢固め)ボロ・モンゴル
※A猪木はNWF認定世界ヘビー級王者。
[昭和52(1977)年]
第4回ワールド・リーグ戦
昭和52(1977)年3月19日(土曜日)、新潟県長岡市/長岡市厚生会館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(9分57秒、体固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はNWF認定ヘビー級王者。M・スーパースターの正体はビル・イーディ。
昭和52(1977)年3月26日(土曜日)、秋田県鹿角市/大湯体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(9分11秒、体固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はNWF認定ヘビー級王者。
[昭和53(1978)年]
ビッグ・ファイト・シリーズ
昭和53(1978)年3月3日(金曜日)、群馬県高崎市/高崎市中央体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)、レフェリー:ミスター高橋
アントニオ猪木(7分2秒、反則勝ち)マスクト・スーパースター
※A猪木はNWF認定ヘビー級王者。
昭和53(1978)年3月21日(火曜日、祝日)、三重県津市/津市体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(12分31秒、反則勝ち)マスクト・スーパースター
※A猪木はNWF認定ヘビー級王者。
昭和53(1978)年3月30日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□NWF認定ヘビー級選手権試合(61分1本勝負)
アントニオ猪木(24分58秒、卍固め)マスクト・スーパースター
※第16代王者A猪木が13度目の防衛に成功する。
[昭和54(1979)年]
ブラディ・ファイト・シリーズ
昭和54(1979)年9月28日(金曜日)、愛知県名古屋市/愛知県体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(15分32秒、反則勝ち)マスクト・スーパースター
※A猪木はNWF認定ヘビー級&WWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
[昭和56(1981)年]
サマー・ファイト・シリーズ
昭和56(1981)年7月10日(金曜日)、北海道札幌市/北海道立札幌中島体育センター別館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(14分8秒、両者フェンスアウト)マスクト・スーパースター
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
昭和56(1981)年8月6日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□賞金3万ドル&覆面はぎマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(12分16秒、原爆固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
[昭和57(1982)年]
第5回MSGシリーズ
昭和57(1982)年3月8日(月曜日)、新潟県新潟市/新潟市体育館
□MSG公式リーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
アントニオ猪木(8分41秒、両者フェンスアウト)マスクト・スーパースター
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
ブラディ・ファイト・シリーズ
昭和57(1982)年9月23日(木曜日、祝日)、埼玉県大宮市/大宮スケートセンター
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)、レフェリー:ミスター高橋
アントニオ猪木(9分37秒、卍固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
第3回MSGタッグ・リーグ戦
昭和57(1982)年12月6日(月曜日)、宮城県仙台市/宮城県スポーツセンター
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
アントニオ猪木(6分29秒、卍固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
[昭和59(1984)年]
ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾
昭和59(1984)年4月17日(火曜日)、徳島県徳島市/徳島市立体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(10分10秒、卍固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
’84IWGP
昭和59(1984)年5月21日(月曜日)、新潟県新潟市/新潟市体育館
□IWGP公式リーグ戦/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(8分51秒、体固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
International Benefit Wrestling Bouts ’84[アフガン難民救済パキスタン遠征]
昭和59(1984)年8月6日(月曜日)
パキスタン・イスラム共和国/北西辺境州ペシャーワル/ペシャーワル・スタジアム
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(9分17秒、体固め)ビリー・クラッシャー
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。B・クラッシャーはビル・イーディのこと。
昭和59(1984)年8月10日(金曜日)
パキスタン・イスラム共和国/シンド州カラチ/ナショナル・スタジアム
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(11分24秒、体固め)ビリー・クラッシャー
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
闘魂シリーズ
昭和59(1984)年10月26日(金曜日)、愛知県安城市/安城市体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(9分1秒、卍固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
[昭和60(1985)年]
チャレンジ・スピリット’85
昭和60(1985)年9月13日(金曜日)、宮崎県宮崎市/宮崎県体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
スーパー・マシン(10分28秒、反則勝ち)アントニオ猪木
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。S・マシンの正体はビル・イーディ。
’85 International World League Match[台湾遠征]
昭和60(1985)年9月27日(金曜日)、臺湾/臺北市/中華體育文化中心
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
アントニオ猪木(10分57秒、体固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はWWF認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
[昭和61(1986)年]
ビッグファイター・シリーズ
昭和61(1986)年4月11日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□シングルマッチ/ノンタイトル(60分1本勝負)
マスクト・スーパースター(13分33秒、反則勝ち)アントニオ猪木
※A猪木はNJPW認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
IWGPチャンピオン・シリーズ
昭和61(1986)年5月29日(木曜日)、岡山県岡山市/岡山武道館
□IWGPヘビー級王座決定リーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
アントニオ猪木(9分0秒、体固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はNJPW認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
’86ジャパン・カップ争奪タッグ・リーグ戦
昭和61(1986)年11月18日(火曜日)、東京都大田区/大田区体育館
□シングルマッチ/ノンタイトル(45分1本勝負)
アントニオ猪木(10分14秒、体固め)マスクト・スーパースター
※A猪木はNJPW認定世界マーシャルアーツヘビー級王者。
昭和61(1986)年の年末、新日本プロレスのリングを熱狂させた「’86ジャパン・カップ争奪タッグ・リーグ戦」への参戦を無事に終えたビル・イーディは、新天地を求めて世界最大のプロレス団体であるWWF(現・WWE)へと電撃移籍を果たします。
アメリカへと戻ったイーディは、これまで日本でお馴染みだったマスクト・スーパースターの肉体を封印し、顔面に不気味なペイントを施した狂戦士「アックス」へと再び鮮やかな変身を遂げました。そして、相棒である「スマッシュ」(当初はランディ・コーレイ、後にバリー・ダーソウに交代)をパートナーに迎え、伝説的な極悪タッグチーム「デモリッション」を結成したのです。映画『マッドマックス』を彷彿とさせる革ジャンにスパイクをあしらったコスチュームで身を包んだ彼らは、圧倒的な破壊力でWWFのタッグ戦線をまたたく間に制圧。当時のタッグ王座を幾度も奪取し、アメリカのマット界で一大ムーブメントを巻き起こしながら、文字通り暴れ回りました。
その後、元号が昭和から平成へと変わった平成2(1990)年から平成3(1991)年にかけて、イーディは「アックス」の名で再び日本のプロレスファンの前へと帰ってきました。すでに日米を股にかけた大ベテランとなり、圧倒的な存在感を放っていた彼でしたが、かつて新日本プロレスのリングで幾度もの死闘を繰り広げた「燃える闘魂」アントニオ猪木との再会ロードが実現することはありませんでした。
なぜなら、当時の猪木はすでに政界へと進出して「スポーツ平和党」の党首となっており、レスラーとしては実質的なセミリタイアの状態に入っていたからです。リング上で強烈な輝きを放ち、お互いを限界まで追い詰め合ったあの昭和の黄金時代。その熱狂の日々が、時代の移り変わりとともに、静かに伝説へと変わっていく象徴的な幕引きでもありました。