ジャイアント馬場 対 アントニオ猪木

 馬場正平(ジャイアント馬場)と猪木完至(アントニオ猪木)は、昭和35年9月30日に東京都台東区にある「台東体育館」で同時にデビューを果たしました。夏の国際戦の最終戦として行なわれたその記念すべき日に、猪木は大木金太郎の逆腕固めにギブアップを喫し、馬場は田中米太郎を股裂きでギブアップさせて勝利を収めています。
 両者が初めてリングの上で対戦したのは、それから8か月後のことでした。以来、若手時代に通算16回にわたってシングルマッチによる直接対決が行なわれましたが、その結果はすべて馬場の全勝という記録が残されています。
 ここでは、昭和36年と昭和38年にのみ行なわれた、両者による一連の直接対決の全試合結果をご紹介します。

[昭和36(1961)年]

=第3回ワールド大リーグ戦=

 昭和36(1961)年5月25日(木曜日)、富山県富山市/富山市体育館(富山市スポーツセンター)
□シングルマッチ(15分1本勝負)
  馬場正平(10分0秒、羽交い締め)猪木完至

 昭和36(1961)年5月27日(土曜日)、岐阜県岐阜市/岐阜市民センター
□シングルマッチ(15分1本勝負)
  馬場正平(5分30秒、逆エビ固め)猪木完至

=ワールドリーグ戦選抜者国際試合=

 昭和36(1961)年6月10日(土曜日)、徳島県徳島市/徳島市民会館
□シングルマッチ(15分1本勝負)
  馬場正平(9分50秒、体固め)猪木完至

 昭和36(1961)年6月16日(金曜日)、福岡県八幡市/安川電機体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  馬場正平(8分5秒、エビ固め)猪木完至

 昭和36(1961)年6月20日(火曜日)、大分県別府市/別府市営温泉プール
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  馬場正平(9分19秒、エビ固め)猪木完至

 昭和36(1961)年6月28日(水曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  馬場正平(11分17秒、エビ固め)猪木完至

 この大阪での試合から3日後、馬場の姿は羽田空港にありました。ロサンゼルス行きの日航機に乗り込み、マンモス鈴木や芳の里とともに米国本土へと向かったのです。これに伴い、日本プロレスのマットから馬場対猪木の黄金カードは一時的に姿を消すこととなりました。その後、両者の対戦がふたたび実現するのは、米国およびカナダでの長期にわたる武者修行を終えた馬場が日本へ帰国を果たした「第5回ワールド大リーグ戦」の舞台を待つことになります。

[昭和38(1963)年]

=東京オリンピック協賛、第5回ワールド大リーグ戦=

 昭和38(1963)年4月25日(木曜日)、兵庫県豊岡市/豊岡市総合グラウンド
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(12分3秒、体固め)アントニオ猪木

=オリンピック協賛、プロレス国際戦・夏の陣=

 昭和38(1963)年7月19日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(17分21秒、体固め)アントニオ猪木

 この日は、テレビの生中継が行なわれた日でした。セミファイナルとして組まれていた豊登対大木金太郎の一戦が8分弱という短い時間で終了しているため、この馬場対猪木の熱戦も日本全国のお茶の間に放映された可能性が非常に大きいです。

 昭和38(1963)年7月28日(日曜日)、静岡県三島市/三嶋大社広場
□シングルマッチ(45分3本勝負)
  ジャイアント馬場(2-1)アントニオ猪木
   ①馬場(9分20秒、体固め)猪木
   ②猪木(4分56秒、体固め)馬場
   ③馬場(4分51秒、体固め)猪木

 この試合は、師匠である力道山が観戦しているということもあり、二人は大張り切りでリングに上がりました。試合は、猪木がフライングヘッドシザーズで馬場を倒したあと、激しいタックル合戦へと突入します。猪木はエキサイトしてパンチやニースタンプを繰り出しますが、馬場につかまってしまい、ココナッツクラッシュからニードロップを決められて1本目を落としました。
 続く2本目になると、猪木はタックルを仕掛けてくる馬場に対してドロップキックを連発で浴びせます。さらに首投げでマットに叩きつけてカウント3を奪い試合をイーブンへと戻しました。
 決勝となる3本目は、猪木が逆片エビ固めからレッグロックへと移行する猛攻を見せます。さらに、リング下に馬場を蹴り落とすなど優位に進めました。しかし、リングに這い上がってきた馬場はニースタンプから、さらに強力なニードロップを3連発で決め、猪木をノックアウトして勝利を収めました。

 昭和38(1963)年8月3日(土曜日)、大阪府岸和田市/岸和田港広場
□シングルマッチ(45分3本勝負)
  ジャイアント馬場(2-1)アントニオ猪木
   ①馬場(10分25秒、体固め)猪木
   ②猪木(5分15秒、体固め)馬場
   ③馬場(1分22秒、体固め)猪木

 1本目、猪木は馬場の鋭いソロートクローに苦戦を強いられる展開となりましたが、ヘッドロックからリストロックへと移行して反撃を試みます。中盤、馬場が全体重を載せた強烈なニードロップを繰り出し、そのままフォールの体勢に入りましたが、猪木は見事なブリッジを披露してこれを防御しました。しかし馬場は、猛攻で体力の弱った猪木を豪快なココナッツクラッシュの連発で仕留め、先制の1本を奪います。
 後のない2本目、猪木は必死の反撃に出ます。ショルダーブロックから鋭いドロップキックを見舞うと、馬場を激しくコーナーポストに激突させ、執念のフォール勝ちを収めてタイに持ち込みました。
 しかし決勝の3本目に入ると、またしても馬場の破壊力抜群なココナッツクラッシュの連打が火を噴くこととなります。防戦一方となった猪木に対し、最後は馬場が豪快なボディスラムを炸裂させてフォールを奪い、激戦に終止符を打ちました。

 昭和38(1963)年8月9日(金曜日)、東京都足立区/足立体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(10分26秒、体固め)アントニオ猪木

 この興行は、同日の午後10時から録画放映されています。セミファイナルの前に行なわれたこの試合は、番組内で放映された可能性が大きいです。

 昭和38(1963)年8月16日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(45分3本勝負)
  ジャイアント馬場(2-0)アントニオ猪木
   ①馬場(11分45秒、体固め)猪木
   ②馬場(4分8秒、体固め)猪木

 この試合は、テレビでの生中継で行なわれました。前週の録画放映に続き、2週連続で両者の対決が放映されたことを考えると、当時にあってもかなりの好カードであったのでしょう。
 1本目は、スタートから激しい闘志がぶつかり合う展開となりました。猪木は首投げから鮮やかなドロップキックを3連発で決めますが、馬場もすぐさまネックブリーカードロップからヘッドシザーズで応戦します。中盤、馬場は自らロープに飛んで強烈なショルダータックルを敢行しました。さらに右ストレートで猪木を倒すと、破壊力のあるニードロップを3発叩き込んで先制の1本を奪います。
 続く2本目が始まると、猪木は激しいキックの連発から逆片エビ固めを繰り出し、馬場の背骨を攻め立てました。しかし、馬場は自身の長い脚を巧みに利用してこの窮地を脱出します。そのまま突っ込んできた猪木を素早くヘッドロックにとらえると、豪快なココナッツクラッシュを炸裂させました。最後は強烈なネックブリーカードロップを見舞い、猪木をキャンバスに眠らせて連勝を飾りました。

=プロレス国際戦・続夏の陣=

 昭和38(1963)年9月4日(水曜日)、愛知県刈谷市/刈谷市営競技場
□シングルマッチ(45分3本勝負)
  ジャイアント馬場(2-1)アントニオ猪木
   ①馬場(12分6秒、体固め)猪木
   ②猪木(2分10秒、体固め)馬場
   ③馬場(2分48秒、体固め)猪木

 1本目は、リングサイドで師匠の力道山が見守る中、猪木が馬場の腕を執拗に攻め立てる展開となりました。馬場はその厳しい攻撃を耐え抜くと、腰投げから強烈な水平チョップを見舞い、さらに十八番であるニードロップを落として先制の1本を奪います。
 前回の対戦でストレート負けを喫している猪木は、後のない2本目で意地を見せます。激しいパンチとキックの連発で馬場を場外へと叩き落としました。リングへと上がってきた馬場はショルダーブロックを試みますが、猪木はこれを鮮やかにかわすと、すかさずニードロップとバックブリーカーを繰り出してカウント3を奪い、試合をタイへと戻しました。
 しかし3本目に入ると、馬場がスタートから圧倒的な猛ラッシュを仕掛けます。容赦ないココナッツクラッシュの連発から、仕上げのニードロップをきれいに繰り出し、猪木に対してその実力差を見せつける形で勝利を収めました。

=オリンピック協賛、秋季ワールド戦=

 昭和38(1963)年9月23日(月曜日)、秋田県大曲市/大曲市営球場
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(14分5秒、体固め)アントニオ猪木

 昭和38(1963)年9月28日(土曜日)、福島県福島市/福島県営体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(11分55秒、体固め)アントニオ猪木

 昭和38(1963)年10月2日(水曜日)、栃木県足利市/月見ヶ丘高等学校体育館
□シングルマッチ(20分1本勝負)
  ジャイアント馬場(12分0秒、体固め)アントニオ猪木

 この足利での試合が、両者にとって現役生活における最後のシングルマッチとなりました。その後、日本プロレスにおいて馬場も猪木もともにトップクラスのメインエベンターへと急成長を遂げ、のちに猪木が馬場に対して対戦を直訴する挑戦劇もありましたが、会社の首脳陣はその対戦の実現には非常に後ろ向きでした。それは、どちらか一方が敗れることによって、築き上げた商品価値が大きく落ちてしまうことを懸念したためです。
 ましてや、その後それぞれが「全日本プロレス」と「新日本プロレス」という新団体を旗揚げし、それぞれの団体を一身に支える象徴的な立場になってからは、ビジネスの観点からもなおさら直接対決が実現するはずはありませんでした。しかし、プロレスを愛するファンにとっては、日本のマット界の頂点に立つ二人の対決をもう一度だけでいいから見てみたいと願う、永遠の夢のカードであったに違いありません。


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