ジャイアント馬場 対 ニック・ボックウィンクル

 ジャイアント馬場と“最高峰の技術”と謳われたニック・ボックウィンクルの激闘の軌跡は、昭和のプロレス黄金期を彩る珠玉の名勝負数え唄です。一時代を築いた両雄のシングルマッチにおける全対戦の歴史を、当時の背景とともに振り返ります。

 両者の運命が初めて交錯したのは、ボックウィンクルが初来日を果たした昭和39年の日本プロレス「プロレス国際戦・夏の陣」でした。当時はまだ互いにブレイク前夜の若き時代でしたが、シングルマッチで2度激突し、馬場の1勝1分けという記録が残されています。のちに世界最高峰の地位に就く二人の、すべての始まりとなった瑞々しい戦いでした。

 その後、ボックウィンクルは昭和45年の「第1回NWAタッグ・リーグ戦」で2度目の来日を果たしますが、この時はタッグ戦が中心となり、シングルでの対戦は見送られました。さらに昭和49年には国際プロレスのリングへ上がったため、全日本プロレスを率いる馬場との対戦機会は訪れませんでした。

 満を持して両雄が再び相まみえたのは、昭和53年の全日本プロレス「’78世界最強タッグ決定リーグ戦」です。実に14年ぶりとなったシングルマッチは、ボックウィンクルが馬場に足4の字固めをがっちりと決めたまま、両者が縺れ合うように場外へ転落。緊迫した攻防のまま引き分けに終わり、観客に強烈な余韻を残しました。

 翌年の昭和54年2月11日、米国を舞台に歴史的一戦が行われます。前日にイリノイ州シカゴでアブドーラ・ザ・ブッチャーからPWF認定ヘビー級王座を奪還したばかりの馬場は、強行軍でミネソタ州ミネアポリスへ移動。ボックウィンクルが保持するAWA認定世界ヘビー級王座に挑戦しました。当時、日本のメディアでは「ノンタイトル戦」と報道されていましたが、実際は正真正銘のタイトルマッチであることが現地の広告で分かります。試合は馬場が反則勝ちを収めたものの、当時のAWAルール(反則による王座移動はなし)により、惜しくも世界の至宝奪取には届きませんでした。

 昭和55年末の「’80世界最強タッグ決定リーグ戦」で、両者は国内最後となるシングル対決を迎えます。この年の7月にバーン・ガニアに敗れて無冠となっていたボックウィンクルと、PWF王者である馬場の意地が激突。しかし結果は両者リングアウトとなり、またしても完全決着には至りませんでした。

[昭和39(1964)年]

プロレス国際戦・夏の陣(日本プロレス)

 昭和39(1964)年7月21日(火曜日)、福島県磐城市/小名浜駅裏広場(小名浜駅前広場)
□シングルマッチ(45分3本勝負)、レフェリー:ユセフ・トルコ
  ジャイアント馬場(1-1)ニック・ボックウィンクル
   ①ボックウィンクル(16分46秒、体固め)馬場
   ②馬場(8分4秒、体固め)ボックウィンクル
   ③馬場(時間切れ)ボックウィンクル

 昭和39(1964)年8月21日(金曜日)、東京都渋谷区/リキ・スポーツ・パレス
□シングルマッチ(45分3本勝負)、レフェリー:ユセフ・トルコ
  ジャイアント馬場(2-1)ニック・ボックウィンクル
   ①馬場(9分47秒、体固め)ボックウィンクル
   ②ボックウィンクル(4分15秒、体固め)馬場
   ③馬場(1分25秒、体固め)ボックウィンクル

[昭和53(1978)年]

’78世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和53(1978)年12月14日(木曜日)、北海道函館市/函館市民体育館
□スペシャルシングルマッチ/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ニック・ボックウインクル(13分15秒、両者リングアウト)ジャイアント馬場
   ※N・ボックウインクルはAWA認定世界ヘビー級王者。

[昭和54(1979)年]

アメリカン・レスリング・アソーシアーション(AWA)

 昭和54(1979)年2月11日(日曜日)
 米国/ミネソタ州ミネアポリス/ミネアポリス・ミュニシパル・オーデトリアム
□AWA認定世界ヘビー級選手権試合
  ジャイアント馬場(反則勝ち)ニック・ボックウィンクル
   ※第25代王者N・ボックウィンクルがルールにより王座防衛に成功する。G馬場はPWF認定ヘビー級王者。

[昭和55(1980)年]

’80世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和55(1980)年12月1日(月曜日)、北海道札幌市/北海道立札幌中島体育センター別館
□シングルマッチ/ノンタイトルマッチ(30分1本勝負)、レフェリー:タイガー服部
  ジャイアント馬場(9分10秒、両者リングアウト)ニック・ボックウインクル
   ※G馬場はPWF認定ヘビー級王者。

 のちに日米のマット界で頂点を極める二人の軌跡を振り返ると、その戦いは単なる勝敗を超えた芸術の域に達していたことが分かります。初対決から実に16年の歳月を経て紡がれた名勝負数え唄は、昭和のプロレスファンに強烈なロマンを与え続けました。

 ’80世界最強タッグ決定リーグ戦以降も、ボックウィンクルは7回ほど全日本プロレスのマットに上がり、芸術的なファイトでファンを魅了し続けました。しかし、ジャイアント馬場とのシングルマッチが組まれることは二度とありませんでした。

 通算成績は馬場の2勝3分け(※反則勝ち含む)。生涯を通してピンフォールやギブアップによる完全決着が一度もなかったという事実こそ、互いのプライドと実力が完全に伯仲していた何よりの証明と言えるでしょう。日米の至宝を懸けて戦い抜いた二人の名勝負は、昭和プロレス激闘史のなかでも色褪せることのない不滅の記録です。

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