ジャイアント馬場 対 ジャンボ鶴田

 ジャイアント馬場とジャンボ鶴田による伝説の師弟対決。その歴史の幕開けとなったのが、昭和50(1975)年12月15日に行われたオープン選手権での初シングルマッチでした。当時デビュー3年目だった鶴田は、高い壁として立ちはだかる馬場の前に惜しくも敗れ去ることとなります。

 実は、それ以前にも両者がシングルで相まみえる好機は存在していました。鶴田が初参戦を果たした昭和49(1974)年4〜5月の「第2回チャンピオン・カーニバル」では、準決勝戦でミスター・レスリング(ティム・ウッズ)と激突。勝てば決勝戦で馬場との一騎打ちが実現するという大一番でしたが、あと一歩のところで敗れてしまいます

 続く昭和50(1975)年4〜5月の「第3回チャンピオン・カーニバル」でも、決勝リーグへ進出すれば馬場との対戦が叶う状況にありました。トーナメント2回戦でジン・キニスキーに敗れた鶴田は敗者復活リーグ戦へと回り、そこでキラー・コワルスキーや高千穂明久を撃破して見事に同リーグを勝ち抜きます。しかし、ここでもまたしてもミスター・レスリングの前に涙を呑むこととなり、決勝リーグでの馬場戦は幻に終わりました。

 転機が訪れたのは、昭和51(1796)年4〜5月の「第4回チャンピオン・カーニバル」です。この大会から参加全選手による総当たりリーグ戦方式が導入されたことで、鶴田はついに馬場との2度目のシングルマッチを実現させます。しかし、ここでも大巨人の牙城を崩すことはできませんでした。

 そして昭和52(1977)年の「第5回チャンピオン・カーニバル」では、激闘の末に鶴田がリーグ戦1位を勝ち取ります。2位には馬場とアブドーラ・ザ・ブッチャーが同点で並び、なお鶴田はこの時のリーグ戦で馬場と初の引き分けを演じていました。5月14日の日本武道館大会、優勝戦出場者決定戦でブッチャーを反則勝ちで下した馬場が決勝へと駒を進め、鶴田との4度目の一騎打ちが実現します。鶴田は悲願の初優勝を目前にしながらも、最後は馬場の老獪なレスリングに屈しました。

 この一戦を境に、昭和53(1978)年から昭和57(1982)年にかけて、両者は春の本場所であるチャンピオン・カーニバルの舞台で毎年のように熱戦を繰り広げることとなります。しかし、互いの実力が伯仲したその後の対決は、すべて「30分時間切れ引き分け」という結末を迎え、決着がつくことはありませんでした。プロレスの歴史に深く刻まれた、大巨人・馬場と若きエース・鶴田による至高の激闘史をここに振り返ります。

[昭和50(1975)年]

オープン選手権大会(全日本プロレス)

 昭和50(1975)年12月15日(月曜日)、宮城県仙台市/宮城県スポーツセンター
□オープン選手権試合(30分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ジャイアント馬場(16分49秒、体固め)ジャンボ鶴田
   ※G馬場はPWF認定ヘビー級王者。

[昭和51(1976)年]

第4回チャンピオン・カーニバル(全日本プロレス)

 昭和51(1976)年5月1日(土曜日)、東京都墨田区/日本大学講堂
□チャンピオン・カーニバル公式リーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(26分15秒、片エビ固め)ジャンボ鶴田
   ※G馬場はPWF認定ヘビー級王者。

[昭和52(1977)年]

第5回チャンピオン・カーニバル(全日本プロレス)

 昭和52(1977)年5月4日(水曜日)、秋田県秋田市/秋田県立体育館
□チャンピオン・カーニバル公式リーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(時間切れ)ジャンボ鶴田
   ※G馬場はPWF認定ヘビー級王者。

 昭和52(1977)年5月14日(土曜日)、東京都千代田区/日本武道館
□チャンピオン・カーニバル優勝決定戦/ノンタイトル(60分1本勝負)
  ジャイアント馬場(10分39秒、体固め)ジャンボ鶴田
   ※G馬場が優勝する。馬場はPWF認定ヘビー級王者。

[昭和53(1978)年]

第6回チャンピオン・カーニバル(全日本プロレス)

 昭和53(1978)年4月3日(月曜日)、青森県青森市/青森市民体育館
□チャンピオン・カーニバル公式リーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(時間切れ)ジャンボ鶴田
   ※G馬場はPWF認定ヘビー級王者で、J鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。

[昭和54(1979)年]

第7回チャンピオン・カーニバル(全日本プロレス)

 昭和54(1979)年3月17日(土曜日)、福岡県福岡市/九電記念体育館
□チャンピオン・カーニバル公式リーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(時間切れ)ジャンボ鶴田
   ※G馬場はPWF認定ヘビー級王者で、J鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。

[昭和55(1980)年]

第8回チャンピオン・カーニバル(全日本プロレス)

 昭和55(1980)年4月18日(金曜日)、大阪府大阪市/大阪府立体育会館
□チャンピオン・カーニバル公式リーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(時間切れ)ジャンボ鶴田
   ※G馬場はPWF認定ヘビー級王者で、J鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。

[昭和56(1981)年]

第9回チャンピオン・カーニバル(全日本プロレス)

 昭和56(1981)年4月2日(木曜日)、茨城県水戸市/水戸市民体育館
□チャンピオン・カーニバル公式リーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(時間切れ)ジャンボ鶴田
   ※G馬場はPWF認定ヘビー級王者で、J鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。

[昭和57(1982)年]

第10回チャンピオン・カーニバル(全日本プロレス)

 昭和57(1982)年4月9日(金曜日)、鳥取県鳥取市/鳥取県立鳥取産業体育館
□チャンピオン・カーニバル公式リーグ戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場(時間切れ)ジャンボ鶴田
   ※G馬場はPWF認定ヘビー級王者で、J鶴田はPWF認定ユナイテッドナショナルヘビー級王者。

タッグマッチでの対戦

 両者はタッグマッチや6人タッグマッチでも多くの対戦がありました。昭和50(1975)年の「力道山13回忌追善合同大試合」での初対戦を皮切りに、全日本プロレスの看板シリーズである「世界最強タッグ決定リーグ戦」や周年記念試合などの大舞台で、何度も火花を散らしています。シングルマッチ同様、お互いの手の内を知り尽くした師弟による攻防は、タッグ戦においても時間切れ引き分けや白熱した展開を数多く生み出しました。

[昭和50(1975)年]

力道山13回忌追善合同大試合(全日本プロレス)

 昭和50(1975)年12月11日(木曜日)、東京都千代田区/日本武道館
□タッグマッチ(60分3本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ジャイアント馬場&ザ・デストロイヤー(2-1)ドリー・ファンク・ジュニア&ジャンボ鶴田
   ①デストロイヤー(13分56秒、体固め)ジュニア
   ②鶴田(2分27秒、片エビ固め)デストロイヤー
   ③デストロイヤー(5分29秒、エビ固め)鶴田

オープン選手権大会(全日本プロレス)

 昭和50(1975)年12月16日(火曜日)、新潟県長岡市/長岡市厚生会館
□タッグマッチ(30分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ジャイアント馬場&ヒロ・マツダ(0-0)ドリー・ファンク・ジュニア&ジャンボ鶴田
   ◎馬場組(時間切れ)ジュニア組

[昭和58(1983)年]

’83世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和58(1983)年11月29日(火曜日)、北海道札幌市/北海道立札幌中島体育センター別館
□世界最強タッグ決定リーグ公式戦(45分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ジャイアント馬場&ドリー・ファンク・ジュニア(0-0)ジャンボ鶴田&天龍源一郎
   ◎馬場組(時間切れ)鶴田組

[昭和59(1984)年]

グランド・チャンピオン・カーニバルⅠ[PWF認定世界タッグ王座決定リーグ戦](全日本プロレス)

 昭和59(1984)年4月13日(金曜日)、京都府京都市/京都府立体育館
□PWF認定世界タッグ王座決定リーグ1回戦(30分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ジャイアント馬場&ドリー・ファンク・ジュニア(0-0)ジャンボ鶴田&天龍源一郎
   ◎馬場組(時間切れ)鶴田組

 昭和59(1984)年4月23日(月曜日)、石川県金沢市/石川県産業展示館3号館
□PWF認定世界タッグ王座決定リーグ2回戦(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場&ドリー・ファンク・ジュニア(1-0)ジャンボ鶴田&天龍源一郎
   ◎ファンク(25分15秒、リングアウト)鶴田

全日本プロレス-ジャパン・プロレス提携記念試合(全日本プロレス)

 昭和59(1984)年11月16日(金曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□タッグマッチ(10分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ジャイアント馬場&天龍源一郎(0-0)ジャンボ鶴田&タイガー・マスク
   ◎馬場組(7分2秒、無効試合)鶴田組
      ※T・マスクの正体は三沢光晴。

’84世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和59(1984)年12月8日(土曜日)、愛知県名古屋市/愛知県体育館
□’84世界最強タッグ決定リーグ公式戦/ノンタイトル(30分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ジャンボ鶴田&天龍源一郎(1-0)ジャイアント馬場&ラッシャー木村
   ◎鶴田組(8分25秒、試合放棄)馬場組
   ※J鶴田&天龍源一郎はPWF認定インターナショナルタッグ王者チーム。

[昭和60(1985)年]

’85世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和60(1985)年12月12日(木曜日)、東京都千代田区/日本武道館
□世界最強タッグ決定リーグ公式戦/ノンタイトル(30分1本勝負)、レフェリー:タイガー服部
  ジャンボ鶴田&天龍源一郎(0-0)ジャイアント馬場&ドリー・ファンク・ジュニア
   ◎鶴田組(時間切れ)馬場組
   ※J鶴田&天龍源一郎はPWF認定インターナショナルタッグ王者チーム。

[昭和61(1986)年]

創立15周年記念’86世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和61(1986)年11月28日(金曜日)、北海道札幌市/北海道立札幌中島体育センター別館
□世界最強タッグ決定リーグ公式戦(30分1本勝負)、レフェリー:ジョー樋口
  ジャンボ鶴田&天龍源一郎(1-0)ジャイアント馬場&タイガー・マスク
   ◎鶴田(18分38秒、片エビ固め)タイガー

[昭和62(1987)年]

全日本プロレス創立満15周年記念’87世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和62(1987)年12月6日(日曜日)、大分県別府市/別府市営温泉プール
□世界最強タッグ決定リーグ公式戦(30分1本勝負)
  ジャンボ鶴田&谷津嘉章(0-0)ジャイアント馬場&輪島大士
   ◎谷津(20分33秒、両者リングアウト)輪島

[昭和63(1988)年]

全日本プロレス創立満16周年記念’88世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 昭和63(1988)年11月25日(金曜日)、熊本県熊本市/熊本市水前寺体育館
□世界最強タッグ決定リーグ公式戦/ノンタイトル(30分1本勝負)
  ジャンボ鶴田&谷津嘉章(0-0)ジャイアント馬場&ラッシャー木村
   ◎鶴田組(時間切れ)馬場組
   ※J鶴田&谷津嘉章は世界タッグ王者チーム。

[平成元(1989)年]

エキサイト・シリーズ(全日本プロレス)

 平成元(1989)年2月25日(土曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□世界タッグ選手権試合(60分1本勝負)
  ジャンボ鶴田&谷津嘉章(1-0)ジャイアント馬場&ラッシャー木村
   ◎鶴田(20分12秒、エビ固め)木村
   ※第7代王者チームのJ鶴田&谷津嘉章が2度目の防衛に成功する。

サマー・アクション・シリーズ(全日本プロレス)

 平成元(1989)年7月16日(日曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□6人タッグマッチ(45分1本勝負)
  ジャイアント馬場&ラッシャー木村&ジョン・テンタ
  (1-0)ジャンボ鶴田&ザ・グレート・カブキ&渕正信
   ◎馬場(17分48秒、片エビ固め)渕

ジャイアント・シリーズ(全日本プロレス)

 平成元(1989)年10月8日(日曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□6人タッグマッチ(45分1本勝負)
  ジャイアント馬場&ザ・グレート・カブキ&渕正信
  (1-0)ジャンボ鶴田&谷津嘉章&小橋健太
   ◎カブキ(23分20秒、エビ固め)小橋

’89世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 平成元(1989)年11月19日(日曜日)、東京都文京区/後楽園ホール
□’89世界最強タッグ決定リーグ戦(30分1本勝負)、レフェリー:和田京平
  ジャンボ鶴田&谷津嘉章(1-0)ジャイアント馬場&ラッシャー木村
   ◎鶴田(17分10秒、体固め)木村(バックドロップ)

 平成元(1989)年11月23日(木曜日、祝日)、鳥取県鳥取市/鳥取県立鳥取産業体育館
□6人タッグマッチ(45分1本勝負)
  ジャイアント馬場&ラッシャー木村&小橋健太
  (1-0)ジャンボ鶴田&谷津嘉章&渕正信
   ◎馬場(20分56秒、片エビ固め)渕

 平成元(1989)年11月28日(火曜日)、青森県八戸市/八戸市体育館
□6人タッグマッチ(60分1本勝負)
  ジャンボ鶴田&谷津嘉章&渕正信
  (1-0)ジャイアント馬場&ラッシャー木村&小橋健太
   ◎鶴田(19分45秒、体固め)小橋

[平成2(1990)年]

’90世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 平成2(1990)年11月20日(火曜日)、愛知県名古屋市/愛知県体育館
□’90世界最強タッグ決定リーグ公式戦(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場&アンドレ・ザ・ジャイアント(1-0)ジャンボ鶴田&田上明
   ◎アンドレ(14分2秒、体固め)田上

[平成3(1991)年]

’91世界最強タッグ決定リーグ戦(全日本プロレス)

 平成3(1991)年11月22日(金曜日)、香川県高松市/高松市民文化センター
□世界最強タッグ決定リーグ公式戦(30分1本勝負)
  ジャイアント馬場&アンドレ・ザ・ジャイアント(1-0)ジャンボ鶴田&田上明
   ◎馬場(10分33秒、体固め)田上

[平成4(1992)年]

ジャイアント・シリーズ(全日本プロレス)

 平成4(1992)年10月6日(火曜日)、岡山県岡山市/岡山武道館
□6人タッグマッチ/20周年記念特別試合(60分1本勝負)
  ジャイアント馬場&三沢光晴&小橋健太(1-0)ジャンボ鶴田&田上明&渕正信
   ◎小橋(29分17秒、片エビ固め)渕

 平成4(1992)年10月21日(水曜日)、東京都千代田区/日本武道館
□6人タッグマッチ/20周年記念特別試合(60分1本勝負)
  ジャンボ鶴田&アンドレ・ザ・ジャイアント&テリー・ゴディ
  (1-0)ジャイアント馬場&スタン・ハンセン&ドリー・ファンク・ジュニア
   ◎鶴田(14分32秒、首固め)ジュニア

[平成8(1996)年]

’96ジャイアント・シリーズ(全日本プロレス)

 平成8(1996)年10月18日(金曜日)、東京都千代田区/日本武道館
□6人タッグマッチ/旗揚げ24周年記念試合(60分1本勝負)
  ジャイアント馬場&田上明&ドリー・ファンク・ジュニア(1-0)三沢光晴&ジャンボ鶴田&秋山準
   ◎田上(15分36秒、片エビ固め)鶴田

 ジャイアント馬場とジャンボ鶴田による対決の歴史は、まさに全日本プロレス、ひいては昭和から平成にかけての日本プロレス界の王道の歴史そのものでした。

 シングルマッチにおいては、鶴田のデビュー3年目に行われたオープン選手権での初対決から始まり、初期は馬場が高い壁として君臨し続けました。しかし、鶴田の急成長とともに実力は伯仲し、昭和53(1978)年から昭和57(1982)年の「チャンピオン・カーニバル」での対戦はすべて30分時間切れ引き分けという、どちらも譲らない至高の好勝負が連続することとなりました。

 一方、タッグマッチや6人タッグマッチの舞台に目を移しても、その激闘の系譜は色濃く受け継がれています。天龍源一郎や谷津嘉章、アンドレ・ザ・ジャイアント、三沢光晴といった、その時代を彩る名レスラーたちを交えながら、師弟対決の枠を超えたドラマがリング上で展開されました。

 大巨人としてプロレス界を牽引し続けた馬場と、その背中を追い、やがて完全なるエースへと覚醒していった鶴田。この2人が織りなしたシングル全10戦、そして数々のタッグマッチにおける激闘は、時代が変わっても色褪せることのない伝説として、これからもファンの胸に刻まれ続けることでしょう。

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