キラー・カーンが初めてアンドレ・ザ・ジャイアントと対戦したのは、まだ「小沢正志」と名乗っていた時代でした。新日本プロレスにアンドレが初登場した昭和49年の「ビッグ・ファイト・シリーズ」において、小沢はハンディキャップマッチで3回対戦しています。3月3日は山本小鉄、3月8日と3月12日は柴田勝久をパートナーにして大巨人に立ち向かいましたが、3試合とも小沢がフォールを奪われる結果に終わりました。同年の11〜12月にアンドレが新日本プロレスへ再登場した際、ついにシングルマッチで激突するという幸運(?)に恵まれましたが、この時は6分足らずでフォール負けを喫しています。
それから4年後の昭和53(1978)年、小沢はメキシコへ渡り「テムヒン・エル・モンゴル」に変身。さらに翌年にはフロリダへ転戦し、ついに「キラー・カーン」が誕生します。昭和55(1980)年にWWFエリアへ進出すると、時のWWF認定ヘビー級王座に2度にわたって挑戦するチャンスを掴み取りました。
しかし、WWFには王者ボブ・バックランド以上の実力者が立ちはだかっていました。それこそがアンドレ・ザ・ジャイアントです。昭和56(1981)年4月からは両者のシングルマッチが数多く組まれるようになります。この時のカーンは、かつての小沢ではありません。アンドレに勝てないまでも、引き分けに持ち込む熱戦を展開するようになっていきました。
そんな中、歴史的な事件が起こります。アンドレが自らのアクシデントにより足首を負傷してしまったのです。しかし、これが「カーンのニードロップによる骨折」とプロモーションされたことで、2人の遺恨試合は各地で爆発的な盛り上がりを見せることとなりました。特に「モンゴリアン・ストレッチャーマッチ(敗者担架送りデスマッチ)」は、屈指の人気試合形式として全米を熱狂させました。
2人の激しい遺恨は日本にも飛び火し、昭和56(1981)年から昭和58(1983)年にかけて日本国内でも8回にわたり対戦が行われています。中でも昭和57(1982)年4月1日の「MSGシリーズ」優勝決定戦は語り草となっています。本来はリーグ戦第1位のアンドレと第2位のアントニオ猪木の間で行われる予定でしたが、猪木が前日の試合で左膝関節を痛めて急遽辞退したため、第3位のカーンがアンドレと優勝を争うことになったのです。試合は17分近くにおよぶ大熱戦となりましたが、惜しくもカーンが栄冠を勝ち取ることはできませんでした。
激動の昭和プロレス史を彩った、怪物2人による伝説のライバルストーリー。その対戦記録をここに振り返ります。
[昭和49(1974)年]
闘魂シリーズ第2弾(新日本プロレス)
昭和49(1974)年11月24日(日曜日)、鹿児島県川内市/川内市立体育館
□シングルマッチ(30分1本勝負)
アンドレ・ザ・ジャイアント(5分29秒、エビ固め)小沢正志
※小沢正志はキラー・カーンのこと。
[昭和56(1981)年]
ワールド・レスリング・エデレーション(WWF)
昭和56(1981)年4月13日(月曜日)
米国/ニューヨーク州ロチェスター/ロチェスター・コミュニティ・ウォー・メモリアル
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(13分21秒、フォール勝ち)キラー・カーン(15分56秒説あり)
昭和56(1981)年7月17日(金曜日)
米国/ニューヨーク州グレンズフォールズ/グレンズフォールズ・シビック・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)キラー・カーン
昭和56(1981)年7月18日(土曜日)
米国/ロードアイランド州プロビデンス/プロビデンス・シビック・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(両者反則)キラー・カーン
昭和56(1981)年7月20日(月曜日)
米国/ニューヨーク州ニューヨークシティ/マジソン・スクウェア・ガーデン
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(両者反則)キラー・カーン
昭和56(1981)年7月25日(土曜日)
米国/マサチューセッツ州スプリングフィールド/スプリングフィールド・シビック・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(8分1秒、フォール勝ち)キラー・カーン
昭和56(1981)年7月31日(金曜日)
米国/ニューヨーク州ミドルタウン/オレンジ・カウンティ・フェアグラウンズ・フィールドハウス
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)キラー・カーン
昭和56(1981)年8月7日(金曜日)
米国/ニュージャージー州アズベリーパーク/アズベリーパーク・コンベンション・ホール
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(カウントアウト)キラー・カーン
昭和56(1981)年8月8日(土曜日)
米国/マサチューセッツ州ボストン/ボストン・ガーデン
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(15分20秒、勝ち)キラー・カーン
昭和56(1981)年8月14日(金曜日)
米国/ペンシルバニア州ピッツバーグ/ピッツバーグ・シビック・アリーナ
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(11分2秒、両者反則)キラー・カーン
昭和56(1981)年8月15日(土曜日)
米国/メリーランド州ランドーバー/キャピタル・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(両者反則)キラー・カーン
インターナショナル・レスリング
昭和56(1981)年8月17日(月曜日)
カナダ/ケベック州モントリオール/ポール・サウベ・アリーナ
□シングルマッチ、レフェリー:ドン・レオ・ジョナサン
アンドレ・ザ・ジャイアント(結果不明)キラー・カーン
ワールド・レスリング・エデレーション(WWF)
昭和56(1981)年8月18日(火曜日)
米国/メリーランド州ソールズベリー/ワイコミコ・ユース・アンド・シビック・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)キラー・カーン
昭和56(1981)年8月22日(土曜日)
米国/ニューヨーク州ロチェスター/ロチェスター・コミュニティ・ウォー・メモリアル
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(6分10秒、両者反則)キラー・カーン
昭和56(1981)年8月24日(月曜日)
米国/ニューヨーク州ニューヨークシティ/マジソン・スクウェア・ガーデン
□テキサスデスマッチ、レフェリー:ゴリラ・モンスーン&パット・パターソン
アンドレ・ザ・ジャイアント(6分48秒、勝ち)キラー・カーン
昭和56(1981)年8月26日(水曜日)
米国/メーン州オーガスタ/オーガスタ・シビック・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(10分20秒、フォール勝ち)キラー・カーン
インターナショナル・レスリング
昭和56(1981)年9月8日(火曜日)
カナダ/オンタリオ州オタワ/会場名不明
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(結果不明)キラー・カーン
ワールド・レスリング・エデレーション(WWF)
昭和56(1981)年10月9日(金曜日)
米国/ペンシルバニア州ピッツバーグ/ピッツバーグ・シビック・アリーナ
□モンゴリアンストレッチャーマッチ、レフェリー:ゴリラ・モンスーン
アンドレ・ザ・ジャイアント(16分45秒、勝ち)キラー・カーン
昭和56(1981)年10月10日(土曜日)
米国/マサチューセッツ州ボストン/ボストン・ガーデン
□モンゴリアンストレッチャーマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(16分20秒、勝ち)キラー・カーン
インターナショナル・レスリング
昭和56(1981)年10月12日(月曜日)
カナダ/ケベック州モントリオール/ポール・サウベ・アリーナ
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)キラー・カーン
ワールド・レスリング・エデレーション(WWF)
昭和56(1981)年10月17日(土曜日、昼)
米国/メリーランド州ランドーバー/キャピタル・センター
□モンゴリアンストレッチャーマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(10分2秒、勝ち)キラー・カーン
昭和56(1981)年10月17日(土曜日)
米国/ペンシルバニア州フィラデルフィア/スペクトラム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(17分43秒、両者カウントアウト)キラー・カーン
昭和56(1981)年11月14日(土曜日)
米国/ペンシルバニア州フィラデルフィア/スペクトラム
□モンゴリアンストレッチャーマッチ、レフェリー:ディック・ウォーリー
アンドレ・ザ・ジャイアント(9分57秒、勝ち)キラー・カーン
メープル・リーフ・レスリング
昭和56(1981)年11月15日(日曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(14分19秒、両者反則)キラー・カーン
第2回MSGタッグ・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和56(1981)年12月8日(火曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□シングルマッチ(60分1本勝負)、レフェリー:ミスター高橋
アンドレ・ザ・ジャイアント(8分16秒、体固め)キラー・カーン
NWAハリウッド・レスリング
昭和56(1981)年12月11日(金曜日)
米国/カリフォルニア州ロサンゼルス/ロサンゼルス・スポーツ・アリーナ
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)キラー・カーン
ワールド・レスリング・エデレーション(WWF)
昭和56(1981)年12月13日(日曜日)
米国/ニュージャージー州イーストラザフォード/ブレンダン・バーン・アリーナ
□モンゴリアンストレッチャーマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(15分27秒、勝ち)キラー・カーン
昭和56(1981)年12月26日(土曜日)
米国/メリーランド州ボルチモア/ボルチモア・シビック・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(15分10秒、フォール勝ち)キラー・カーン(16分10秒説あり)
メープル・リーフ・レスリング
昭和56(1981)年12月27日(曜日)
カナダ/オンタリオ州トロント/メープル・リーフ・ガーデン
□モンゴリアンストレッチャーマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(7分18秒、勝ち)キラー・カーン
[昭和57(1982)年]
第5回MSGシリーズ(新日本プロレス)
昭和57(1982)年3月19日(金曜日)、鹿児島県鹿児島市/鹿児島県総合体育センター体育館
□MSG公式リーグ戦(30分1本勝負)
アンドレ・ザ・ジャイアント(3分32秒、両者リングアウト)キラー・カーン
昭和57(1982)年3月31日(水曜日)、愛知県名古屋市/愛知県体育館
□シングルマッチ(時間無制限1本勝負)
アンドレ・ザ・ジャイアント(4分58秒、両者リングアウト)キラー・カーン
昭和57(1982)年4月1日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□MSGシリーズ優勝決定戦(時間無制限1本勝負)、レフェリー:ミスター高橋
アンドレ・ザ・ジャイアント(16分42秒、体固め)キラー・カーン
※A・ザ・ジャイアントが優勝する。
ミッド=サウス・レスリング・アソーシエーション(MSWA)
昭和57(1982)年7月11日(日曜日)
米国/ルイジアナ州アレクサンドリア/ラピッズ・パリッシュ・コロシアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(結果不明)キラー・カーン
昭和57(1982)年7月16日(金曜日)
米国/ルイジアナ州シュリーブポート/シュリーブポート・ミュンシパル・メモリアル・オーデトリアム
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)キラー・カーン
昭和57(1982)年7月18日(日曜日)
米国/オクラホマ州タルサ/タルサ・アセンブリー・センター
□シングルマッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント(勝ち)キラー・カーン
第3回MSGタッグ・リーグ戦(新日本プロレス)
昭和57(1982)年12月7日(火曜日)、香川県高松市/高松市民文化センター
□シングルマッチ(60分1本勝負)、レフェリー:ミスター高橋
アンドレ・ザ・ジャイアント(3分25秒、体固め)キラー・カーン
[昭和58(1983)年]
IWGP決勝リーグ(新日本プロレス)
昭和58(1983)年5月20日(金曜日)、熊本県熊本市/熊本市体育館
□シングルマッチ(45分1本勝負)
アンドレ・ザ・ジャイアント(17分26秒、体固め)キラー・カーン
昭和58(1983)年6月1日(水曜日)、愛知県名古屋市/愛知県体育館
□IWGP決勝リーグ戦(60分1本勝負)
アンドレ・ザ・ジャイアント(14分12秒、両者リングアウト)キラー・カーン
昭和58(1983)年6月2日(木曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□シングルマッチ(60分1本勝負)
アンドレ・ザ・ジャイアント(6分2秒、体固め)キラー・カーン
キラー・カーンとアンドレ・ザ・ジャイアントによる、日米のマットを震撼させた壮絶なライバル抗争。記録を紐解くと、両者は通算で39回対戦し、その成績はアンドレの26勝10分け3不明となっています。
数字の上では大巨人が圧倒的な強さを示していますが、その内容を見れば単なる一方的な展開ではなかったことが分かります。ニューヨークやフィラデルフィアをはじめとするWWFエリアを舞台に、2人は連日のように各地を転戦しました。時には「モンゴリアン・ストレッチャーマッチ」や「テキサス・デスマッチ」といった過酷な形式で血で血を洗う死闘を繰り広げ、観客を熱狂の渦に巻き込んだのです。結果が「不明」とされているカナダなどでの試合も含め、当時の北米サーキットにおける熱量と過密なスケジュールは、まさに驚異的と言うほかありません。
そして、その遺恨のドラマは日本の蔵前国技館や地方の体育館にも持ち込まれ、ファンに強烈なインパクトを残しました。若き日の「小沢正志」時代には6分足らずでフォールを奪われていたカーンが、世界の強豪へと成長を遂げ、大巨人の好敵手としてリングを支配した足跡は、昭和プロレス史における屈指のサクセスストーリーです。
規格外の体躯を誇るアンドレに真正面から立ち向かい、数々の名勝負を刻んだキラー・カーン。2人が繰り広げた一戦一戦の記録は、今なお色褪せることのない黄金時代の記憶として、私たちの心に深く刻まれています。