レフェリーの枠を超えた「知られざる強豪レスラー」としての素顔
昭和のプロレスファンにとって、沖識名(おき・しきな)といえば「エキサイトした外国人レスラーにシャツをビリビリに破られる名物レフェリー」、あるいは「悪役びいきのコミカルな演出で会場を沸かせた名脇役」としての印象が強いかもしれません。
しかし、それは彼が50代を迎えてからの姿に過ぎません。本名を識名盛夫(しきな・もりお)という彼は、戦前のハワイ相撲で横綱(沖の海)として君臨し、柔道や琉球相撲などあらゆる格闘技を極めた怪力無双の人物でした。昭和6(1931)年にプロレスラーへと転向すると、NWA認定ハワイヘビー級王座を獲得し、世界ヘビー級王者のジム・ロンドス、エベレット・マーシャル、ブロンコ・ナグルスキーらに何度も挑戦した一流の「本物の強豪レスラー」だったのです。
そんな沖は、プロレスの歴史を大きく変えた2つの極めて重要な役割を果たしています。
1つ目は、近代プロレスの絶対王者ルー・テーズへの「バックドロップ(岩石落とし)」の伝授です。当時、地味な関節技が主流で不評を買っていたテーズに対し、沖が日本の柔道の裏投げや相撲の技術を応用して教え込んだ技こそが、のちにプロレス界最強の必殺技となるバックドロップでした。
2つ目は、日本プロレスの祖・力道山の育成です。昭和27(1952)年、大相撲からプロレスへ転向した力道山が教えを乞うためにハワイへ渡った際、沖は毎日砂浜で過酷なランニングやしごきを行い、相撲特有の太いお腹を引き締まったレスラーの肉体へと叩き直しました。まさに力道山の「生涯の師」であり、日本プロレスの基盤を作った最大の功労者だったのです。
このように凄まじい実力を持っていた沖ですが、日本国内のリングで「レスラー」として戦ったのは、現時点で公式に確認できるものでわずか3試合しかありません。レフェリーのユニフォームを脱ぎ、かつての強豪としての片鱗を見せた幻の国内3試合、そしてその後のハワイ遠征の全記録をここに紐解きます。
伝説の幕開け、蔵前国技館での遠藤幸吉戦
日本プロレスの記念すべき初興行である「マナスル登山基金募集、日米プロレスリング」は、昭和29(1954)年2月19日に蔵前国技館で幕を開けました。3月7日のフライヤー・ジム(横浜市)での最終戦まで全14戦という強行軍でした。
その最終戦からわずか2日後となる3月9日、蔵前国技館にて「日米プロレスリング慈善試合」(別名:身体不自由児援護基金募集、シャープ兄弟送別試合)という特別な興行が打たれました。この大会で、当時49歳となっていた名レフェリーの沖識名が、なんと「レスラー」としてマットに上がったのです。
対戦相手は、柔道出身で当時の日本プロレス界でもかなりの実力者として知られていた遠藤幸吉でした。沖は、若く動ける遠藤を相手に一歩も引かず、戦前のアメリカ仕込みである極めてハイレベルなグランドテクニックを披露しました。そして最後は、当時の新聞に掲載された「足取り固め」という技で見事に遠藤からギブアップを奪ってみせたのです。


この決勝技となった「足取り固め」について、現代のプロレス界では正確にどの技を指すのかはっきりとは分かっていません。しかし、当時の新聞やスポーツ紙で頻繁に使われていた表現であることから、「片エビ固め」「逆エビ固め」「逆片エビ固め」、あるいはテーズが得意とした「ステップ・オーバー・トーホールド」などの足関節技や固め技の総称であったと推測されています。近年発見された1950年代の古い写真には、沖が見事なアキレス腱固めを極めている姿が残されており、黎明期から彼が鋭い足関節の技術を持っていた裏付けとされています。
昭和29(1954)年3月9日(火曜日)、東京都台東区/蔵前国技館
□エキシビションマッチ(10分1本勝負)
沖識名(5分50秒、足取り固め)遠藤幸吉
国内での6人タッグマッチとハワイ遠征の軌跡
昭和29(1954)年8月および9月、沖は力道山や遠藤幸吉と組んで6人タッグマッチに参戦しました。東京都体育館や名古屋市金山体育館での試合において、沖はアメリカの強豪チームを相手に奮闘し、自らフォール勝ちを挙げるなどチームの勝利に貢献したのです。その後、昭和30(1955)年春にはハワイ・ホノルルに渡り、力道山や東富士らとともにアル・カラシックの興行に参加して数々のシングルマッチやタッグマッチに出場しました。

昭和29(1954)年8月25日(水曜日)、東京都渋谷区/東京体育館
□6人タッグマッチ/毎日杯争奪戦(61分3本勝負)、レフェリー:ハロルド登喜、サブレフェリー:九州山
力道山&遠藤幸吉&沖識名
(2-1)ハンス・シュナーベル&ルー・ニューマン&ドクター・オルソン
①シュナーベル(20分18秒、体固め)沖(20分11秒説あり)
②力道山(4分37秒、体固め)シュナーベル(6分37秒説あり)
③力道山(3分55秒、体固め)オルソン(3分56秒説あり)
昭和29(1954)年9月14日(火曜日)、愛知県名古屋市/名古屋市金山体育館
□6人タッグマッチ(61分3本勝負)
力道山&遠藤幸吉&沖識名
(2-1)ハンス・シュナーベル&ルー・ニューマン&ドクター・オルソン
①シュナーベル(12分40秒、足取り固め)遠藤(12分52秒説あり)
②沖(9分54秒、体固め)ニューマン
③力道山(6分59秒、体固め)オルソン(5分49秒説あり)
昭和30(1955)年4月24日(日曜日)
米国/ハワイ州ホノルル/ホノルル・シビック・オーデトリアム
1)シングルマッチ(30分1本勝負)
沖識名(11分48秒、腕ひしぎ十字固め)アル・マリノ
2)シングルマッチ(30分1本勝負)
東富士(10分33秒、フォール勝ち)ロベルト・ピコ
※R・ピコはパンチョ・ビラのこと。
3)シングルマッチ(30分1本勝負)
力道山(時間切れ)ラッキー・シモノビッチ
4)ハンディキャップマッチ(45分1本勝負)
ボビー・ブランズ&ドック・ガラガー(1-0)ゼブラ・キッド
◎ブランズ組(時間切れ判定勝ち)キッド
※Z・キッド(ジョージ・ボラス)が時間内にふたりからフォール勝ちを収めることができなかったため、B・ブランズ組の勝ちとなる。
昭和30(1955)年5月1日(日曜日)
米国/ハワイ州ホノルル/ホノルル・シビック・オーデトリアム
1)シングルマッチ(30分1本勝負)
ドック・ガラガー(14分15秒、フォール勝ち)沖識名
2)シングルマッチ(45分3本勝負)
トニー・アンジェロ(2-1)ボビー・ブランズ
①アンジェロ(18分54秒、勝ち)ブランズ
②ブランズ(20分0秒、反則勝ち)アンジェロ
③アンジェロ(0分0秒、試合放棄)ブランズ
3)タッグマッチ/ノンタイトル(45分3本勝負)
力道山&東富士(2-1)ゼブラ・キッド&ロベルト・ピコ
①東富士(20分57秒、サバ折り)ピコ
②キッド(6分40秒、フォール勝ち)力道山
③力道山組(7分50秒、反則勝ち)キッド組
※力道山&東富士はNWA認定ハワイタッグ王者チーム。
昭和30(1955)年5月15日(日曜日)
米国/ハワイ州ホノルル/ホノルル・シビック・オーデトリアム
1)シングルマッチ(20分1本勝負)
ティニア・スア(9分15秒、反則勝ち)バケッツ・シュナーベル
2)シングルマッチ(30分1本勝負)
ボビー・ブランズ(12分6秒、フォール勝ち)ドック・ガラガー
3)タッグマッチ(30分1本勝負)
東富士&沖識名(1-0)トニー・アンジェロ&ロベルト・ピコ
◎東富士(23分52秒、サバ折り)ピコ
4)シングルマッチ/ノンタイトル(45分3本勝負)、レフェリー:フランク・メリル
ジョージ・ボラス(1-1)ニック・ロバーツ
①ボラス(22分10秒、フォール勝ち)ロバーツ
②ロバーツ(9分50秒、フォール勝ち)ボラス
③ボラス(7分17秒、無効試合)ロバーツ
※G・ボラスはNWA認定ハワイヘビー級王者。
昭和30(1955)年5月29日(日曜日)
米国/ハワイ州ホノルル/ホノルル・シビック・オーデトリアム
1)シングルマッチ(1本勝負)
沖識名(13分55秒、反則勝ち)ドック・ガラガー
2)シングルマッチ(時間無制限1本勝負)
東富士(17分57秒、勝ち)トニー・アンジェロ
3)タッグマッチ(45分3本勝負)
ボビー・ブランズ&ニック・ロバーツ(1-0)ジョージ・ボラス&ロベルト・ピコ
①ロバーツ(26分35秒、勝ち)ピコ
②ブランズ組(時間切れ)ボラス組
昭和30(1955)年6月5日(日曜日)
米国/ハワイ州ホノルル/ホノルル・シビック・オーデトリアム
1)タッグマッチ(時間無制限1本勝負)
ボビー・ブランズ&沖識名(1-0)ドック・ガラガー&ロベルト・ピコ
◎ブランズ組(19分24秒、反則勝ち)ガラガー組
2)シングルマッチ(45分3本勝負)
トニー・アンジェロ(1-1)ニック・ロバーツ
①ロバーツ(28分7秒、勝ち)アンジェロ
②アンジェロ(14分15秒、勝ち)ロバーツ
③ロバーツ(時間切れ)アンジェロ
3)シングルマッチ/ノンタイトル(45分3本勝負)
東富士(2-1)ジョージ・ボラス
①ボラス(9分28秒、エビ固め)東富士
②東富士(4分4秒、フォール勝ち)ボラス
③東富士(3分10秒、リングアウト)ボラス
※G・ボラスはNWA認定ハワイヘビー級王者。
昭和30(1955)年6月12日(日曜日)
米国/ハワイ州ホノルル/ホノルル・シビック・オーデトリアム
1)バトルロイヤル(6人参加)
[参加選手(退場順)]
ボビー・ブランズ、トニー・アンジェロ、ドック・ガラガー、沖識名、ロベルト・ピコ(残留)、ニック・ロバーツ(残留)。
[結果] R・ピコとN・ロバーツが残留する。負けた順にシングルマッチが組まれることになる。
2)シングルマッチ
ボビー・ブランズ(10分59秒、勝ち)トニー・アンジェロ
3)シングルマッチ
沖識名(12分40秒、反則勝ち)ドック・ガラガー
4)バトルロイヤル決勝
ニック・ロバーツ(20分35秒、フォール勝ち)ロベルト・ピコ
※N・ロバーツが優勝する。
5)NWA認定ハワイヘビー級選手権試合(61分3本勝負)
ジョージ・ボラス(2-1)東富士
①ボラス(11分50秒、フォール勝ち)東富士
②東富士(3分52秒、サバ折り)ボラス
③ボラス(7分0秒、フォール勝ち)東富士
※第26代王者G・ボラスが王座防衛に成功する。
激動の生涯と、師弟が繋いだ運命の終着点
ハワイ遠征を最後にレスラー生活にピリオドを打った沖は、その後再びレフェリーに専念し、昭和48年(1973年)まで日本のプロレス界を支えました。昭和58(1983)年12月15日に79歳で亡くなりましたが、その命日は奇しくも愛弟子・力道山と同じ日でした。レフェリーの裏に隠された国内3試合などの実績は、彼がプロレス黎明期を支えた本物の実力者であった動かぬ証拠です。
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