プロレスラー・羅生門綱五郎の海外遠征といえば、これまでは昭和32(1957)年1月に敢行された、まだ本土復帰前の沖縄遠征が広く知られてきました。同年10月の沖縄遠征(世界王者ルー・テーズらが参加)には加わらなかったものの、その直後に行われた台湾遠征こそが、これまでの定説であり、私の知る限りの足跡でした。
もっとも、台湾は羅生門にとって懐かしい母国(本名・卓詒約)であるため、厳密な意味での「海外遠征」と呼ぶには少し語弊があるかもしれません。また、当時の沖縄での試合も、現代の感覚からすれば文字通りの遠征とは言い難い側面があります。ところが、羅生門がその巨体を揺らし、文字通り立派な「世界規模の海外遠征」を行っていた事実が、近年の資料発掘によって明らかになりました。その動かぬ証拠が、当時の新聞にひっそりと刻まれていた次の記事です。

[海外短信]
オーストラリアで羅生門が人気を呼んでいる。映画ではなくプロ・レスラー羅生門綱五郎だ。六尺七寸の長身に惚れ込んだプリモ・カルネラが相手役として世界巡業の道連れにしているのだが二巨人の格闘はプロ・レス好きのオーストラリア人にうって付けの好カードとされている。最近の試合ではカルネラがフォール勝ちしている。
この記事が放つ興奮は、当時のプロレスファンにとって凄まじいものだったに違いありません。何しろ羅生門の相棒として名前が挙がっているのは、あの「歩く動くアルプスの山脈」と恐れられた元ボクシング世界ヘビー級王者であり、アメリカプロレス界のトップスターであったプリモ・カルネラだったからです。
2人の巨人が初めて運命の出会いを果たしたのは、この記事より遡ること9か月前、昭和30(1955)年7月から9月にかけて日本中を熱狂させた「マナスル登山基金募集、プロレスリング国際大試合」という伝説のシリーズでした。カルネラは特別参加として7月15日から24日までのわずか10日間だけ日本リングに登場しましたが、203センチの羅生門と、197センチのカルネラが同じ空間に立った時、カルネラの胸中に強い衝撃が走ったことは想像に難くありません。元世界王者としてのプライドを持つカルネラが、羅生門の桁外れのスケールと東洋の神秘的な魅力に惚れ込み、「この男となら世界を回れる」と直感した瞬間だったのでしょう。まさにこれこそが、世界巡業への「見初め」だったのです。
では、この幻のオーストラリア遠征は、具体的にいつ行われたのでしょうか。昭和31(1956)年の羅生門の国内スケジュールを紐解くと、極めて過密な足跡が見えてきます。
まず1月9日、日本プロレスリングセンターで行われた「プロレスリング日本選手権予選試合」に参戦し、吉原功とのシングルマッチを経てバトルロイヤルに出場。その後、しばらく記録が途切れたのち、3月31日には墨田区で開催された「遺家族慰問試合」で金子武雄と激突し、同じくバトルロイヤルにも参加しています。さらに4月2日までに田中米太郎、そしてレッド・ミラーとの対戦を消化していました。この後、彼は4月24日から始まる次なる大舞台「マナスル登山基金募集試合」への参戦が決定していました。
ここから逆算すると、羅生門が日本を離れてオーストラリアへ渡航できた空白期間は、①1月10日から3月30日の間、あるいは②4月3日から新聞記事が掲載される直前の4月18日の間、という2つの可能性に絞られます。
一方、世界を股に掛けるカルネラの側のスケジュールはどうだったでしょうか。アメリカ側の記録によると、カルネラは1月4日までアイダホ州で試合を行い、2月8日から4月13日まではロサンゼルス地区のリングに上がり続けていました。そして、その次に判明している足跡は、5月11日のカリフォルニア州パサディナでの試合です。つまり、カルネラがアメリカを出国してオーストラリアへ遠征できたのは、ロサンゼルスでの連戦を終えた「4月14日以降」ということになります。
2人の過密なスケジュールをガラス細工のように重ね合わせていくと、驚くべき事実が浮かび上がります。交差するタイミングは、なんと4月14日から4月18日の間のわずか数日間しかないのです。
さらに、カルネラが当時のプロペラ機で太平洋を渡る移動時間や、オーストラリア現地からの国際電報による記事の入手タイムラグを考慮すれば、実際に2巨人が激突したのは4月15日から17日の間のわずか1日か2日間の出来事だったのではないかと考えられます。まさに電撃的なスポット参戦だったのです。
カルネラのオーストラリア遠征の記録としては、翌昭和32(1957)年3月2日にメルボルンで行われた、あの巨漢キング・コングとの名勝負が公式記録として有名です。しかし、残念ながら、この昭和31(1956)年の羅生門との「幻の邂逅」に関する現地の公式記録や詳細なリザルト(試合結果)は、今もなお歴史の闇に埋もれたままです。
遥か南半球の地で、日本のファンが知らないうちに繰り広げられていた大巨人と東洋の巨獣による肉体と肉体のぶつかり合い。日本のプロレス黎明期に、確かに世界へと雄飛していた羅生門綱五郎の偉大な足跡は、今も古い新聞の片隅で、そのロマンに満ちた真実を私たちに語りかけているのです。